NBA伝説の男たち

アロンゾ・モーニングのプレイスタイルや着用バッシュは?腎臓の病気による2度の引退を乗り越え復活の優勝リングを手にしたレジェンド

今回ご紹介するのは、知る人ぞ知る怪物センター「アロンゾ・モーニング」。

全盛期はNBA屈指のスター選手でありながら、腎臓疾患という選手生命に関わる病気を患ったあとも控えセンターという立ち位置を受け入れ、見事NBAチャンピオンの座に立ったレジェンドです。

 

彼の背番号「33」はマイアミ・ヒートにとって球団初の永久欠番であり、2014年にはバスケットボール殿堂入りも果たしたモーニング。

そんな彼の波瀾万丈なNBAキャリアとはどんなものだったのでしょうか?

この記事では、アロンゾ・モーニングのプレイスタイルや着用バッシュをはじめ、NBA時代のストーリーについても詳しくご紹介していますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!

 

プレイスタイル:208cmとセンターとしては小柄ながら強靭な肉体と精神でインサイドを支配

アロンゾ・モーニングは208cmとセンターとしてはそれほど高くない、どころか若干小さいとまで言える身長でありながら、特にフィジカルが重視された2000年代のNBAにおいてインサイドを支配した伝説的な選手です。

小柄なセンターの多くはテクニックを磨きいて自分より大きな選手と渡りあうことが一般的ですが、アロンゾ・モーニングの武器はなんと「怪力」と「闘争心」でした。

その筋骨隆々な肉体で相手を押し除け、攻撃では激しいダンクを叩き込むインサイドの要として、ディフェンスではブロックやリバウンドでチームの絶対的守護神として君臨したモーニングは、時代を支配していた怪物センター「シャキール・オニール」に唯一対抗できる選手と言われていたんですよ!

シャックとモーニングは同じ年にドラフト1位、2位でNBA入りした同期ですから、なにか運命的なものを感じますね。

 

結果としてオールスター出場7回、最優秀守備選手賞2回、ブロック王1回、そして悲願のNBA優勝1回(2006年)を受賞。

NBAを象徴するようなダイナミックなプレーでファンを魅了したモーニングは、時代を代表するセンターの1人として後世にも語り継がれる選手となったのです。

 

NBA時代のストーリー

小柄ながら持ち前のパワーと闘争心でNBAのゴール下に君臨し続けたアロンゾ・モーニング。

そんな彼のNBA時代のストーリーを簡単にご紹介しようと思います。

 

全盛期①ホーネッツ時代:NBA入り後はすぐさまトップクラスのセンターに

ジョージタウン大学でスター選手として活躍したアロンゾ・モーニングは、1992年のNBAドラフトにエントリーし、ドラフト全体2位でシャーロット・ホーネッツに指名を受けました。

この年の1位指名を受けたのがNBA史上最高のセンターの1人であるシャキール・オニールであり、同じポジションなこともあって2人はライバル関係を築いていきます。

 

ドラフト時点で創設4年目の新設チームであったホーネッツにおいてモーニングはNBA入り1年目からスタメンセンターとして活躍。

シーズン平均21得点、10.3リバウンド、3.5ブロックというモンスターパフォーマンスを記録したものの、新人王は惜しくもシャキール・オニールに譲ることとなりました。

ただ、チームメイトにはラリー・ジョンソンやケンドール・ギルといった若手の実力者が揃い、モーニングは新人離れした活躍もあってホーネッツはチーム史上初のプレーオフ進出が決定。

迎えたプレーオフ1回戦ではアロンゾ・モーニングを象徴する決勝ブザービーターも飛び出し、チームは2回戦で敗退するものの未来が非常に明るいチームという印象を与えました。

 

ただ、チーム運営はそれほど簡単なものではなく、2年目以降NBAトップ選手の仲間入りを果たしたモーニングに対してホーネッツは十分な報酬を支払うことができないとして交渉が決裂。

残念ながらモーニングはわずか3年でホーネッツを去ることとなってしまいました。

その移籍先はマイアミ・ヒート。

ただ、この移籍を機にアロンゾ・モーニングは伝説的なキャリアを歩むこととなるのでした。

 

全盛期②ヒート時代:“無敵”のフィジカルプレイで周囲を圧倒

移籍先のマイアミ・ヒートではロサンゼルス・レイカーズで2度の優勝を果たしている名監督であるパット・ライリーのもと、エースのポイントガードであるティム・ハーダウェイと共にイースタン・カンファレンスの強豪チームとして活躍をすることになります。

