歴代屈指の実力をもつシューティングガード「クライド・ドレクスラー」。
「クライド・ザ・グライド」という愛称のもと高い人気を誇っていた一方、あの“バスケの神様”マイケル・ジョーダンと同じ時代に生まれたことでその実力を過小評価されがちな選手でもあります。
ポートランド・ブレイザーズとヒューストン・ロケッツの両方で背番号「22」が永久欠番になっているドレクスラーですが、いったいどのような選手だったのでしょうか?
この記事では苦難を乗り越え悲願の優勝を果たした波瀾万丈のキャリアを始め、クライド・ドレクスラーという選手のプロフィールやプレースタイルなどを詳しくご紹介していきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
クライド・ドレクスラーってどんな選手?プロフィールを紹介
そのグライダーを彷彿とさせる異常な滞空時間から「クライド・ザ・グライド」というカッコ良すぎるニックネームを持つレジェンド「クライド・ドレクスラー」。
時代を代表するシューティングガードでありながら、マイケル・ジョーダンと比較され続けるキャリアを送った選手としても有名です。
12シーズンに渡ってポートランド・トレイルブレイザーズに所属し、チームを2度のNBAファイナルに導きながらブレイザーズに優勝をもたらすことはできず、移籍したヒューストン・ロケッツにてようやくキャリア初のNBAチャンピオンに輝いたというドラマチックなキャリアを歩んだドレクスラー。
個人としてはNBAトップクラスの実力を持ち、キャリア通算12回のオールスター選出、5回のオールNBAチーム選出を経験しています。
2004年にはバスケットボール殿堂入りを果たしたドレクスラーですが、名実ともにその栄誉に相応しいレジェンドと言えるでしょう!
プレースタイル:「The Glide」と呼ばれるほど空中戦に長けたスウィングマンの完成系
バスケットボールにおいて、シューティングガードとスモールフォワードという異なる2つのポジションを高いレベルでこなすことができる選手「スウィングマン」。
身長201cm、体重101kgという恵まれた体格を持ちながら、長い腕と高い身体能力でオフェンス、ディフェンスの両方で存在感を示すクライド・ドレクスラーは、まさにそのスウィングマンの完成系とも言える選手です。
特にその異常な滞空時間と空中で相手をかわしシュートを決める滑らかな動きは滑空するグライダーを彷彿とさせるもので、ファンの間では「クライド・ザ・グライド」というニックネームが付けられるほどでした。
全盛期には「東のジョーダン、西のドレクスラー」と呼ばれるほどの実力者であり、時代を代表する選手でありながら常に謙虚でチームを第一に考える姿は多くの選手やファンを魅了。
マイケル・ジョーダンの影に隠れて過小評価されがちな選手ではありるものの、間違いなく史上最高のシューティングガードの1人と言えるでしょう。
ヒューストン大学時代:マイケル・ジョダーンとのライバル関係の始まり
クライド・ドレクスラーのキャリアを語る上で大学時代のエピソードは外せません。
高校3年性というかなり遅いタイミングでバスケを本格的にはじめたドレクスラーは決して有名な選手ではありませんでしたが、高校時代たまたま同じチームだったマイケル・ヤングという選手の推薦によって運良く地元の超強豪であるヒューストン大学へ進学。
大学で才能を開花させたドレクスラーはすぐにヒューストン大学の中心選手に成長し、2年目のシーズンには後輩になったのちのNBAレジェンド「アキーム・オラジュワン」らと共にファイナル4(全米ベスト4)進出を果たすどのチームを作り上げました。
この年のヒューストン大学はドレクスラーやオラジュワンらが次々にダンクを繰り出すことから「ファイ・スラマ・ジャマ」と呼ばれ、全米から注目されることとなります。
しかし迎えたファイナル4、相手は1年性のマイケル・ジョーダン率いるノースカロライナ大学であり、ここがドレクスラーとジョーダンの初対決かつライバル関係の始まりと言えるでしょう。
結果は敗北。
その年全国優勝を果たして伝説となったジョーダンとは対照的に、ドレクスラーは悔しいシーズン終了となりました。
その後も全国優勝を目指して戦い続けたドレクスラーでしたが、3年次には全国決勝まで進むも格下だったノースカロライナ州立大学にアメリカ大学バスケ史上最大級の番狂せをくらい敗退。
大学最終年となった4年目も準決勝でパトリック・ユーイング率いるジョージタウン大学に敗退し、常に強豪でありながらもついに大学バスケで優勝を果たすことは叶いませんでした。
