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アトランタ・ホークスの永久欠番

こんにちは!

NBA好きブログライターのおしょうサンドです。

 

皆さん、NBA観戦を楽しんでいますか?

NBAは非常に魅力の多いリーグですので楽しみ方はファンの数だけあると思いますが、その一つが”推しチームを応援すること”ですよね!

推しチームが決まっていると、そのチームの成績、所属している選手の成長、ドラフトの順位、トレードの内容などイベントのたびに楽しみが増え、NBA観戦がより楽しいものになること間違いありません!

 

では推しのチームはどのようにして決めればいいのでしょうか?

その方法はズバリ、チームについてよく知ることです。

チームの歴史や文化、現在所属している選手や過去に所属していた選手などの情報を知れば、きっとあなたにあったチームが見つかるはずです。

そこで今回は、チームの歴史の1つである「永久欠番」についてご紹介していこうと思います。

永久欠番とは、バスケットボールやNBAの歴史において多大な功績を残してきた人物の使用していた背番号を、その人物の功績を称えそのチームにおいてはその人物以外が使用することができないようにしたものです。

永久欠番を知れば、そのチームの最も輝いてた時代を知ることができますよ!

 

今回ご紹介するチームは”アトランタ・ホークス”です。

もちろん他の29チームについても同様の記事がございますので、ぜひそちらもごらんください!

それではティップオフ!!

 

アトランタ・ホークスの永久欠番

それでは早速、アトランタ・ホークスの永久欠番となっている番号とその番号をつけていた人物について見ていきましょう!

アトランタ・ホークスでは7個の背番号を永久欠番としています。(アトランタ・ホークスの選手6名+ビル・ラッセル)

1人ずつ詳しくご紹介していきます!

 

#9 ボブ・ペティット(Bob Pettit)

ボブ・ペティットは1954年にミルウィーキー・ホークス(現アトランタ・ホークス)にドラフトされ、1度の優勝、2度のシーズンMVP受賞を果たしたスーパースターの1人です。

ホークスで過ごした11シーズンすべてでオールスター選出を受けており、1956年に新設されたシーズンMVPの初代受賞者でもあります。

 

ポジション:パワーフォワード/センター

在籍期間:1954年~1965年

式典日:-

 

【受賞歴】

 NBAチャンピオン 1回(1958年)
NBAシーズンMVP 2回(1956年, 1959年)
 NBAオールスター 11回(1955年~1965年)
NBAオールスターMVP 4回(1956年, 1958年, 1959年, 1962年)
オールNBA ファーストチーム×10(1955年~1964年)
セカンドチーム×1(1965年)
その他 得点王×2(1956年, 1959年)
リバウンド王(1956年)
新人王(1955年)

 

 

#21 ドミニク・ウィルキンス(Dominique Wilkins)

1982年の新人シーズンから12シーズンをアトランタ・ホークスで過ごし、9度のオールスター選出、1度の得点王を受賞した経験を持つスーパースターの1人です。

マイケル・ジョーダンやヴィンス・カーターにならび歴代屈指のスラムダンカーの1人として数えられており、その豪快なプレースタイルから「ヒューマン・ハイライトフィルム」の異名を持ちます。

 

ポジション:スモールフォワード

在籍期間:1982年~1994年

式典日:2001年1月13日

 

【受賞歴】

NBAチャンピオン 0回
NBAオールスター 9回(1986年~1994年)
オールNBA ファーストチーム(1986年)
セカンドチーム×4(1987年, 1988年, 1991年, 1993年)
サードチーム×2(1989年, 1994年)
その他 得点王(1986年)
オールルーキーファーストチーム(1983年)
NBAスラムダンクコンテスト優勝×2(1985年, 1990年)

 

#23 ルー・ハドソン(Lou Hudson)

ルー・ハドソンは1966年にドラフトされてから11シーズンにわたってアトランタ・ホークスに所属した選手であり、その間チームのエーススコアラーとして活躍しました。

非常に得点能力が高く、ホークスに所属している期間に6度のオールスター選出を果たしています。

 

ポジション:スモールフォワード/シューティングガード

在籍期間:1966年~1977年

式典日:1977年3月1日

 

【受賞歴】

NBAチャンピオン 0回
NBAオールスター 6回(1969年〜1974年)
オールNBA セカンドチーム(1970年)
その他 オールルーキーファーストチーム(1967年)

