NBA伝説の男たち

【NBA】ビル・ラッセルの功績:選手とコーチの両方で殿堂入りを果たしたその輝かしいキャリアの光と影

現在NBAで最も優勝回数が多いチームであるボストン・セルティックス。(2026年時点、ロサンゼルス・レイカーズと同率1位)

その理由は、1950年代前半から10年以上もの間ある男を中心にボストン・セルティックスが「王朝」を築いたからに違いありません。

その男の名は「ビル・ラッセル」。

 

現役時代に8連覇を含む11度のNBA優勝を果たし、彼が着用していた背番号「6」は歴史上で唯一NBAに所属する全チームが永久欠番にしているというNBA屈指のレジェンドです。

ただ、その輝かしいキャリアの裏には時代の逆風に逆らって進まなければならなかった影の部分があることをご存知でしょうか?

この記事では、そんなビル・ラッセルについて詳しくご紹介していこうと思います。

ビル・ラッセルが残した功績はもちろん、選手像や受賞歴、現役時代のライバル関係に至るまでワクワクする内容を解説していきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!

 

ビル・ラッセル:11度の優勝とアメリカ史上初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチという偉業を果たしたレジェンド

NBAの名門ボストン・セルティックスにおいて選手とコーチの両方で活躍したNBA最古のレジェンド選手である「ビル・ラッセル」。

身長208cm、体重102kgは当時のNBAとしては圧倒的な体格であり、特にディフェンスにおいてはビル・ラッセルの前と後でNBAのレベルが変わったと言われるほどにNBAに革新的な影響をもたらしました。

ビル・ラッセルの偉業と言えばやはり8連覇を含む11度のNBA優勝のイメージが強い方も多いかと思いますが、彼を語る上で「人種差別」という言葉を避けて通ることはできません。

ビル・ラッセルの「アメリカ史上初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチ」という偉業は、その後のアメリカスポーツ全体に大きな影響を与えたと言われているんですよ!

ここからはそんなビル・ラッセルが打ち立てた功績を1つずつ丁寧に解説していきますので、楽しんで見ていってくださいね。

 

所属チーム ボストン・セルティックス(1956-69)
ポジション センター
背番号 6(NBA全チームで永久欠番)
殿堂入り年 2007年

 

ビル・ラッセルの功績その①:史上初、NBAで選手兼コーチとして3シーズン中2度の優勝

ビル・ラッセルの偉大な功績の1つ目は、NBA史上初となる「選手兼コーチ」という立場での2度の優勝です。

1966年にそれまでボストン。セルティックスを率いて8連覇を成し遂げた名称レッド・アワーバックが引退を発表。

その後のセルティックスのヘッドコーチが見つからず、ビル・ラッセルが当時としてはそれほど珍しいものでもなかった「選手兼コーチ」という立場でセルティックスを率いることとなりました。

ビル・ラッセルが選手兼コーチとして活躍したのは1966年~1969年までの3シーズンであり、就任1年目こそウィルト・チェンバレン率いるフィラデルフィア・76ersに敗れて優勝を逃したものの、続く2シーズンで連覇を達成したのです。

正直ボストン・セルティックス自体が強かったというのは否めませんが、ビル・ラッセルほど短い期間に圧倒的な結果を残した人物はいないでしょう。

 

ちなみに、ビル・ラッセルは引退後も1973年〜1977年までの4シーズンでシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)のヘッドコーチ、1987-88シーズンには1シーズンのみサクラメント・キングスのヘッドコーチを歴任しています。

よく「名選手は名コーチになれない」と言われますが、ビル・ラッセルの場合はコーチとしても勝率.540(通算成績341勝290敗)と歴代のヘッドコーチと比較しても悪くはかったと言えるでしょう。

 

ビル・ラッセルの功績その②:人種差別の苦悩の中、アメリカのプロスポーツ界初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチに

NBAでの成功が光の部分の功績とすれば、アメリカのプロスポーツ界初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチとなったことは影の偉業と言えるでしょう。