ただ、この時期のNBAはマイケル・ジョーダン率いる最強シカゴ・ブルズとそのブルズを唯一脅かすチームであったパトリック・ユーイング率いるニューヨーク・ニックスがリーグを支配していた時代であり、マイアミ・ヒートは強豪であったもののプレーオフで良い結果を残すことができずに破れ続けることになってしまいます。

 

アロンゾ・モーニング自身はは変わらずリーグ有数のセンターとして活躍を続け、得意のフィジカルプレイは”無敵”と呼べる領域まで成長していました。

結果的にヒートに所属した7年間で7度のオールスター選出、1度のNBAファーストチーム、2年連続となる最優秀守備選手賞、1度のブロック王(1998-99シーズン)など多くの個人タイトルを受賞。

さらに2000年のシドニーオリンピックでは金メダルを獲得するなど、順風満帆のキャリアであったと言えるでしょう。

 

腎臓疾患の発覚と2度の引退

栄光の金メダルを獲得した2000年のシドニーオリンピックからの帰国後、祝福ムードの中に飛び込んできたのは残酷なニュースでした。

アロンゾ・モーニングに告げられた病気の名前は「巣状分節性糸球体硬化症」。

腎臓疾患の1つであり、重症の場合には移植手術意外に治療方法がない難病です。

キャリアの絶頂である30歳というタイミングでの病気の発覚は、いかに強靭な肉体を持つモーニングといえどバスケを続けることは非常に難しい選択となってしまいました。

 

モーニングは腎臓の移植手術を受けましたが、復帰後のパフォーマンスには以前の姿は見る影もなく、結局手術の翌年となる2000-21シーズンに1度目の引退をすることに。

ただ、NBA優勝という夢を諦めきれなかったモーニングは引退から1年後にNBAへ復帰。

1度目の復帰はニュージャージー・ネッツでしたが、やはりパフォーマンスが戻っておらず12試合に出場したものの再び引退をせざるをありませんでした。

「キャリアが潰えた」と誰もが思った瞬間だったと思います。

 

しかし、やはりモーニングは”不死身”でした。

2004-05シーズンに再びコートへ立つことを決めたモーニングは、トロント・ラプターズを経由し、かつて栄光の7年間を過ごしたマイアミ・ヒートヘと舞い戻ることになったのでした。

 

奇跡の完全復活!マイアミ・ヒートでシャックと共に悲願の優勝

4年ぶりに古巣への完全復帰を果たしたアロンゾ・モーニング。

この時期のマイアミ・ヒートはかつてモーニングが所属していた時とは体制が大きく変化しており、ドラフトで獲得した生え抜きエースの「ドウェイン・ウェイド」とすでにNBA最強の選手となっていた「シャキール・オニール」のデュオを中心としたチームになっていました。

モーニングは奇しくも同期でライバルであったシャキール・オニールの控えセンターという立ち位置で戦うことになったわけです。

以前に比べて出場時間も短くオフェンス面は当然衰えは感じたものの、衰えた機動力を経験でカバーしたディフェンスでの貢献度は素晴らしく、かつての英雄の帰還に心が踊ったファンは多かったことでしょう。

 

2004-05シーズンは19試合のみの出場にとどまってしまったものの、翌年の2005-06シーズンには65試合に出場し、平均20分の出場で7.8得点5.5リバウンド2.7ブロックを記録。

ウェイドとシャックに率いられたヒートはレギュラーシーズンも安定した成績で勝ちを重ね、早々にプレーオフに進出を決定させます。

プレーオフでもその実力を十分に発揮したヒートは着実にNBAファイナルへと駒を進め、ダーク・ノビツキー率いるダラス・マーベリックスと優勝をかけた一騎打ちに臨むことになりました。

結果は4勝2敗でマイアミ・ヒートの勝利。

当然主役はウェイドとシャックであったものの、モーニング自身も優勝に大手のかかった第6戦で脅威の5ブロックを記録してチームに貢献し、キャリア13年目の34歳にしてようやく悲願のNBAチャンピオンの座を手にしたのでした。

 

その後ヒートはしばらく優勝から遠ざかってしまいますが、目標であったNBA制覇を成し遂げたモーニングは2007年に満を持して本当の引退を宣言。

翌年の2008年には引退セレモニーが開かれ、関わった全ての人への感謝を伝えると共にキャリアを締め括ったモーニング。

最後は右ひざ脚蓋腱断裂をしてしまいバスケットボールができる体ではありませんでしたが、まさしく”有終の美”といったところでしょう。

 