しかし、間違いなく大学バスケ界でトップクラスの選手として見なされていたドレクスラーは満を持してNBAドラフトにエントリーし、全体14位でポートランド・トレイルブレイザーズに指名を受けてNBAの世界に足を踏み入れるのでした。
NBA時代のストーリー
ヒューストン大学において栄光の時代を築きながらも優勝に手が届かなかったクライド・ドレクスラー。
ここからは、そんな彼が“バスケの神様”と比較されながらもNBAレジェンドになるまでのストーリーをご紹介します。
ブレイザーズにドラフトされチームの中心選手に
確かな才能がありながら大学を優勝させることができなかったことから“勝負弱い”というレッテルを貼られてしまったドレクスラーは、1983年NBAドラフト全体14位という予想よりも低い順位でポートランド・トレイルブレイザーズから指名を受けました。
そんな中ドレクスラーは腐ることなくプレーを続け、徐々にその実力を周囲に認めさせていきます。
NBA2年目にはスタメンに定着したことで出場時間がのびたドレクスラーは、平均得点を倍以上に伸ばすなど飛躍的な成長を遂げブレイザーズのエースにまで成長。
そこから6年間に渡ってブレイザーズを支え続けますが、チーム自体は毎年プレイオフに出場しながらも早々に退場するシーズンを繰り返すことになってしまいます。
なかなか勝てないチームのエースとして重圧の中にあったドレクスラーでしたが、そんなチームが生まれ変わる転機となったのが新たにヘッドコーチとなった「リック・アデルマン」でした。
NBAファイナルに到達するもジョーダンに敗れる
リック・アデルマンが就任した1989-90シーズンからより自由度の高い「リード&リアクト」という戦術で戦うようになったブレイザーズは瞬く間に強豪チームへと生まれ変わります。
破竹の勢いでいきなりNBAファイナルまで勝ち進んだブレイザーズはこの年2連覇を果たすデトロイト・ピストンズに1勝4敗で乾杯するものの、その敗北が経験となりその後3年間に渡ってカンファレンス・ファイナル進出以上の成績を残し続けたのです。
ただ、3度目の正直として臨んだ1991-92シーズンのNBAファイナル、ドレクスラーにとっては屈辱となる戦いに挑むこととなります。
NBAファイナルで待ち構えていたのはマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズだったのです。
この戦いはジョーダンとドレクスラーの「東西最強シューティングガード対決」として非常に注目されましたが、NBAファイナル全体を通じてドレクスラーが平均24.8得点だったのに対しジョーダンは平均35.8得点を記録し、結果も2勝4敗でシカゴ・ブルズに敗北。
両者共に全盛期を迎える時期であり、完全な格付けをされる形となってしまったのです。
ブレイザーズとの別れとロケッツでの初の栄光
1991-92年のNBAファイナルを最後に怪我や新戦力の台頭によってパフォーマンスが低下したドレクスラーは、ついに12シーズンをプレーしたポートランド・ブレイザーズに別れを告げることとなります。
移籍先として選んだのは地元テキサス州ヒューストンに本拠地を置くヒューストン・ロケッツでした。
大学時代にチームメイトだったアキーム・オラジュワンと再開を果たしたドレクスラーは再びパフォーマンスを取り戻し、チームの2番手として躍動。
第6シードながらプレイオフでは番狂せを繰り返し、奇跡のNBAファイナル進出を果たしたのです。
NBAファイナルでは若きシャキール・オニールとペニー・ハーダウェイ率いるオーランド・マジックとの対決となりましたが、勢いに乗ったロケッツはなんと4勝0敗の無傷で完勝。
ドレクスラーはついに念願のNBA優勝という栄冠を勝ち取ったのでした。
その後2シーズンをロケッツで過ごしたドレクスラーは引退を表明。
終わってみればキャリア通算20,000得点、6,000アシスト、6,000リバウンドを達成しており、これはNBA史上4人しかいない偉業でした。
ドレクスラーが着用した背番号「22」はポートランド・トレイルブレイザーズとヒューストン・ロケッツの両方で永久欠番となっています。
2004年にバスケットボール殿堂入りを果たしたドレクスラーは、名実ともにその栄誉に相応しい選手だったと言えるでしょう。
クライド・ドレクスラーのキャリアスタッツ
最後に、クライド・ドレクスラーのキャリア・スタッツを「レギュラーシーズン」と「プレイオフ」とに分けてご紹介しようと思います。
