皆さんこんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。
これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。
一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。
その確率は脅威の0.0001%。
例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。
そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。
本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。
そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。
特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。
その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。
今回はその中から「NBAファイナル1959 ボストン・セルティックス VS ミネアポリス・レイカーズ」の対決をご紹介しましょう!
NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!
それではティップオフ!!
目次
NBAファイナル1959に出場したチームの背景を知ろう!
1959年NBAファイナルはイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ボストン・セルティックス」とウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「ミネアポリス・レイカーズ」の戦いでした。
まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!
ボストン・セルティックス
1958-59シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 52勝20敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 4勝3敗(VS シラキュース・ナショナルズ) |
「ボストン・セルティックス」はマサチューセッツ州ボストンに拠点を置くチームです。
エースは「ビル・ラッセル」。
レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝で を要する「シラキュース・ナショナルズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。
この年優勝を果たしたボストン・セルティックスがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!
ミネアポリス・レイカーズ
1958-59シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 33勝39敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | 2勝1敗(VS デトロイト・ピストンズ) |
カンファレンス・ファイナル | 4勝2敗(VS セントルイス・ホークス) |
「ミネアポリス・レイカーズ」は に拠点を置くチームです。
エースは「エルジン・ベイラー」。
レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフでは準決勝でジョージ・ヤードリー率いる「デトロイト・ピストンズ」を、カンファレンス決勝でボブ・ペティットを要する「セントルイス・ホークス」を倒し、NBAファイナルに進みました。
NBAファイナル1959の出場選手・ロスター
次にNBAファイナル1959で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!
ボストン・セルティックスの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PF | 16 | ベニー・スウェイン(Bennie Swain) | 203 | 100 | 1933年12月16日 |
C | 6 | ビル・ラッセル(Bill Russell) | 208 | 98 | 1934年2月12日 |
SG | 21 | ビル・シャーマン(Bill Sharman) | 185 | 79 | 1926年5月25日 |
PG | 14 | ボブ・クージー(Bob Cousy) | 185 | 79 | 1928年8月9日 |
SG | 23 | フランク・ラムゼィ(Frank Ramsey) | 191 | 86 | 1931年7月13日 |
PF | 17 | ジーン・コンリー(Gene Conley) | 203 | 102 | 1930年11月10日 |
SF | 18 | ジム・ロスカトフ(Jim Loscutoff) | 196 | 100 | 1930年2月4日 |
PG | 25, 27 | K・C・ジョーンズ(K.C. Jones) | 185 | 91 | 1932年5月25日 |
SF | 20 | ルー・ツィオロプロス(Lou Tsioropoulos) | 196 | 86 | 1930年8月31日 |
SF | 24 | サム・ジョーンズ(Sam Jones) | 193 | 90 | 1933年6月24日 |
PF | 15 | トム・ヘインソーン(Tom Heinsohn) | 201 | 99 | 1934年8月26日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
ミネアポリス・レイカーズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PF | 12, 23 | ブー・エリス(Boo Ellis) | 196 | 84 | 1936年2月11日 |
SG | 16 | ディック・ガーメイカー(Dick Garmaker) | 191 | 91 | 1932年10月29日 |
SG | 50 | エド・フレミング(Ed Fleming) | 191 | 86 | 1933年7月25日 |
SF | 22 | エルジン・ベイラー(Elgin Baylor) | 196 | 102 | 1934年9月16日 |
PG | 33 | ホット・ロッド・ハンドリー(Hot Rod Hundley) | 193 | 84 | 1934年10月26日 |
C | 32 | ジム・クレープス(Jim Krebs) | 203 | 104 | 1935年9月8日 |
C | 14 | ラリー・ファウスト(Larry Foust) | 206 | 98 | 1928年6月24日 |
PG | 21 | スリック・レナード(Slick Leonard) | 191 | 84 | 1932年7月17日 |
SF | 30 | スティーブ・ハミルトン(Steve Hamilton) | 198 | 86 | 1934年11月30日 |
PF | 19 | ヴァーン・ミッケルセン(Vern Mikkelsen) | 201 | 104 | 1928年10月21日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
NBAファイナル1959のシリーズ概要
それではいよいよNBAファイナル1959の試合の結果を見ていきましょう!
1958-59シーズンのNBAチャンピオンは「ボストン・セルティクス」。
チームとしては2年ぶり2回目の優勝となりました。
対戦成績は4勝0敗。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 4月4日 | ミネアポリス・レイカーズ | 115-118 | ボストン・セルティクス |
2 | 4月5日 | ミネアポリス・レイカーズ | 108-128 | ボストン・セルティクス |
3 | 4月7日 | ボストン・セルティクス | 123-110 | ミネアポリス・レイカーズ |
4 | 4月9日 | ボストン・セルティクス | 118-113 | ミネアポリス・レイカーズ |
NBAファイナル1959の試合の概要
ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。
セルティクスの8連覇が始まったシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!
