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ヒューストン・ロケッツの永久欠番

こんにちは!

NBA好きブログライターのおしょうサンドです。

 

皆さん、NBA観戦を楽しんでいますか?

NBAは非常に魅力の多いリーグですので楽しみ方はファンの数だけあると思いますが、その一つが”推しチームを応援すること”ですよね!

推しチームが決まっていると、そのチームの成績、所属している選手の成長、ドラフトの順位、トレードの内容などイベントのたびに楽しみが増え、NBA観戦がより楽しいものになること間違いありません!

 

では推しのチームはどのようにして決めればいいのでしょうか?

その方法はズバリ、チームについてよく知ることです。

チームの歴史や文化、現在所属している選手や過去に所属していた選手などの情報を知れば、きっとあなたにあったチームが見つかるはずです。

そこで今回は、チームの歴史の1つである「永久欠番」についてご紹介していこうと思います。

永久欠番とは、バスケットボールやNBAの歴史において多大な功績を残してきた人物の使用していた背番号を、その人物の功績を称えそのチームにおいてはその人物以外が使用することができないようにしたものです。

永久欠番を知れば、そのチームの最も輝いてた時代を知ることができますよ!

 

今回ご紹介するチームは”ヒューストン・ロケッツ”です。

もちろん他の29チームについても同様の記事がございますので、ぜひそちらもごらんください!

それではティップオフ!!

 

ヒューストン・ロケッツの永久欠番

それでは早速、ヒューストン・ロケッツの永久欠番となっている番号とその番号をつけていた人物について見ていきましょう!

ヒューストン・ロケッツでは7個の背番号を永久欠番としています。(ヒューストン・ロケッツの選手6名+ビル・ラッセル)

1人ずつ詳しくご紹介していきます!

 

#11 ヤオ・ミン(Ming Yao)

ヤオ・ミンはNBAの中でも非常に高い身長を誇る選手であり、センター全盛の時代にシャキール・オニールらとともにゴール下を争ったNBAで最も成功したアジア出身の選手の1人です。

ケガがちな体質のため出場試合数こそ多くはなかったものの、ヒューストン・ロケッツに所属した10シーズンで8度のオールスター選出、5度のオールNBA選出を果たしました。

 

ポジション:センター

在籍期間:2002年~2011年

式典日:2017年2月3日

 

【受賞歴】

NBAチャンピオン 0回
 NBAオールスター 8回(2003年~2009年, 2011年)
オールNBA セカンドチーム×2(2007年, 2009年)
サードチーム×3(2004年, 2006年, 2008年)
その他 オールルーキーファーストチーム(2003年)

 

#22 クライド・ドレクスラー(Clyde Drexler)

クライド・ドレクスラーはキャリアの大半をポートランド・トレイルブレイザーズで過ごし、晩年をヒューストン・ロケッツで過ごした選手であり、キャリアの中で1度の優勝、10度のオールスター選出、5度のオールNBA選出を果たした史上最高のシューティングガードの1人です。

非常に高いジャンプ力と人並み外れた対空時間のなかで生み出された華麗なダンクシュートは彼の代名詞であり、その滑空するような姿から”Clyde the Glide (クライド・ザ・グライド)”という愛称で呼ばれました。

 

ポジション:シューティングガード

在籍期間:1995年~1998年

式典日:2000年2月3日

 

【受賞歴】

NBAチャンピオン 1回(1995年)
NBAオールスター 10回(1986年, 1988年~1994年, 1996年, 1997年)
オールNBA ファーストチーム(1992年)
セカンドチーム×2(1988年, 1991年)
サードチーム×2(1990年, 1995年)
その他 特になし

 

#23 カルヴィン・マーフィー(Calvin Murphy)

カルヴィン・マーフフィーは1970年にサンディエゴ・ロケッツ(現ヒューストン・ロケッツ)から2巡目18位でドラフトされて入団し、引退するまで13シーズンもの間ロケッツを支え続けた選手です。

175 cmとNBA選手としては非常に小柄な身長ながら非常に高い得点力を持ち、1981年のロケッツのNBAファイナル進出の立役者となりました。

 

ポジション:ポイントガード

在籍期間:1970年~1987年

式典日:1984年3月17日

 

【受賞歴】

NBAチャンピオン 0回
NBAオールスター 1回(1979年)
その他 オールルーキーファーストチーム(1971年)

 

#24 モーゼス・マローン(Moses Malone)

モーゼス・マローンは1度のNBA優勝、1度のファイナルMVP、3度のシーズンMVP、12度のオールスター、8度のオールNBA選出を誇る歴代屈指のセンターの1人です。