レギュラーシーズン(1983-84シーズン)
| シーズン | チーム | 出場試合 | 先発出場 | 出場時間 | FG% | 3P% | FT% | リバウンド | アシスト | スティール | ブロック | ターンオーバー | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1983–84 | POR | 82 | 3 | 17.2 | .451 | .250 | .728 | 2.9 | 1.9 | 1.3 | .4 | 1.5 | 7.7 |
| 1984–85 | 80 | 43 | 31.9 | .494 | .216 | .759 | 6.0 | 5.5 | 2.2 | .9 | 2.8 | 17.2 | |
| 1985–86 | 75 | 58 | 34.3 | .475 | .200 | .769 | 5.6 | 8.0 | 2.6 | .6 | 3.8 | 18.5 | |
| 1986–87 | 82 | 82 | 38.0 | .502 | .234 | .760 | 6.3 | 6.9 | 2.5 | .9 | 3.1 | 21.7 | |
| 1987–88 | 81 | 80 | 37.8 | .506 | .212 | .811 | 6.6 | 5.8 | 2.5 | .6 | 2.9 | 27.0 | |
| 1988–89 | 78 | 78 | 39.3 | .496 | .260 | .799 | 7.9 | 5.8 | 2.7 | .7 | 3.2 | 27.2 | |
| 1989–90 | 73 | 73 | 36.8 | .494 | .283 | .774 | 6.9 | 5.9 | 2.0 | .7 | 2.6 | 23.3 | |
| 1990–91 | 82 | 82 | 34.8 | .482 | .319 | .794 | 6.7 | 6.0 | 1.8 | .7 | 2.8 | 21.5 | |
| 1991–92 | 76 | 76 | 36.2 | .470 | .337 | .794 | 6.6 | 6.7 | 1.8 | .9 | 3.2 | 25.0 | |
| 1992–93 | 49 | 49 | 34.1 | .429 | .233 | .839 | 6.3 | 5.7 | 1.9 | .8 | 2.3 | 19.9 | |
| 1993–94 | 68 | 68 | 34.3 | .428 | .324 | .777 | 6.5 | 4.9 | 1.4 | .5 | 2.5 | 19.2 | |
| 1994–95 | 41 | 41 | 34.8 | .428 | .363 | .835 | 5.7 | 5.1 | 1.8 | .5 | 2.4 | 22.0 | |
| HOU | 35 | 34 | 37.1 | .506 | .357 | .809 | 7.0 | 4.4 | 1.8 | .7 | 2.5 | 21.4 | |
| 1995–96 | 52 | 51 | 38.4 | .433 | .332 | .784 | 7.2 | 5.8 | 2.0 | .5 | 2.6 | 19.3 | |
| 1996–97 | 62 | 62 | 36.6 | .442 | .355 | .750 | 6.0 | 5.7 | 1.9 | .6 | 2.5 | 18.0 | |
| 1997–98 | 70 | 70 | 35.3 | .427 | .317 | .801 | 4.9 | 5.5 | 1.8 | .6 | 2.7 | 18.4 | |
| 通算 | 1,086 | 950 | 34.6 | .472 | .318 | .788 | 6.1 | 5.6 | 2.0 | .7 | 2.7 | 20.4 | |
ポートランド・トレイルブレイザーズで11.5シーズン、ロケッツで3.5シーズンを過ごしたドレクスラーでしたが、ロケッツに移籍した途端にNBA優勝を果たしているのですから人生は分からないものです。
特別秀でたシーズンがあるわけではありませんが、合計15シーズンという長いキャリアの中で常に同じような成績を残し続けるというのは簡単ではありません。
高いレベルで長く活躍し続ける継続力こそが通算20,000得点、6,000アシスト、6,000リバウンドという偉業したドレクスラーの1番の凄みと言えるかもしれませんね!