 

#40 ジェイソン・コリアー(Jason Collier)

ジェイソン・コリアーはアトランタ・ホークスに2シーズン所属したセンターの選手です。

2005年10月15日、ジョージア州カミングにて心肥大により28歳という若さでなくなりました。

アトランタ・ホークスは彼と彼の家族を思い、今後他選手の背番号40の使用を拒否することを公言したため、正式には発表していないものの事実上の永久欠番となりました。

彼のコート内外での人間性の良さを讃え、Gリーグのコート内外でも正確と行動が理想的な選手に贈られる”ジェイソン・コリアー・スポーツマンシップ・アワード”には彼の名が付けられています。

 

ポジション:センター

在籍期間:2004年~2005年

式典日:‐

 

【受賞歴】

 NBAチャンピオン 0回
その他 特になし

 

#44 ピート・マラビッチ(Pete Maravich)

「ピストル・ピート」の愛称を持ち、多彩なドリブルやパスを得意とする選手であり、しばしばマジック・ジョンソンやジェイソン・ウィリアムズらの先駆けとなった選手として挙げられることもあります。

時代を代表するポイントガードの1人であり、5度のオールスター、1度の得点王など輝かしいキャリアを送り、アトランタ・ホークス、ユタ・ジャズ、ニューオーリンズ・ペリカンズの3チームで永久欠番とされています。

 

ポジション:シューティングガード

在籍期間:1970年~1974年

式典日:2017年3月1日

 

【受賞歴】

 NBAチャンピオン 0回
 NBAオールスター 5回(1973年, 1974年, 1977年〜1979年)
オールNBA ファーストチーム×2(1976年, 1977年)
セカンドチーム×2(1973年, 1978年)
その他 得点王(1977年)
オールルーキーファーストチーム(1971年)

 

#55 ディケンベ・ムトンボ(Dikeme Mutombo)

ディケンべ・ムトンボは時代を代表するセンターの1人であり、4度の最優秀守備選手賞、3度のオールディフェンシブファーストチーム、2度のリバウンド王、3度のブロック王と特にディフェンス面において秀でた記録を持つ選手です。

ブロック後に人差し指を振るジェスチャーである「Finger wag」はNBA界のみならずバスケットボール界でも最も有名なジェスチャーの1つであり、圧倒的ブロック力でゴール下に君臨した彼のNBAキャリアを象徴するものとなっています。

 

ポジション:センター

在籍期間:1996年~2001年

式典日:2015年11月24日

 

【受賞歴】

 NBAチャンピオン 0回
 NBAオールスター 8回(1992年, 1995年〜1998年, 2000年〜2002年)
オールNBA セカンドチーム(2000年)
サードチーム×2(1997年, 2001年)
オールディフェンシブ ファーストチーム×3(1996年〜1997年, 2000年)
セカンドチーム×3(1994年, 1998年, 2001年)
その他 最優秀守備選手賞(1994年, 1996年, 1997年, 2000年)
ブロック王×(1994年〜1996年)
リバウンド王×(2000年〜2001年)
オールルーキーファーストチーム(1991年)

 

 

全30チームで永久欠番となった”#6 ビル・ラッセル”

NBAで前人未到の11度の優勝を果たした”ビル・ラッセル”はバスケットボールのみならずアメリカ史上最も偉大なアスリートの1人です。

ビル・ラッセル以前のNBAおよびアメリカのスポーツ界は白人中心の文化が根強く、黒人選手は迫害されていました。

しかし、ビル・ラッセルはその圧倒的な実力と実績を持ってファンを熱狂させ、NBA史上初の黒人のNBAスター選手となることで、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させました。

また、現役中にも関わらずボストン・セルティクスにて選手兼ヘッドコーチに就任し、アメリカ4大メジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチとなりました。

彼の選手として、および公民権運動家としての功績を称え、2009年にファイナルMVPの正式名称を”ビル・ラッセル・NBAファイナルMVP”に変更されています。

また、2022年8月11日には同年7月31日に死去した彼に敬意を表し、背番号#6が30チーム全てで永久欠番になることが発表されました。

 

まとめ

今回は「アトランタ・ホークスの永久欠番」についてご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか?

最初にもご紹介しましたが、他の29チームについても同様の記事がございますでぜひそちらの記事もご覧ください!

それではまた次の記事でお会いしましょう!

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