ビル・ラッセルが活躍した1950年代から1960年代にかけて、アメリカはアフリカ系アメリカ人公民権運動が活発な時期でした。

アフリカ系アメリカ人選手のパイオニアとしてNBAで活躍していたラッセルは歴史に大きな影響を与えた一方で、多くの敵を作ることになってしまったわけです。

 

実際にボストンの地元メディアは、地元に本拠地をおくスポーツ球団のスター選手であるラッセルの活躍をほとんど報道することがなかったようで、ラッセル自身も1950年代から60年代のボストンを「人種差別のフリーマーケット」と表現しています。

引退後もその確執は深く、1972年の永久欠番セレモニーは本人不在の状態で行われたそうです。

 

ただ、1990年代には両者の関係性は和解に向かったようで、1999年5月に永久欠番セレモニーがあらためて本人有りの状態で執り行われました。

ビル・ラッセルという人物の存在は、スポーツだけでなくアメリカ全体の歴史大きな影響を与えたと言えるでしょう。

 

ビル・ラッセルの功績その③史上最多の8連覇を含む通算11度のNBA制覇

ビル・ラッセルの功績の中で最も有名なのが1958-59シーズンから1965-66シーズンまでの驚異の8連覇を含む11度の優勝でしょう。

ラッセルがセルティックに入団したのは1958-59シーズンですから、入団1年目から優勝を果たしているんですね!

この時のボストン・セルティックスはその絶対的な支配力から「王朝」と表現されており、当時所属していた選手たちはラッセルを含む6選手がセルティックスの永久欠番となっています。

 

またこれは豆知識ですが、新設されたのがラッセルの現役最終シーズンだったという理由でビル・ラッセルはNBAファイナルMVPを一度も受賞したことがありません。

現役最終シーズンもボストン・セルティックスが優勝したものの、ファイナルMVPは決勝の相手チームであったロサンゼルス・レイカーズのジェリー・ウェストが受賞しています。

このため、現在のファイナルMVPは2009年に「ビル・ラッセルNBAファイナルMVP」という正式名称が名付けられましたが、言ってしまえば一度も受賞していない選手の名前を冠しているというわけです。

ただこれは、それだけビル・ラッセルという存在が偉大だったと言い換えることもできるでしょう。

 

ビル・ラッセルの功績その④1試合50リバウンドというNBA史上初の怪記録

ビル・ラッセルが残した功績の4つ目は、1960年2月5日のシラキュース・ナショナルズ(現フィラデルフィア・76ers)戦で記録したNBA史上初の1試合50リバウンドという怪記録です。

同年にライバルであったウィルト・チェンバレンが現在でもNBA記録として残っている55リバウンドを獲得しているというのがまた面白いのですが、それでもNBA史上初の達成者がラッセルであることに変わりはありません。

ビル・ラッセルやウィルト・チェンバレンが活躍していた時代は現代ほど選手たちのシュート精度が高くなく、必然的にリバウンドのチャンスが多かったというのも相まって、今後彼らの記録を超える可能性は極めて低いと言えるでしょう。

 

ビル・ラッセルはリーグ2年目の1957-58シーズンに初めてシーズン平均20リバウンド以上を記録(これもNBA史上初)し、そこから10シーズン連続でシーズン平均20リバウンド以上、キャリア平均でも22.5リバウンドという今では考えられないような数字を保持しています。

リバウンドを稼ぎやすいという時代背景があったにしても、ビル・ラッセルのリバウンド能力は当時のNBAの中でも圧倒的だったと言わざるを得ません。

 

ビル・ラッセルの功績その⑤バスケ選手として初の大統領自由勲章を受賞

アメリカ合衆国において国民に贈られる勲章の中でも最高位のものである「大統領自由勲章」。

アメリカ合衆国の安全保障、国益、世界平和、文化活動、またはその他の公的・個人的な努力において、極めて模範的な貢献をした人物に授与されるものであり、過去には人類初の月面着陸者である宇宙飛行士「ニール・アームストロング」やappleの共同創業者である「スティーブ・ジョブズ」などの偉人たちが受賞してきた勲章です。