プレイオフ(計15シーズン)
| シーズン | チーム | 出場試合 | 先発出場 | 出場時間 | FG% | 3P% | FT% | リバウンド | アシスト | スティール | ブロック | ターンオーバー | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1984 | POR | 5 | - | 17.0 | .429 | .000 | .857 | 3.4 | 1.6 | 1.0 | .2 | 1.4 | 7.2 |
| 1985 | 9 | 9 | 37.7 | .410 | .286 | .844 | 6.1 | 9.2 | 2.6 | 1.0 | 3.2 | 16.7 | |
| 1986 | 4 | 4 | 36.3 | .456 | .400 | .783 | 6.3 | 6.5 | 1.5 | .8 | 4.8 | 18.0 | |
| 1987 | 4 | 4 | 38.3 | .456 | .250 | .793 | 7.5 | 3.8 | 1.8 | .8 | 1.5 | 24.0 | |
| 1988 | 4 | 4 | 42.5 | .386 | .500 | .724 | 7.0 | 5.3 | 3.0 | .5 | 3.0 | 22.0 | |
| 1989 | 3 | 3 | 42.7 | .493 | .000 | .765 | 6.7 | 8.3 | 2.0 | .7 | 4.0 | 27.7 | |
| 1990 | 21 | 21 | 40.6 | .441 | .220 | .774 | 7.2 | 7.1 | 2.5 | .9 | 3.8 | 21.4 | |
| 1991 | 16 | 16 | 39.6 | .476 | .268 | .776 | 8.1 | 8.1 | 2.1 | 1.0 | 3.2 | 21.7 | |
| 1992 | 21 | 21 | 40.3 | .466 | .235 | .807 | 7.4 | 7.0 | 1.5 | 1.0 | 2.8 | 26.3 | |
| 1993 | 3 | 3 | 38.7 | .419 | .417 | .800 | 6.3 | 4.7 | 1.7 | 1.0 | 1.0 | 19.0 | |
| 1994 | 4 | 4 | 39.3 | .425 | .231 | .826 | 10.3 | 5.5 | 2.0 | .5 | 2.3 | 21.0 | |
| 1995 | HOU | 22 | 22 | 38.6 | .481 | .303 | .786 | 7.0 | 5.0 | 1.5 | .7 | 2.0 | 20.5 |
| 1996 | 8 | 8 | 36.5 | .415 | .265 | .765 | 7.8 | 5.0 | 2.6 | .5 | 2.5 | 16.6 | |
| 1997 | 16 | 16 | 38.9 | .436 | .373 | .778 | 5.6 | 4.8 | 1.6 | .4 | 2.3 | 18.1 | |
| 1998 | 5 | 5 | 36.4 | .309 | .192 | .757 | 5.4 | 4.6 | 1.6 | .6 | 2.6 | 15.0 |
なんとNBAキャリアの全シーズンでプレイオフに進出しているクライド・ドレクスラー。
プレイオフで実績を残したのはブレイザーズ時代の1990年〜1992年の3年間とロケッツで優勝した1995年くらいでしたが、控えからの出場となったルーキーシーズンを除けばずっと平均15得点以上を叩き出しているあたり、その得点力がいかに優れていたかが分かりますね。
まとめ
”クライド・ザ・グライド”の愛称で親しまれた「クライド・ドレクスラー」。
マイケル・ジョーダンという強すぎる光のせいで影に隠れがちではあるものの、間違いなく時代を代表する選手の1人です。
NBAトップクラスの実力を持ちながらもなかなか実績を残すことができなかったキャリア序盤。
ジョーダンの影を踏まされる形で優勝になかなか手が届かなかったキャリア全盛期。
それでもなお諦めず、移籍先のロケッツで勝ち取った自身初のNBA優勝。
非常にドラマチックな人生だと思います。
異常な滞空時間から繰り出されるダンクはもはや芸術の域であり、NBAの歴史上でもクライド・ドレクスラーに並ぶダンカーは数えるほどしかいないでしょう。
もしクライド・ドレクスラーのプレイを見たことがないという方は、YouTubeなどに動画がたくさん上がっていますのでぜひ一度見てみてくださいね!