こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1983-84シーズンを制したボストン・セルティックス(BOS)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
ボストン・セルティックスは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
ボストン・セルティックスは1983年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1983-84 ボストン・セルティクスのレギュラーシーズン
まずは1983-84レギュラーシーズンがボストン・セルティクスにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
ラリー・バード、ケビン・マクヘイル、ロバート・パリッシュのBIG3を擁し、1981年にNBA優勝を果たした際にはしばらく連覇が続くだろうと言われていたにも関わらず、実際にはレイカーズやシクサーズに敗れ悔しい思いをしていたセルティクス。
十分に優勝できる戦力は揃っていたことからメンバーこそ大幅な変更はなかったものの、今シーズンこそは優勝を目指してレギュラーシーズンに臨みました。
【レギュラーシーズンの結果】
例年通りレギュラシーズンはイースタン・カンファレンスの強豪として君臨し、62勝20敗という好成績でプレイオフに進出しました。
ボストン・セルティクスはアトランティック・ディビジョンで1位を獲得しました。
【1983-84レギュラーシーズン アトランティック・ディビジョンの結果】
アトランティック・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
ボストン・セルティクス | 62 | 20 | 0.756 | – | 33–8 | 29–12 | 13–11 | 82 |
フィラデルフィア・76ers | 52 | 30 | 0.634 | 10 | 32–9 | 20–21 | 15–9 | 82 |
ニューヨーク・ニックス | 47 | 35 | 0.573 | 15 | 29–12 | 18–23 | 12–12 | 82 |
ニュージャージー・ネッツ | 45 | 37 | 0.549 | 17 | 29–12 | 16–25 | 12–12 | 82 |
ワシントン・ブレッツ | 35 | 47 | 0.427 | 27 | 25–16 | 10–31 | 8–16 | 82 |
ボストン・セルティクスはイースタン・カンファレンスで1位を受賞し、プレイオフに進出しました。
【1983-84レギュラーシーズン イースタン・カンファレンスの結果】
イースタン・カンファレンス | ||||||
# | チーム | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | GP |
1 | ボストン・セルティクス | 62 | 20 | 0.756 | – | 82 |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | ミルウォーキー・バックス | 50 | 32 | 0.610 | 12 | 82 |
3 | フィラデルフィア・76ers | 52 | 30 | 0.634 | 10 | 82 |
4 | デトロイト・ピストンズ | 49 | 33 | 0.598 | 13 | 82 |
5 | ニューヨーク・ニックス | 47 | 35 | 0.573 | 15 | 82 |
6 | ニュージャージー・ネッツ | 45 | 37 | 0.549 | 17 | 82 |
7 | アトランタ・ホークス | 40 | 42 | 0.488 | 22 | 82 |
8 | ワシントン・ブレッツ | 35 | 47 | 0.427 | 27 | 82 |
9 | クリーブランド・キャバリアーズ | 28 | 54 | 0.341 | 34 | 82 |
10 | シカゴ・ブルズ | 27 | 55 | 0.329 | 35 | 82 |
11 | インディアナ・ペイサーズ | 26 | 56 | 0.317 | 36 | 82 |
NBAファイナルまでの道のり:1983-84 ボストン・セルティクスのプレイオフ
次にボストン・セルティクスが1983-84プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1983-84プレイオフの背景】
1983-1984シーズンのプレイオフは1984年4月17日に開始し、6月12日に終了しました。
ファーストラウンド(1回戦)対ワシントン・ブレッツ:3勝1敗
プレイオフのファーストラウンド(1回戦)はジェフ・ルーランドやグレッグ・バラードらのワシントン・ブレッツと対戦し、3勝1敗で難なく破ってカンファレンス・セミファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1984年4月17日 | ワシントン・ブレッツ | 83-91 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第2戦 | 1984年4月 | ワシントン・ブレッツ | 85-88 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第3戦 | 1984年4月 | ボストン・セルティクス | 108-111 | ワシントン・ブレッツ | キャピタル・センター | |
第4戦 | 1984年4月 | ボストン・セルティクス | 99-96 | ワシントン・ブレッツ | キャピタル・センター |
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)対ニューヨーク・ニックス:4勝3敗
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)ではバーナード・キング率いるニューヨーク・ニックスと対戦し、4勝3敗でなんとか勝利してカンファレンス・ファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1984年4月29日 | ニューヨーク・ニックス | 92-110 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第2戦 | 1984年5月2日 | ニューヨーク・ニックス | 102-116 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第3戦 | 1984年5月4日 | ボストン・セルティクス | 92-100 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第4戦 | 1984年5月6日 | ボストン・セルティクス | 113-118 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第5戦 | 1984年5月9日 | ニューヨーク・ニックス | 99-121 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第6戦 | 1984年5月11日 | ボストン・セルティクス | 104-106 | ニューヨーク・ニックス | ボストン・ガーデン | |
第7戦 | 1984年5月13日 | ニューヨーク・ニックス | 104-121 | ボストン・セルティクス | マディソン・スクエア・ガーデン |
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対ミルウォーキー・バックス:4勝1敗
カンファレンス・ファイナルではマーカス・ジョンソンやシドニー・モンクリーフを擁するミルウォーキー・バックスとの対戦となり、これを4勝1敗で制してNBAファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1985年5月15日 | ミルウォーキー・バックス | 96-119 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第2戦 | 1985年5月17日 | ミルウォーキー・バックス | 110-125 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第3戦 | 1985年5月19日 | ボストン・セルティクス | 109-100 | ミルウォーキー・バックス | MECCAアリーナ | |
第4戦 | 1985年5月21日 | ボストン・セルティクス | 113-122 | ミルウォーキー・バックス | MECCAアリーナ | |
第5戦 | 1985年5月23日 | ミルウォーキー・バックス | 108-115 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン |
こうして迎えた1984年のNBAファイナルでは、ボストン・セルティクスがマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズを4勝3敗で破り、3年ぶり15回目のNBA優勝を果たしました。
1984年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:ラリー・バードが自身初のファイナルMVP受賞
今回は「1984年のNBAファイナルで優勝を果たした”ボストン・セルティクス”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
ラリー・バード率いるボストン・セルティクスとマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズはこの時代のNBAの顔であり、東西のライバル同士の激突となったこの1戦は全米でも大きな注目を浴びました。
この優勝によりボストン・セルティクスは自身の持つNBA最多優勝回数の記録を15に伸ばしました。
また、ラリー・バードはシリーズ平均27.4得点14.0リバウンド3.2アシスト2.0スティールを記録し、自身初となるファイナルMVPを受賞しました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!