こんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
皆さん、NBA観戦を楽しんでいますか?
NBAは非常に魅力の多いリーグですので楽しみ方はファンの数だけあると思いますが、その一つが”推しチームを応援すること”ですよね!
推しチームが決まっていると、そのチームの成績、所属している選手の成長、ドラフトの順位、トレードの内容などイベントのたびに楽しみが増え、NBA観戦がより楽しいものになること間違いありません!
では推しのチームはどのようにして決めればいいのでしょうか?
その方法はズバリ、チームについてよく知ることです。
チームの歴史や文化、現在所属している選手や過去に所属していた選手などの情報を知れば、きっとあなたにあったチームが見つかるはずです。
そこで今回は、チームの歴史の1つである「永久欠番」についてご紹介していこうと思います。
永久欠番とは、バスケットボールやNBAの歴史において多大な功績を残してきた人物の使用していた背番号を、その人物の功績を称えそのチームにおいてはその人物以外が使用することができないようにしたものです。
永久欠番を知れば、そのチームの最も輝いてた時代を知ることができますよ!
今回ご紹介するチームは”ブルックリン・ネッツ”です。
もちろん他の29チームについても同様の記事がございますので、ぜひそちらもごらんください!
それではティップオフ!!
目次
ブルックリン・ネッツの永久欠番
それでは早速、ブルックリン・ネッツの永久欠番となっている番号とその番号をつけていた人物について見ていきましょう!
ブルックリン・ネッツでは7個の背番号を永久欠番としています。(ブルックリン・ネッツの選手6名+ビル・ラッセル)
1人ずつ詳しくご紹介していきます!
#3 ドラジェン・ペトロヴィッチ(Drazen Petrovic)
ドラジェン・ペトロヴィッチはNBAで成功したヨーロッパ人選手の1人であり、ブルックリン・ネッツでは3シーズンの間プレーしました。
1993年6月7日、オフシーズンの欧州遠征中に交通事故により亡くなったため、ブルックリン・ネッツは彼に追悼の意を込めて彼の着用していた背番号である3番を永久欠番としました。
ポジション:シューティングガード
在籍期間:1990年〜1993年
式典日:1993年11月11日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
オールNBA | サードチーム(1993) |
その他 | 特になし |
#5 ジェイソン・キッド(Jason Kidd)
ジェイソン・キッドは全盛期とも言える7シーズンをニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)で過ごしたスーパースターです。
当時のネッツの絶対的エースとして君臨し、それまで中堅チームだったネッツを2年連続のNBAファイナルに導きました。
ポイントガードにもかかわらずリバウンド能力に長けており、トリプルダブルを量産することから”Mr.トリプルダブル”と呼ばれていました。
ポジション:ポイントガード
在籍期間:2001年〜2008年
式典日:2013年10月17日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(2011年) |
NBAオールスター | 10回(1996年, 1998年, 2000年〜2004年, 2007年, 2008年, 2010年) |
オールNBA | ファーストチーム×5(1999年, 2000年, 2001年, 2002年, 2004年) セカンドチーム(2003年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×4(1999年, 2001年, 2002年, 2006年) セカンドチーム×5(2000年, 2003年, 2004年, 2005年, 2007年) |
その他 | アシスト王×5(1999年, 2000年, 2001年, 2003年, 2004年) NBAスキルチャレンジ優勝(2003年) 新人王(1995年) オールルーキーファーストチーム(1995年) |
#23 ジョン・ウィリアムソン(John Williamson)
ジョン・ウィリアムソンはディフェンス力に長けたガードであり、ABA時代のニューヨーク・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)にてスーパースター”ジュリアス・アービング”と共にネッツに2度の優勝をもたらした選手です。
ポジション:ガード
在籍期間:1973年〜1980年
式典日:1990年12月7日
【受賞歴】
NBAチャンピオン(ABAを含む) | 2回(1975年、1976年) |
その他 | 特になし |
