こんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
皆さん、NBA観戦を楽しんでいますか?
NBAは非常に魅力の多いリーグですので楽しみ方はファンの数だけあると思いますが、その一つが”推しチームを応援すること”ですよね!
推しチームが決まっていると、そのチームの成績、所属している選手の成長、ドラフトの順位、トレードの内容などイベントのたびに楽しみが増え、NBA観戦がより楽しいものになること間違いありません!
では推しのチームはどのようにして決めればいいのでしょうか?
その方法はズバリ、チームについてよく知ることです。
チームの歴史や文化、現在所属している選手や過去に所属していた選手などの情報を知れば、きっとあなたにあったチームが見つかるはずです。
そこで今回は、チームの歴史の1つである「永久欠番」についてご紹介していこうと思います。
永久欠番とは、バスケットボールやNBAの歴史において多大な功績を残してきた人物の使用していた背番号を、その人物の功績を称えそのチームにおいてはその人物以外が使用することができないようにしたものです。
永久欠番を知れば、そのチームの最も輝いてた時代を知ることができますよ!
今回ご紹介するチームは”ミルウォーキー・バックス”です。
もちろん他の29チームについても同様の記事がございますので、ぜひそちらもごらんください!
それではティップオフ!!
ミルウォーキー・バックスの永久欠番
それでは早速、ミルウォーキー・バックスの永久欠番となっている番号とその番号をつけていた人物について見ていきましょう!
ミルウォーキー・バックスでは10個の背番号を永久欠番としています。(ミルウォーキー・バックスの選手9名+ビル・ラッセル)
1人ずつ詳しくご紹介していきます!
#1 オスカー・ロバートソン(Oscar Robertson)
オスカー・ロバートソンは1960年代から1970年代を代表する選手の1人で、シンシナティ・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)で10シーズン、ミルウォーキー・バックスで4シーズンを過ごした歴代でも屈指のポイントガードです。
ポイントガードとしては規格外のリバウンド力を有しており、得点、アシスト、リバウンドの3つの項目でシーズン通して1試合平均2桁以上を残す”シーズン平均トリプルダブル”をNBA史上初めて達成しました。
キャリアを通じて1度の優勝、12度のオールスター選出、11度のオールNBA選出など輝かしい成績を残しています。
ポジション:ポイントガード
在籍期間:1970年〜1974年
式典日:1974年10月18日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1971年) |
NBAシーズンMVP | 1回(1964年) |
NBAオールスター | 12回(1961年〜1972年) |
NBAオールスターMVP | 3回(1961年, 1964年, 1969年) |
オールNBA | ファーストチーム×9(1961年〜1969年) セカンドチーム×2(1970年, 1971年) |
その他 | アシスト王×6(1961年, 1962年, 1964年〜1966年, 1969年) 新人王(1961年) |
#2 ジュニア・ブリッジマン(Junior Bridgeman)
ジュニア・ブリッジマンは1975年にドラフトされてすごにミルウォーキー・バックスにトレードされNBAキャリアをスタートしており、その後の合計10シーズンをバックスで過ごしました。
ブリッジマンが引退するまでに記録した通算711試合の出場は当時の球団記録となりました。
ポジション:スモール・フォワード
在籍期間:1975年〜1984年、1986年〜1987年
式典日:1988年1月17日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
その他 | 特になし |
#4 シドニー・モンクリーフ(Sidney Moncrief)
シドニー・モンクリーフは1979年にドラフト5位でミルウォーキー・バックスにドラフトされ、その後のキャリアのほとんどをバックスで過ごしたスター選手です。
1980年代のNBAを代表する屈指のディフェンダーであり、2度の最優秀守備選手賞の受賞、6度のオールディフェンシブチーム選出を果たしています。
ポジション:シューティングガード/ポイントガード
在籍期間:1979年〜1990年
式典日:1990年1月6日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回 |
NBAオールスター | 5回(1982年〜1986年) |
オールNBA | ファーストチーム(1983年) セカンドチーム×4(1982年, 1984年〜1986年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×2(1983年〜1986年) セカンドチーム(1982年) |
その他 | 最優秀守備選手賞×2(1983年, 1984年) |
#8 マーカス・ジョンソン(Marques Johnson)
マーカス・ジョンソンは1977年にドラフト3位でミルウォーキー・バックスに入団し、その後の全盛期ともいえる7シーズンをバックスで過ごしたスター選手です。
キャリアを通じて5度のオールスター選手を受けるエースとして1980年代の強豪バックスの中核を担いました。
ポジション:スモールフォワード
在籍期間:1977年〜1984年
式典日:2019年3月24日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 5回(1979年〜1981年, 1983年, 1986年) |
オールNBA | ファーストチーム(1979年) セカンドチーム×2(1980年, 1981年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1978年) |
#10 ボブ・ダンドリッジ(Bob Dandridge)
ボブ・ダンドリッジはドラフト45位という決して高くはない指名順位ながら、2度のNBA優勝、4度のオールスター選出を果たした1970年代のNBAを代表するスモールフォワードの1人です。
1971年のバックスはカリーム・アブドゥル=ジャバーとオスカー・ロバートソンという稀代名選手2人のチームではあったものの、3番手のスコアラー兼エースディフェンダーとして活躍し、優勝に大きく貢献しました。
ポジション:スモールフォワード
在籍期間:1969年〜1977年、1981年
式典日:2015年3月7日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 2回(1971年, 1978年) |
NBAオールスター | 4回(1973年, 1975年, 1976年, 1979年) |
