数々の芸術的ダンクを生み出したことで知られる「ジュリアス・アービング」。
バスケットボールの発程に多大な影響をもたらしたレジェンドであり、NBAファンなら一度は聞いたことがあるほどの選手ですが、実際にプレーしていたのがかなり昔ということもあってその実力については知らない方も多いのではないでしょうか?
そこでこの記事では、そんなジュリアス・アービングがどんな選手だったのかを詳しくご紹介していこうと思います。
彼が残した功績や伝説的なプレーなどを交えてジュリアス・アービングの魅力を存分に語っていこうと思いますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
“Dr.J”の愛称で親しまれたダンクの始祖
“Dr.J(ドクターJ)”の愛称で親しまれ、脅威的なジャンプ力から繰り出される芸術的なダンクシュートと共にバスケの常識を変えたレジェンド「ジュリアス・アービング」。
硬派で戦術を重視する当時のNBAにエンターテイメント性をもたらした第一人者であり、マイケル・ジョーダンをはじめとした多くのバスケプレイヤーに多大な影響を与えたことでも知られています。
ABAというNBA以外のプロリーグでキャリアをスタートし、そこで3年連続シーズンMVPを受賞するなど明確なリーグNo.1選手となったアービングは、ABAが消滅してNBAに所属するようになってからもリーグ屈指の実力者として活躍。
チームとしてはNBA優勝まであと一歩届かないシーズンを送るも、個人としてはキャリアすべての年でオールスター選出を果たすなど活躍し続け、キャリア晩年の1983年にようやく悲願の優勝を掴み取りました。
フィラデルフィアで行われた引退パレードには3万人の観衆が訪れるなど多くのファンに愛された選手であり、彼が残した功績を讃え、ABA時代に所属した「ブルックリン・ネッツ(旧ニュージャージー・ネッツ)」と「フィラデルフィア・76ers」では着用した「32」と「6」がそれぞれ永久欠番となっています。
【ジュリアス・アービングの主な功績】
NBAチャンピオン:1回(1983)
シーズンMVP:1回(1981)
オールスター;11回(1977〜1987)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:5回(1978, 1980〜1983)
・セカンドチーム:2回(1977, 1984)
圧倒的強さで成し遂げた1983年のNBA優勝
ジュリアス・アービングのキャリアにおいて唯一のNBA優勝となったのが1983年。
それまでアービングに並ぶスーパースターがいなかったことでプレイオフで勝ちきれないシーズンが続いていたフィラデルフィア76ersは、1982年のオフに前年のシーズンMVPに輝いたモーゼス・マローンを獲得するという暴挙に出ます。
ジュリアス・アービングとモーゼス・マローンという夢のデュオを結成したチームは、破竹の勢いでレギュラーシーズン65勝17敗を記録してプレイオフに進出。
プレイオフ直前のインタビューではモーゼス・マローンの口から「Fo, Fo, and Fo」という伝説の名言も飛び出し、その勢いのままにプレイオフ12勝1敗と全く他を寄せ付けることなく優勝を果たしたのです。
残念ながらこのチームはジュリアス・アービングの衰えやモーゼス・マローンの移籍などによって衰退していってしまいますが、1983年のフィラアデルフィア・76ersは現在でも歴代屈指の強豪チームとして語り継がれています。
ジュリアス・アービングを象徴する伝説的プレー3選
ここまで読んでいただいた方々はジュリアス・アービングの偉大さがご理解いただけたはず。
続いては、そんなアービングを象徴する伝説的プレーを通じて彼の凄さをより感じていただこうと思います。
その①:“Rock the Baby(ロック・ザ・ベイビー)”
まず初めにご紹介するのは、ジュリアス・アービングが残した最も有名なダンクである「Rock the Baby(ロック・ザ・ベイビー)」。
ボールを片手で掴んでゆりかごのように振りながら豪快に叩き込むダンクシュートであり、その見た目が赤ちゃんをあやしているようであることから名付けられました。
このダンクが披露されたのは1983年1月4日に行われたロサンゼルス・レイカーズ戦。
その美しいシュートフォームはもちろんですが、ダンクをする際に歴代屈指のディフェンダー「マイケル・クーパー」の上から叩き込んでいるというのも高ポイントです。
このシーンはNBAの歴史でも必ずハイライトに選ばれるほどに有名ですので、まだ見たことがないという方はぜひ動画も探してみてくださいね!
その②:フリースローライン・ダンク
2つ目にご紹介するのは、アービングが1976年に行われた第一回ダンクコンテストで披露した「フリースローライン・ダンク」。
別名「レーンアップ」とも呼ばれ、その名の通りフリースローラインの位置から踏み切ってダンクをするというごく一部の脅威的なジャンプ力を持った選手にのみ許された神業です。
のちにマイケル・ジョーダンが真似をしたことで有名なこのダンクですが、初めてこの技を披露したのはジュリアス・アービング。
このダンクもあって見事優勝を果たしたアービングは、ダンクコンテスト初代王者という栄冠に輝いたのです。
その③:”The Scoop(ザ・スクープ)”
3つ目にご紹介するのは、ジュリアス・アービング史上最も衝撃的なプレーである「The Scoop(ザ・スクープ)」。
“ベースラインムーブ”と称されることもあるこの一連の動きは、アービングの滞空時間の長さと空中でもバランス感覚の高さを象徴するシーンとして語り継がれています。
この動きを簡単にご紹介すると、左のコーナーでボールを受け取ったアービングがゴール手前でジャンプをし、空中でディフェンダー2人をかわしながらもバックボードの裏からリバースレイアップを決めるというもの。
この物理法則を無視するかのようなプレーは当時の選手やファンにも大きな衝撃を与え、のちに登場するバッシュ「Converse Pro Leather(コンバース プロレザー)」の限定カラーの名称として採用されるほどにジュリアス・アービングの代名詞的な動きとなったのです。
着用していたバッシュは?シグネチャーモデルはある?
プレーだけでなくカルチャーの面でも大きな影響力を持っていたジュリアス・アービングは、NBAにおける「シグネチャーモデル」の文化を作った選手としても知られています。
時代を代表するスター選手だったアービングに対してコンバース(Converse)が作成した初のシグネチャーモデルこそ、かの有名な「プロレザー(Pro Leather)」なんです。
キャンバス(帆布)素材が主流だった当時のバッシュ界において初のレザー素材の本格派シューズとして登場したプロレザー(Pro Leather)は、軽量ながらにプロのハードなプレイに耐えうる耐久性を持ったモデルとして爆発的な人気を博しました。
ジュリアス・アービングのシグネチャーモデルとなった赤と白を基調としたカラーは「The Scoop(ザ・スクープ)」と名付けられ、何度も復刻版が発売されるなど、現在でもファンの間で根強い人気を誇る一足となっています。
まとめ
芸術的なダンクシュートによってバスケの常識を覆し、後世のバスケットボールプレイヤーたちにプレーや文化の面で多大な影響を与えたレジェンド「ジュリアス・アービング」。
彼がいなければ私たちが今見ているバスケットボールはもっとつまらなかったかもしれないと思うと、その影響力の大きさは計り知れませんね、、、。
1970年代〜80年代にかけて活躍した選手とあって残っているジュリアス・アービングの映像はどれも白黒に近いものばかりですが、そのプレーは現代バスケでも通用するほどに新しく見えるわけですから不思議です。
この記事でもご紹介した3つの伝説的プレーは、ぜひ一度は映像で見ていただきたいですね!