こんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
皆さん、NBA観戦を楽しんでいますか?
NBAは非常に魅力の多いリーグですので楽しみ方はファンの数だけあると思いますが、その一つが”推しチームを応援すること”ですよね!
推しチームが決まっていると、そのチームの成績、所属している選手の成長、ドラフトの順位、トレードの内容などイベントのたびに楽しみが増え、NBA観戦がより楽しいものになること間違いありません!
では推しのチームはどのようにして決めればいいのでしょうか?
その方法はズバリ、チームについてよく知ることです。
チームの歴史や文化、現在所属している選手や過去に所属していた選手などの情報を知れば、きっとあなたにあったチームが見つかるはずです。
そこで今回は、チームの歴史の1つである「永久欠番」についてご紹介していこうと思います。
永久欠番とは、バスケットボールやNBAの歴史において多大な功績を残してきた人物の使用していた背番号を、その人物の功績を称えそのチームにおいてはその人物以外が使用することができないようにしたものです。
永久欠番を知れば、そのチームの最も輝いてた時代を知ることができますよ!
今回ご紹介するチームは”ゴールデンステイト・ウォリアーズ”です。
もちろん他の29チームについても同様の記事がございますので、ぜひそちらもごらんください!
それではティップオフ!!
目次
ゴールデンステイト・ウォリアーズの永久欠番
それでは早速、ゴールデンステイト・ウォリアーズの永久欠番となっている番号とその番号をつけていた人物について見ていきましょう!
ゴールデンステイト・ウォリアーズでは7個の背番号を永久欠番としています。(ゴールデンステイト・ウォリアーズの選手6名+ビル・ラッセル)
1人ずつ詳しくご紹介していきます!
#13 ウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain)
ビル・ラッセルとともに1960年代〜1970年代のNBAを席巻した人物であり、NBAにおける伝説的な選手の1人。
得点王7回、リバウンド王11回、アシスト王1回ととにかく身体能力が高かった選手であり、キャリアで2度の優勝を果たしています。
様々なNBA記録を保持するチェンバレンですが、最も有名なものは1962年3月2日のニューヨーク・ニックス戦で叩き出した1試合100得点であり、今後破られることがないであろう記録の1つとして語り継がれています。
ポジション:センター
在籍期間:1959年〜1965年
式典日:1999年12月29日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 2回(1967年, 1972年) |
NBAファイナルMVP | 1回(1972年) |
NBAシーズンMVP | 4回(1960年, 1966年〜1968年) |
NBAオールスター | 13回(1960-1969年, 1971年〜1973年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1960年) |
オールNBA | セカンドチーム×3(1963年, 1965年, 1972年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×2(1972年, 1973年) |
その他 | 得点王×7(1960年〜1966年) アシスト王(1968年) リバウンド王×11(1960年〜1963年, 1966年〜1969年, 1971年〜1973年) 新人王(1960年) |
#14 トム・メシェリー(Tom Meschery)
トム・メシェリーは1961年にドラフト7位でフィラデルフィア・ウォリアーズ(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)に指名されNBA入りを果たすと、6シーズンにわたってウォリアーズで活躍した選手です。
気性が荒く毎試合テクニカルファウルを吹かれるなど欠点も多かったものの、ウィルト・チェンバレン移籍後のウォリアーズを得点源として支え続けました。
ポジション:スモールフォワード/パワーフォワード
在籍期間:1961年〜1967年
式典日:1967年10月13日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 1回(1963年) |
その他 | その他 |
#16 アル・アットルス(Al Attles)
アル・アットルスは1960年に選手としてフィラデルフィア・ウォリアーズ(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)に入団すると、現役引退後もヘッドコーチとしてウォリアーズを指揮し、1975年のウォリアーズの優勝に大きく貢献しました。
選手、コーチとしてフィラデルフィア・ウォリアーズからゴールデンステイト・ウォリアーズに至るまで合計23シーズンもの間の貢献を称え、ウォリアーズに選手時代の背番号16を永久欠番と認定されました。
ポジション:ヘッドコーチ
在籍期間:1960年〜1971年
式典日:1977年2月10日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1975年) |