後にマイアミ・ヒート史上初の永久欠番となった背番号「33」は、闘病にともなう幾多の困難を乗り越えNBAチャンピオンに輝いたレジェンドとして語り継がれる選手となったのです。

 

”熱い男”アロンゾ・モーニングは乱闘騒ぎも多かった

屈強なフィジカルと不屈のメンタルを持ち合わせたアロンゾ・モーニングはNBA界きっての「熱い男」としても知られていました。

アツさというのは時に悪い方向に働いてしまうこともあり、特に相手との接触が多いインサイドを主戦場とするモーニングは乱闘の原因になることもしばしば。

特に1997年のカンファレンス・セミファイナルにて当時ニューヨーク・ニックスに所属していたかつての相棒ラリー・ジョンソンと引き起こした乱闘はプレーオフにも関わらず主力が出場停止になるほどの事件であり、NBA史に残る大乱闘としてファンの記憶に残っています。

 

ただ、そのアツさは時にチームを鼓舞する頼もしさでもあり、とくにダンクやブロックを決めた後に感情を思いっきり表に出すモーニングのパフォーマンスは、しばしばファンやチームを鼓舞していました。

時にはヒヤヒヤする場面はあるものの、熱く、頼もしい男であったアロンゾ・モーニング。

そりゃファンにも愛されるわけですわ。

 

アロンゾ・モーニングが着用したバッシュは?シグネチャーモデルはある?

センターとしては小柄な体格ながら、持ち前の怪力と俊敏性でインサイドを支配していたアロンゾ・モーニング。

彼の強靭な足腰を支えることのできるバッシュを探すことは容易ではなかったでしょう。

 

現役時代にモーニングと専属契約を結んでいたNIKE(ナイキ)がそんなモーニングのために開発したシグネチャーモデルがあるのをご存知ですか?

その名も「AIR ALONZO(エア アロンゾ)」。

NIKE(ナイキ)独自のクッション技術であるZOOM AIR(ズームエア)を搭載した当時としては最先端のモデルであり、モーニングの名を冠するバッシュとして1997年にりリースされました。

残念ながら復刻版などの開発はなく、現在は中古品のみが出回っている状況となっていますが、フリマサイトなどでは取引されている可能性もあるので気になる方はチェックしてみてくださいね!

 

アロンゾ・モーニングのキャリアスタッツ

最後にアロンゾ・モーニングがNBAで残した「キャリアスタッツ」について、レギュラーシーズンとプレーオフとでそれぞれご紹介します。

 

レギュラーシーズン(1992-93シーズン〜2007-08シーズン)

シーズン 年齢 チーム 出場試合 出場時間 得点 リバウンド アシスト FG確率 3PT確率 FT確率 スティール ブロック TO
92-93 22 CHH 78 33.9 21.0 10.3 1.0 51.1% 0.0% 78.1% 0.3 3.5 3.0
93-94 23 CHH 60 33.6 21.5 10.2 1.4 50.5% 0.0% 76.2% 0.5 3.1 3.3
94-95 24 CHH 77 38.2 21.3 9.9 1.4 51.9% 32.4% 76.1% 0.6 2.9 3.1
95-96 25 MIA 70 38.2 23.2 10.4 2.3 52.3% 30.0% 68.5% 1.0 2.7 3.7
96-97 26 MIA 66 35.2 19.8 9.9 1.6 53.4% 11.1% 64.2% 0.8 2.9 3.4
97-98 27 MIA 58 33.4 19.2 9.6 0.9 55.1% 66.5% 0.7 2.2 3.1
98-99 28 MIA 46 38.1 20.1 11.0 1.6 51.1% 0.0% 65.2% 0.7 3.9 3.0
99-00 29 MIA 79 34.8 21.7 9.5 1.6 55.1% 0.0% 71.1% 0.5 3.7 2.7
00-01 30 MIA 13 23.5 13.6 7.8 0.9 51.8% 0.0% 56.4% 0.3 2.4 2.2
01-02 31 MIA 75 32.7 15.7 8.4 1.2 51.6% 33.3% 65.7% 0.4 2.5 2.4
02-03 32
03-04 33 NJN 12 17.9 8.0 2.3 0.7 46.5% 88.2% 0.2 0.5 0.8
04-05 34 合計 37 19.0 7.6 5.4 0.5 47.2% 58.2% 0.2 2.0 1.5
04-05 34 NJN 18 25.4 10.4 7.1 0.8 45.3% 59.3% 0.3 2.3 2.5
04-05 34 MIA 19 12.9 5.0 3.7 0.2 51.6% 56.4% 0.2 1.7 0.6
05-06 35 MIA 65 20.0 7.8 5.5 0.2 59.7% 0.0% 59.4% 0.2 2.7 1.2
06-07 36 MIA 77 20.4 8.6 4.5 0.2 56.0% 60.1% 0.2 2.3 1.7
07-08 37 MIA 25 15.6 6.0 3.7 0.3 54.7% 59.2% 0.2 1.7 1.0