オールNBA | セカンドチーム(1979年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム(1979年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1970年) |
#14 ジョン・マクグロックリン(Jon McGlocklin)
ジョン・マクグロックリンは1968年に創設されたミルウォーキー・バックスの初期メンバーの1人であり、バックス初のオールスター選手です。
直後に”怪物”カリーム・アブドゥル=ジャバーが入団しエースをジャバーに譲ったものの、8シーズンに渡り初期のミルウォーキー・バックスを支え続けました。
ポジション:シューティングガード
在籍期間:1968年〜1976年
式典日:1976年12月10日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1971年) |
NBAオールスター | 1回(1970年) |
その他 | 特になし |
#16 ボブ・レイニア(Bob Lanier)
ボブ・レイニアは1970年代から1980年代前半のNBAを代表するセンターの1人であり、8度のオールスター選出を果たしたスター選手です。
1970年にドラフト1位でデトロイト
・ピストンズに指名を受けNBA入りを果たすとその後10シーズンにわたってピストンズのスター選手として活躍。
その後ミルウォーキー・バックスに移籍し、全盛期は過ぎていたものの5シーズン全てでバックスをディビジョン優勝に導くなどチームを支えました。
背番号の16番はデトロイト・ピストンズとミルウォーキー・バックスの両方で永久欠番となっています。
ポジション:センター
在籍期間:1980年〜1984年
式典日:1984年12月4日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 8回(1972年〜1975年, 1977年〜1979年, 1982年) |
NBAオールスター | 8回(1972年〜1975年, 1977年〜1979年, 1982年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1974年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1971年) |
#32 ブライアン・ウィンターズ(Brian Winters)
ブライアン・ウィンターズはミルウォーキー・バックスでキャリアのほとんど過ごし、カリーム・アブドゥル=ジャバー退団後のバックス支えた中心選手の1人です。
高精度のロングレンジシュートを武器にしており、1979年に導入されたスリーポイントラインにも対応し、ベンチからチームの得点源として活躍しました。
ポジション:シューティングガード
在籍期間:1975年〜1983年
式典日:1983年10月28日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
その他 | 特になし |
#33 カリーム・アブドゥル=ジャバー(Kareem Abdul年〜Jabbar)
カリーム・アブドゥル=ジャバーはミルウォーキー・バックスで6シーズン、ロサンゼルス・レイカーズで14シーズンプレイし、合計6度のNBA優勝を果たしているNBA史上最高の選手の1人です。
彼の記録したシーズンMVPに6回、オールスター選出19回はいずれもNBA史上最多記録であり、彼の残したキャリア通算38,387得点は2023年2月8日にレブロン・ジェームズに更新されるまでNBA史上最多記録でした。
半身になりながらのリングよりも高い打点からのフックショット、通称”スカイフック”は彼のシグネチャームーブとして人々の記憶に残っています。
ポジション:センター
在籍期間:1969年〜1975年
式典日:1993年4月24日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 6回(1971年, 1980年, 1982年, 1985年, 1987年, 1988年) |
NBAファイナルMVP | 2回((1971年, 1985年) |
NBAシーズンMVP | 6回(1971年, 1972年, 1974年, 1976年, 1977年, 1980年) |
NBAオールスター | 19回(1970年~1977年, 1979年~1989年) |
オールNBA | ファーストチーム×10(1971年~1974年, 1976年, 1977年, 1980年, 1981年, 1984年, 1986年) セカンドチーム×5(1970年, 1978年, 1979年, 1983年, 1985年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×5(1974年, 1975年, 1979年~1981年) セカンドチーム×6(1970年, 1971年, 1976年~1978年, 1984年) |
その他 | 得点王×2(1971年, 1972年) リバウンド王×1(1976年) ブロック王×4(1975年, 1976年, 1979年, 1980年) 新人王(1970年) オールルーキーファーストチーム(1970年) |
全30チームで永久欠番となった”#6 ビル・ラッセル”
NBAで前人未到の11度の優勝を果たした”ビル・ラッセル”はバスケットボールのみならずアメリカ史上最も偉大なアスリートの1人です。
ビル・ラッセル以前のNBAおよびアメリカのスポーツ界は白人中心の文化が根強く、黒人選手は迫害されていました。
しかし、ビル・ラッセルはその圧倒的な実力と実績を持ってファンを熱狂させ、NBA史上初の黒人のNBAスター選手となることで、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させました。
また、現役中にも関わらずボストン・セルティクスにて選手権ヘッドコーチに就任し、アメリカ4大メジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチとなりました。
彼の選手として、および公民権運動家としての功績を称え、2009年にファイナルMVPの正式名称を”ビル・ラッセル・NBAファイナルMVP”に変更されています。
また、2022年8月11日には同年7月31日に死去した彼に敬意を表し、背番号#6が30チーム全てで永久欠番になることが発表されました。
まとめ
今回は「ミルウォーキー・バックスの永久欠番」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
最初にもご紹介しましたが、他の29チームについても同様の記事がございますでぜひそちらの記事もご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!