こんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
皆さん、NBA観戦を楽しんでいますか?
NBAは非常に魅力の多いリーグですので楽しみ方はファンの数だけあると思いますが、その一つが”推しチームを応援すること”ですよね!
推しチームが決まっていると、そのチームの成績、所属している選手の成長、ドラフトの順位、トレードの内容などイベントのたびに楽しみが増え、NBA観戦がより楽しいものになること間違いありません!
では推しのチームはどのようにして決めればいいのでしょうか?
その方法はズバリ、チームについてよく知ることです。
チームの歴史や文化、現在所属している選手や過去に所属していた選手などの情報を知れば、きっとあなたにあったチームが見つかるはずです。
そこで今回は、チームの歴史の1つである「永久欠番」についてご紹介していこうと思います。
永久欠番とは、バスケットボールやNBAの歴史において多大な功績を残してきた人物の使用していた背番号を、その人物の功績を称えそのチームにおいてはその人物以外が使用することができないようにしたものです。
永久欠番を知れば、そのチームの最も輝いてた時代を知ることができますよ!
今回ご紹介するチームは”ニューヨーク・ニックス”です。
もちろん他の29チームについても同様の記事がございますので、ぜひそちらもごらんください!
それではティップオフ!!
目次
ニューヨーク・ニックスの永久欠番
それでは早速、ニューヨーク・ニックスの永久欠番となっている番号とその番号をつけていた人物について見ていきましょう!
ニューヨーク・ニックスでは9個の背番号を永久欠番としています。(ニューヨーク・ニックスの選手8名+ビル・ラッセル)
1人ずつ詳しくご紹介していきます!
#10 ウォルト・フレイジャー(Walt Frazier)
ウォルト・フレイジャーは1967年にニューヨーク・ニックスにドラフト5位で指名を受けてNBA入りを果たすと、そのまま10シーズンをニックスで過ごし、リーグを代表するポイントガードの1人として活躍したスーパースターです。
類まれな得点力と強固なディフェンスでニックスに2度のNBA優勝をもたらしただけでなく、個人としても7度のオールスター選出、6度のオールNBAチーム選出、7度のオールディフェンシブチーム選出を果たしました。
ポジション:ポイントガード
在籍期間:1967年〜1977年
式典日:1979年12月15日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 2回(1970年, 1973年) |
NBAオールスター | 7回(1970年〜1976年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1975年) |
オールNBA | ファーストチーム×4(1970年, 1972年, 1974年, 1975年) セカンドチーム×2(1971年, 1973年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×7(1969年〜1975年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1968年) |
#12 ディック・バーネット(Dick Barnett)
ディック・バーネットは1970年代の強豪ニューヨーク・ニックスのスタメンシューティングガードとして活躍し、ニックスの2度の優勝に大きく貢献した選手です。
また高いシュート力を誇り、現代の”フェイダウェイシュート”の先駆けとなった選手でもあります。
ポジション:シューティングガード
在籍期間:1965年〜1974年
式典日:1990年3月10日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 2回(1970年, 1972年) |
NBAオールスター | 1回(1968年) |
その他 | 特になし |
#15 ディック・マグワイア(Dick McGuire)
ディック・マグワイアは1949年にドラフト8位でニューヨーク・ニックスにドラフトされキャリアのほとんどをニックスで過ごした選手であり、7度のオールスター選出、1度のオールNBA選出を果たしたスター選手です。
ポイントガードとしてアシスト能力に優れており、1度のアシスト王も受賞しています。
ポジション:ポイントガード
在籍期間:1949年〜1957年
式典日:1992年3月14日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回 |
NBAオールスター | 7回(1951年, 1952年, 1954年〜1956年, 1958年, 1959年) |
オールNBA | セカンドチーム(1951年) |
その他 | アシスト王(1950年) |
#15 アール・モンロー(Earl Monroe)
アール・モンローはボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)にドラフトされNBA入りを果たすと、4シーズンをブレッツで過ごし、キャリアの後半をニューヨーク・ニックスで過ごした選手です。
1973年にはニューヨーク・ニックスのNBA優勝に大きく貢献し、その後もニックス在籍期間で3度のオールスター選出を果たすなどチームの中心選手として活躍しました。
ポジション:シューティングガード/ポイントガード
在籍期間:1972年〜1980年
式典日:1986年3月1日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1973年) |
NBAオールスター | 4回(1969年, 1971年, 1975年, 1977年) |
オールNBA | ファーストチーム(1969年) |
その他 | 新人王(1968年) オールルーキーファーストチーム(1968年) |
#19 ウィリス・リード(Willis Reed)