#17 クリス・マリン(Chris Mullin)
クリス・マリンは1986年にゴールデンステイト・ウォリアーズにドラフトされ、全盛期の多くをウォリアーズで過ごした1990年代を代表するリーグ屈指のシューターです。
1990年代のゴールデンステイト・ウォリアーズはリーグ屈指のオフェンス力を誇る強豪チームであり、クリス・マリンはティム・ハーダウェイ、ミッチ・リッチモンドともにその攻撃の中核を担っていました。
ポジション:スモールフォワード
在籍期間:1985年〜1997年、2000年〜2001年
式典日:2012年3月12日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 5回(1989年〜1993年) |
オールNBA | ファーストチーム(1992年) セカンドチーム×2(1989年,1991年) サードチーム(1990年) |
その他 | 特になし |
#24 リック・バリー(Rick Barry)
リック・バリーは1970年代を代表するNBA史上最高のスモールフォワードの1人です。
鋭いドライブと高精度のアウトサイドシュート武器にしたスモールフォワードの理想とも言えるスキルセットを備えており、個人として8度のオールスター選出、6度のオールNBA選出、1度の得点王受賞、1度のスティール王受賞を果たしています。
1965年にサンフランシスコ・ウォリアーズにドラフトされ低迷期にあったウォリアーズをNBAファイナルに進出するほどの強豪に押し上げたものの、一時ABAに引き抜かれ、その後ウォリアーズに帰還して1975年の優勝に大きく貢献しました。
ポジション:スモールフォワード
在籍期間:1965年〜1967年、1972年〜1978年
式典日:1988年3月18日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1975年) |
NBAファイナルMVP | 1回(1975年) |
NBAオールスター | 8回(1966年, 1967年, 1973年〜1978年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1967年) |
オールNBA | ファーストチーム×5(1966年, 1967年, 1974年〜1976年) セカンドチーム(1973年) |
その他 | 新人王(1966年) オールルーキーファーストチーム(1966年) |
#42 ネイト・サーモンド(Nate Thurmond)
ネイト・サーモンドは1960年代後半から1970年代前半にかけて活躍したディフェンシブセンターのであり、ずば抜けたリバウンド力でゴール下を制圧したリーグを代表するスーパースターの1人でした。
特に1966年〜1968年の2シーズンは平均リバウンドが20本をこえており、同時代のスーパースター”ウィルト・チェンバレン”に次ぐセンターと評されていました。
ポジション:センター/パワーフォワード
在籍期間:1963年〜1974年
式典日:1978年3月8日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回 |
NBAオールスター | 7回(1965年〜1968年, 1970年, 1973年, 1974年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×2(1969年, 1971年) セカンドチーム×3(1972年〜1974年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1964年) |
全30チームで永久欠番となった”#6 ビル・ラッセル”
NBAで前人未到の11度の優勝を果たした”ビル・ラッセル”はバスケットボールのみならずアメリカ史上最も偉大なアスリートの1人です。
ビル・ラッセル以前のNBAおよびアメリカのスポーツ界は白人中心の文化が根強く、黒人選手は迫害されていました。
しかし、ビル・ラッセルはその圧倒的な実力と実績を持ってファンを熱狂させ、NBA史上初の黒人のNBAスター選手となることで、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させました。
また、現役中にも関わらずボストン・セルティクスにて選手権ヘッドコーチに就任し、アメリカ4大メジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチとなりました。
彼の選手として、および公民権運動家としての功績を称え、2009年にファイナルMVPの正式名称を”ビル・ラッセル・NBAファイナルMVP”に変更されています。
また、2022年8月11日には同年7月31日に死去した彼に敬意を表し、背番号#6が30チーム全てで永久欠番になることが発表されました。
まとめ
今回は「ゴールデンステイト・ウォリアーズの永久欠番」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
最初にもご紹介しましたが、他の29チームについても同様の記事がございますでぜひそちらの記事もご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!