リバウンド能力が非常に高く、インサイドプレイヤーが多くいた当時のNBAで6度のリバウンド王に輝いています。

フィラデルフィア・76ersに所属していた1982-83シーズンのプレーオフ直前の記者会見で言い放った名言”フォー、フォー、フォー”はプレーオフ全ての対戦を4勝0敗で勝ち上がるという意味であり、あまりにも有名です。

 

ポジション:センター

在籍期間:1976年~1982年

式典日:1998年4月19日

 

【受賞歴】

 NBAチャンピオン 1回(1983年)
 NBAファイナルMVP 1回(1983年)
NBAシーズンMVP 3回(1979年, 1982年, 1983年)
 NBAオールスター 1回(1978年~1989年)
オールNBA ファーストチーム×4(1979年, 1982年, 1983年, 1985年)
セカンドチーム×4(1980年, 1981年, 1984年, 1987年)
オールディフェンシブ ファーストチーム(1983年)
セカンドチーム(1979年)
その他 リバウンド王×6(1979年, 1981年~1985年)

 

#34 アキーム・オラジュワン(Hakeem Olajuwon)

アキーム・オラジュワンは1984年にヒューストン・ロケッツからドラフト1位指名を受けて入団し、キャリアのほとんどである17シーズンをロケッツで過ごした選手であり、ロケッツに2度の優勝をもたらした史上最高のセンターの1人です。

彼を象徴する動きである「ドリーム・シェイク(Dream Shake)」は史上最高のシグネチャームーブの1つとして数えられており、現在でも多くのNBA選手が彼の元でポストプレーを学んでいます。

 

ポジション:センター

在籍期間:1984年~2001年

式典日:2002年11月9日

 

【受賞歴】

 NBAチャンピオン 2回(1994年, 1995年)
 NBAファイナルMVP 2回(1994年, 1995年)
NBAシーズンMVP 1回(1994年)
 NBAオールスター 12回(1985年~1990年, 1992年~1997年)
オールNBA ファーストチーム×6(1987年~1989年, 1993年, 1994年, 1997年)
セカンドチーム×3(1986年, 1990年, 1996年)
サードチーム×3(1991年, 1995年, 1999年)
オールディフェンシブ ファーストチーム×5(1987年, 1988年, 1990年, 1993年, 1994年)
セカンドチーム×4(1982年, 1991年, 1996年, 1997年)
その他 最優秀守備選手賞×2(1993年, 1994年)
ブロック王×3(1990年, 1991年, 1993年)
リバウンド王×2(1989年, 1990年)
オールルーキーファーストチーム(1985年)

 

#45 ルディ・トムヤノビッチ(Rudy Tomjanovich)

ルディ・トムヤノビッチは1970年にサンディエゴ・ロケッツ(現ヒューストン・ロケッツ)からドラフト2位で指名されて入団し、引退までの11シーズンをロケッツで過ごしながら4度のオールスター選出を受けたスター選手です。

引退後もアシスタントコーチおよびヘッドコーチとしてロケッツの運営に携わり、1944年、1945年のNBA2連覇に大きく貢献しました。

 

ポジション:パワーフォワード

在籍期間:1970年~1981年

式典日:1982年1月28日

 

【受賞歴】

NBAチャンピオン 0回
NBAオールスター 4回(1974年~1977年, 1979年)
その他 特になし

 

全30チームで永久欠番となった”#6 ビル・ラッセル”

NBAで前人未到の11度の優勝を果たした”ビル・ラッセル”はバスケットボールのみならずアメリカ史上最も偉大なアスリートの1人です。

ビル・ラッセル以前のNBAおよびアメリカのスポーツ界は白人中心の文化が根強く、黒人選手は迫害されていました。

しかし、ビル・ラッセルはその圧倒的な実力と実績を持ってファンを熱狂させ、NBA史上初の黒人のNBAスター選手となることで、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させました。

また、現役中にも関わらずボストン・セルティクスにて選手権ヘッドコーチに就任し、アメリカ4大メジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチとなりました。

彼の選手として、および公民権運動家としての功績を称え、2009年にファイナルMVPの正式名称を”ビル・ラッセル・NBAファイナルMVP”に変更されています。

また、2022年8月11日には同年7月31日に死去した彼に敬意を表し、背番号#6が30チーム全てで永久欠番になることが発表されました。

 

まとめ

今回は「ヒューストン・ロケッツの永久欠番」についてご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか?

最初にもご紹介しましたが、他の29チームについても同様の記事がございますでぜひそちらの記事もご覧ください!

それではまた次の記事でお会いしましょう!

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