ウィリス・リードは1970年代の強豪ニックスのエースとして活躍した選手であり、選手キャリアの全てを過ごしたニューヨーク・ニックスにおいてNBAを代表するセンターの1人として君臨しました。
ニックスに2度NBA優勝をもたらしただけでなく、その2度のNBAファイナルでファイナルMVPを受賞するほどの活躍を残しており、個人としても1度のシーズンMVP受賞、7度のオールスター選出、5度のオールNBAチーム選出、1度のオールディフェンシブチーム選出と輝かしいキャリアを送りました。
ポジション:センター/パワーフォワード
在籍期間:1964年〜1974年
式典日:1976年10月21日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 2回(1970年, 1973年) |
NBAファイナルMVP | 2回(1970年, 1973年) |
NBAシーズンMVP | 1回(1970年) |
NBAオールスター | 7回(1965年〜1971年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1970年) |
オールNBA | ファーストチーム(1970年) セカンドチーム×4(1967年〜1969年, 1971年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム(1970年) |
その他 | 新人王(1965年) オールルーキーファーストチーム(1965年) |
#22 デイブ・ディバッシャー(Dave DeBusschere)
デイブ・ディバッシャーは強靭な肉体と高いバスケIQを元にリーグ屈指のディフェンス力を誇ったニックスのエースディフェンダーを担った選手です。
1970年代のニューヨーク・ニックスにおいて必要不可欠な存在であり、2度の優勝にも大きく貢献しました。
ポジション:パワーフォワード/スモールフォワード
在籍期間:1969年〜1974年
式典日:1981年3月24日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 2回(1970年, 1973年) |
NBAオールスター | 8回(1966年〜1968年, 1970年〜1974年) |
オールNBA | セカンドチーム(1969年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×6(1969年〜1974年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1963年) |
#24 ビル・ブラッドリー(Bill Bradley)
ビル・ブラッドリーは1970年代のニックスの2度の優勝に大きく貢献した選手の1人であり、個人でも1度のオールスター選出を果たしています。
また、NBA優勝、欧州チャンピオンズカップ優勝、オリンピック優勝を果たした史上初の選手としても有名です。
ポジション:スモールフォワード
在籍期間:1967年〜1977年
式典日:1984年2月18日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 2回(1970年, 1973年) |
NBAオールスター | 1回(1973年) |
その他 | 特になし |
#33 パトリック・ユーイング(Pat Ewing)
パトリック・ユーイングは1985年にドラフト1位でニューヨーク・ニックスに入団するとその後15シーズンをニックスで過ごした選手であり、ニックスをリーグ屈指の強豪チームへと押し上げたニックス史上最も偉大な選手の1人です。
NBA優勝こそ果たせなかったものの、個人の受賞歴は非常に潤っており、11度のオールスター選出に7度のオールNBA選出と常にリーグ最高峰の選手として君臨し続けました。
ポジション:センター
在籍期間:1985年〜2000年
式典日:2003年2月28日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回 |
NBAオールスター | 11回(1986年, 1988年〜1997年) |
オールNBA | ファーストチーム(1990年) セカンドチーム×6(1988年, 1989年, 1991年〜1993年, 1997年) |
オールディフェンシブ | セカンドチーム×3(1988年, 1989年, 1992年) |
その他 | 新人王(1986年) オールルーキーファーストチーム(1986年) |
全30チームで永久欠番となった”#6 ビル・ラッセル”
NBAで前人未到の11度の優勝を果たした”ビル・ラッセル”はバスケットボールのみならずアメリカ史上最も偉大なアスリートの1人です。
ビル・ラッセル以前のNBAおよびアメリカのスポーツ界は白人中心の文化が根強く、黒人選手は迫害されていました。
しかし、ビル・ラッセルはその圧倒的な実力と実績を持ってファンを熱狂させ、NBA史上初の黒人のNBAスター選手となることで、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させました。
また、現役中にも関わらずボストン・セルティクスにて選手権ヘッドコーチに就任し、アメリカ4大メジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチとなりました。
彼の選手として、および公民権運動家としての功績を称え、2009年にファイナルMVPの正式名称を”ビル・ラッセル・NBAファイナルMVP”に変更されています。
また、2022年8月11日には同年7月31日に死去した彼に敬意を表し、背番号#6が30チーム全てで永久欠番になることが発表されました。
まとめ
今回は「ニューヨーク・ニックスの永久欠番」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
最初にもご紹介しましたが、他の29チームについても同様の記事がございますでぜひそちらの記事もご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!