#25 ビル・メルキオーニ(Bill Melchionni)
ビル・メルキオー二はジュリアス・アービング要するニューヨーク・ネッツ(ブルックリン・ネッツ)で主にシックスマンとして活躍し、ネッツの2年連続となるABA優勝に大きく貢献した選手です。
ポジション:ポイントガード
在籍期間:1969年〜1976年
式典日:1976年9月
【受賞歴】
NBAチャンピオン(ABA含む) | 3回(1967年、1974年、1976年) |
NBAオールスター(ABA含む) | 3回(1971-1973) |
オールNBA | ファーストチーム(1972) |
その他 | アシスト王×2(1971, 1972) |
#32 ジュリアス・アービング(Julis Erving)
ジュリアス・アービングはABA時代にニューヨーク・ネッツで、NBA時代にはフィラデルフィア・76ersで活躍し、それぞれのチームで優勝を果たした歴代でも屈指のスーパースターです。
彼を象徴する”芸術品”と称されるダンクシュートはのちのスーパースターたちにも影響を与えるほどであり、”Dr.J”の愛称でバスケットボールの一時代を象徴する活躍を残しました。
ポジション:スモールフォワード
在籍期間:1973年〜1976年
式典日:1987年4月3日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 3回(1974年, 1976年, 1983年) |
NBAファイナルMVP | 2回(1974年, 1976年) |
NBAシーズンMVP | 4回(1974年〜1976年, 1981年) |
NBAオールスター | 15回(1973年〜1987年) |
NBAオールスターMVP | 2回(1977年, 1983年) |
オールNBA | ファーストチーム×9(1973年〜1976年, 1978年, 1980年〜1983年) セカンドチーム×3(1972年, 1977年, 1984年) |
オールディフェンシブ | 1回(1976年) |
その他 | AMA得点王×3(1973年, 1974年, 1976年) ABAオールルーキーチーム(1972年) |
#52 バック・ウィリアムズ(Buck Williams)
バック・ウィリアムズはドラフト3位でニュージャージー・ネッツに入団し、8シーズンをネッツで過ごしました。
ルーキーシーズンからその活躍は目覚ましく、新人王を獲得したばかりかチームの勝利数を昨年より20勝も増やし、当時低迷傾向にあったニュージャージー・ネッツを中堅チームへと押し上げた立役者となりました。
ポジション:パワーフォワード
在籍期間:1981年〜1989年
式典日:1999年4月11日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 3回(1982年, 1983年, 1986年) |
オールNBA | セカンドチーム(1983年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×2(1990年, 1991年) セカンドチーム×2(1988年, 1992年) |
その他 | 新人王(1982年) オールルーキーファーストチーム(1982年) |
全30チームで永久欠番となった”#6 ビル・ラッセル”
NBAで前人未到の11度の優勝を果たした”ビル・ラッセル”はバスケットボールのみならずアメリカ史上最も偉大なアスリートの1人です。
ビル・ラッセル以前のNBAおよびアメリカのスポーツ界は白人中心の文化が根強く、黒人選手は迫害されていました。
しかし、ビル・ラッセルはその圧倒的な実力と実績を持ってファンを熱狂させ、NBA史上初の黒人のNBAスター選手となることで、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させました。
また、現役中にも関わらずボストン・セルティクスにて選手権ヘッドコーチに就任し、アメリカ4大メジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチとなりました。
彼の選手として、および公民権運動家としての功績を称え、2009年にファイナルMVPの正式名称を”ビル・ラッセル・NBAファイナルMVP”に変更されています。
また、2022年8月11日には同年7月31日に死去した彼に敬意を表し、背番号#6が30チーム全てで永久欠番になることが発表されました。
まとめ
今回は「ブルックリン・ネッツの永久欠番」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
最初にもご紹介しましたが、他の29チームについても同様の記事がございますでぜひそちらの記事もご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!