 

そんな名誉ある賞をバスケ選手として初めて受賞したのがビル・ラッセル。

NBA選手としての実績のみならず、先ほどお伝えしたような公民権運動家としての社会に与えた影響が高く評価されたとのことで、2011年に当時大統領であったのバラク・オバマ氏によって授与されました。

 

史上最高の選手!?ビル・ラッセルの受賞歴

ここでビル・ラッセルがNBAキャリアの中で受賞したチームおよび個人賞を一覧に指定ご紹介していこうと思います。

キャリアのほとんどでNBAを制覇しているビル・ラッセルは個人としてもリーグトップクラスの選手であり、チームの勝利と同時に数々の個人賞も受賞してきました。

また、ビル・ラッセルの時代にはブロックというスタッツ自体がなくブロック王などの受賞歴はありませんが、記録に残っている映像を分析した結果1試合あたり推定8.1ブロックを記録していたとも言われています。

現在のNBA公式記録はユタ・ジャズで活躍したマーク・イートンの平均5.56回ですから、もし記録に残っていたら間違いなく史上最高のディフェンダーの名に恥じないものになっていたことでしょう。

 

【ビル・ラッセル受賞歴】

NBAチャンピオン:11回(1957,1959-66,1968-69)

シーズンMVP:5回(1958,1961-63,1965)

オールNBAチーム
・1stチーム:3回(1959,1963,1965)
・2ndチーム:8回(1957,1960-62,1964,1966-68)

NBAオールディフェンシブチーム
・1stチーム:1回(1969)

リバウンド王:4回(1958,1959,1964,1965)

オールスター選出:12回(1958-69)

 

もう1人の“巨人”ウィルト・チェンバレンとのライバル関係

最後にビル・ラッセルを語る上では外せない、もう1人の“巨人”ウィルト・チェンバレンとのライバル関係についてご紹介しておこうと思います。

NBAファンなら一度は聞いたことがある話題だと思いますが、ビル・ラッセルがNBA入りしたわずか3年後に登場したウィルト・チェンバレンとの対戦は「バトル・オブ・タイタン(巨人の戦い)」とも呼ばれ、当時のNBAを大きく盛り上げる要因となっていました。

 

この2人のライバル関係が注目された要因の1つが、彼ら2人のプレースタイルの対称性。

ビル・ラッセルがディフェンスを中心にブロックやリバウンドで相手を制圧する選手であったのに対し、チェンバレンは稀代のモンスタースコアラーで1試合100得点の伝説も残っている選手でした。

まさに「リバウンド王 vs 得点王」と言ったところでしょうか。

他にもラッセルがチームバスケを好む選手であったのに対し、チェンバレンは心から自分だけが攻撃した方が点が取れると思っていた選手であったなど、NBAとしても盛り上げやすい対決構造だったのだと思います。

優勝の回数を見ればビル・ラッセル、選手個人としての強さを見ればウィルト・チェンバレン。

どちらがNBA選手として上かという議論は、今後も決着がつきそうにありませんね!笑

 

まとめ

NBAで類稀な成功を収め、 数々の功績を残してきたビル・ラッセル。

ただその時代の流れも相まって、コート外では非常に敵の多い生活を送った人物でもあります。

ビル・ラッセルの活躍がなければ、その後のNBAを世界的なリーグまで成長させたマジック・ジョンソンやマイケル・ジョーダン、レブロン・ジェームズなどのスーパースターたちは存在していなかったかもしれません。

 

2022年7月31日に享年88歳で亡くなった際には、これまでNBAで活躍した数々の選手たちからSNSなどで感謝の言葉が届けられていたのが印象的でしたが、きっと我々日本人には想像もつかないような影響をアメリカ全土に与えた証なのだと思います。

ビル・ラッセルはNBA史上最高のプレイヤーではないかもしれませんが、NBA史上最も偉大な人物の1人であることは間違いないと言えるでしょう。

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