第1戦(115-118 ボストン・セルティクス Win)
NBAファイナルの1回戦はボストン・セルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」で始まりました。
セルティクスとレイカーズがファイナルの舞台で相対した最初の年となります。
後に東西のライバル関係となっていく両者の初戦は、1年ぶりの優勝を狙う強豪セルティクスに大型新人のエルジン・ベイラー率いる新生レイカーズが挑むという構図に。
初戦はファイナル初出場のエルジン・ベイラーが34得点11リバウンド4アシストを記録し、ほぼ独力でセルティクスと接戦を繰り広げます。
第2Qにセルティクスがリードを広げるものの、第3Qはレイカーズが反撃し、84-84の同点で第4Qに突入。
最終Qは殴り合いの激戦となりますが、よりタレントの揃ったセルティクスがわずかに上回り勝利しました。
セルティクスのチームハイはフランク・ラムジーの29得点でした。
第2戦(108-128 ボストン・セルティクス Win)
セルティクスリードで迎えた第2戦。
第1戦まさかの大接戦に持ち込まれたセルティクスはベイラーを警戒し、彼にディフェンスを集中させます。
流石のベイラーもリーグ屈指のディフェンス力を誇るセルティクスにがっちり固められては大量得点は難しく、13得点12リバウンドに抑え込まれます。
本来であればその穴は他の選手が埋める必要があるのですが、この日のレイカーズにそれをできる選手はおらず、試合はセルティクスが前半から24点差をつけ圧倒。
後半にレイカーズの意地の反撃があるもののそれを軽くあしらい、第4Q中盤にはすでにセルティクスが2連勝を決定づけました。
セルティクスのチームハイはビル・シャーマンの28得点でした。
第3戦(123-110 ボストン・セルティクス Win)
セルティクスの2連勝で迎えた第3戦。
舞台はミネアポリス・レイカーズのホーム「セントポール聖堂」に移ります。
レイカーズの5年ぶりのファイナル出場にファンは応援に駆けつけましたが、この期待はすぐにセルティクスに打ち砕かれることとなります。
セルティクスは第2戦と同様ベイラーに集中したディフェンスを展開しレイカーズのオフェンスを停滞させると、すかさず点差を広げて有利に試合を進めます。
レイカーズは若きエースの負担を軽減するためにラリー・ファウストやスリック・レナードが奮闘しますが、どうしてもタレント不足は否めずセルティクスに押し切られる結果となりました。
セルティクスが3連勝で早くも優勝に王手をかけ勝負は第4戦へ向かいます。
第4戦(116-113 ボストン・セルティクス Win)
運命の第4戦。
舞台は変わらずレイカーズのホーム「セントポール聖堂」。
3連敗で崖っぷちとなったレイカーズは、ホームで相手の優勝を決められることだけは避けるために選手たちが奮闘。
ここまでの3戦とは違い、セルティクスに大きく話されることなく前半を64-62のわずか2点ビハインドで折り返します。
勝機ありとみたレイカーズは後半も勢いを落とさず、第3Qに1点を縮めて1点差で第4Qに突入。
迎えた最後の12分間は互いに点の取り合いになり、流れは確実にホームのレイカーズが握っていたもののセルティクスも淡々と得点を撮り続け点差が開かずに試合は終盤へ向かいます。
レイカーズ勝利があるかと思われましたが、最後はセルティクスが得意のデイフェンスで強さをみせ、速攻からの得点で勝負を決めてしまいました。
この日セルティクスはビル・ラッセルが15得点30リバウンド、ボブ・クージーが11得点8リバウンド11アシスト、ビル・シャーマンが29得点とそれぞれが持ち味を発揮し勝利を掴みました。
一方レイカーズはベイラーが30得点14リバウンドを記録。
4連敗で負けはしたもののベイラーはファイナルにおいても終始新人離れしたスコアを記録しており、彼を中心としたチーム作りでレイカーズの未来が明るいことは誰の目にも明らかでした。
これによりセルティクスが1年ぶりにNBA王者に返り咲きました。
まとめ
今回は「NBAファイナル1959 ボストン・セルティックス VS ミネアポリス・レイカーズ」の対決をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
NBAファイナルが4勝0敗で決着したのはこれが史上初の出来事となります。
レイカーズはここから大型新人を次々と獲得し、一気に西の強豪へと成長していくこととなります。
一方セルティクスはこの優勝が前人未到の大記録への出発点となりました。
やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!
他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!