参照:BASKETBALL REFERENCE

 

シャロット・ホーネッツにドラフトされたものの、キャリアの大半をマイアミ・ヒートで過ごしたアロンゾ・モーニング。

相手との接触による体力の消耗や怪我が多いポジションでありながら、腎臓の移植手術前は1試合35分以上出場しながらシーズンほとんどの試合を出場し続けるという不死身っぷりを発揮した選手でした。

 

また、アロンゾ・モーニングとしては低身長ながらダイナミックなブロックシーンが有名ですが、十分に試合に出場した年はシーズン平均2ブロックを下回ったシーズンがほとんどないというのも特徴的。

特に1998-99シーズンと1999-00シーズンはブロックによる圧巻の支配力を見せたシーズンであり、2年連続となるブロック王と最優秀守備選手を受賞しています。

 

プレイオフ(計11シーズン)

シーズン 年齢 チーム 出場試合 出場時間 得点 リバウンド アシスト FG確率 3PT確率 FT確率 スティール ブロック TO
92-93 22 CHH 9 40.8 23.8 9.9 1.4 48.0% 0.0% 77.4% 0.7 3.4 4.1
94-95 24 CHH 4 43.5 22.0 13.3 2.8 42.1% 50.0% 83.7% 0.8 3.3 3.5
95-96 25 MIA 3 30.7 18.0 6.0 1.3 48.6% 71.4% 0.7 1.0 5.3
96-97 26 MIA 17 37.1 17.8 10.2 1.1 49.1% 37.5% 55.5% 0.6 2.7 4.1
97-98 27 MIA 4 34.5 19.3 8.5 1.3 51.8% 65.5% 0.8 2.5 2.0
98-99 28 MIA 5 38.8 21.6 8.2 0.8 52.1% 65.3% 1.6 2.8 2.4
99-00 29 MIA 10 37.6 21.6 10.0 1.4 48.4% 0.0% 66.7% 0.2 3.3 2.4
00-01 30 MIA 3 30.3 11.7 5.3 1.0 48.0% 57.9% 0.0 1.7 1.7
04-05 34 MIA 15 16.9 6.1 4.8 0.3 70.5% 55.8% 0.3 2.2 1.5
05-06 35 MIA 21 10.8 3.8 2.9 0.1 70.3% 66.7% 0.2 1.1 0.8
06-07 36 MIA 4 13.8 6.3 2.0 0.3 90.9% 38.5% 0.0 0.8 0.3

参照:BASKETBALL REFERENCE

 

キャリア序盤以外は全てマイアミ・ヒートでの出場。

特筆すべきはやはりNBA制覇を成し遂げた2005-06シーズンでしょう。

出場時間は1試合平均10.8分と少ないものの、平均1.1ブロックを記録し、シャキール・オニールがベンチに下がっている時間のインサイド支えるバックアップセンターとしてディフェンス面で確かな貢献を果たしました。

 

まとめ

今回はマイアミ・ヒートで活躍したレジェンドセンター「アロンゾ・モーニング」について解説してきましたがいかがでしたか?

センターとしては小柄な身長ながら強靭な肉体と精神力でコートを支配した全盛期。

腎臓疾患による2度の引退から奇跡の完全復活を果たし、悲願のNBAチャンピオンになったキャリア晩年。

波乱のキャリアであったものの持ち前の“熱さ”でファンやチームメイトから愛される、殿堂入りにふさわしい選手であったことは間違いないでしょう。

 

「アロンゾ・モーニングのプレイを見たことがない!」という方は、少し古い映像ではありますがYoutubeなどに動画が載っているのでぜひ一度見てみてください。

意外と繊細なシュートタッチはもちろん、相手をねじ伏せるブロックやその後の雄叫びには鳥肌が立つこと間違いないと思いますよ!

-NBA伝説の男たち