こんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
皆さん、NBA観戦を楽しんでいますか?
NBAは非常に魅力の多いリーグですので楽しみ方はファンの数だけあると思いますが、その一つが”推しチームを応援すること”ですよね!
推しチームが決まっていると、そのチームの成績、所属している選手の成長、ドラフトの順位、トレードの内容などイベントのたびに楽しみが増え、NBA観戦がより楽しいものになること間違いありません!
では推しのチームはどのようにして決めればいいのでしょうか?
その方法はズバリ、チームについてよく知ることです。
チームの歴史や文化、現在所属している選手や過去に所属していた選手などの情報を知れば、きっとあなたにあったチームが見つかるはずです。
そこで今回は、チームの歴史の1つである「永久欠番」についてご紹介していこうと思います。
永久欠番とは、バスケットボールやNBAの歴史において多大な功績を残してきた人物の使用していた背番号を、その人物の功績を称えそのチームにおいてはその人物以外が使用することができないようにしたものです。
永久欠番を知れば、そのチームの最も輝いてた時代を知ることができますよ!
今回ご紹介するチームは”オクラホマシティ・サンダー”です。
もちろん他の29チームについても同様の記事がございますので、ぜひそちらもごらんください!
それではティップオフ!!
目次
オクラホマシティ・サンダーの永久欠番
それでは早速、オクラホマシティ・サンダーの永久欠番となっている番号とその番号をつけていた人物について見ていきましょう!
オクラホマシティ・サンダーでは8個の背番号を永久欠番としています。(オクラホマシティ・サンダーの選手7名+ビル・ラッセル)
1人ずつ詳しくご紹介していきます!
#1 ガス・ウィリアムズ(Gus Williams)
ガス・ウィリアムズはキャリアの全盛期をシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)でプレイし、1979年の優勝に大きく貢献した選手です。
ポジション:ポイントガード
在籍期間:1977年〜1984年
式典日:2004年3月26日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1979年) |
NBAオールスター | 2回(1982年, 1983年) |
オールNBA | ファーストチーム(1982年) セカンドチーム(1980年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1976年) |
#4 ニック・コリソン(Nick Collison)
ニック・コリソンは2003年にドラフト12位でシアトル・スーパーソニックスにドラフトされ、チームがオクラホマシティ・サンダーとなった後も一途に15シーズンもの間所属し続けた選手です。
個人賞の受賞やオールスターへの選出などはなかったものの長期にわたって変遷期のサンダーを支え続けた功績を称え背番号の4番が永久欠番となりました。
ポジション:パワーフォワード/センター
在籍期間:2003年〜2018年
式典日:2019年3月20日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
その他 | 特になし |
#10 ネイト・マクミラン(Nate McMillan)
ネイト・マクミランは1986年にドラフト30位でシアトル・スーパーソニックスに指名されてNBA入りを果たし、12シーズンもの間主にディフェンス面でチームに貢献し続けた選手です。
1度のスティール王に2度のオールディフェンシブチームとチームのエースディフェンダーでありながら、1試合25アシストというNBA記録も樹立するなどガードとしての能力も優れた選手でした。
ポジション:ポイントガード/シューティングガード
在籍期間:1986年〜1998年
式典日:1999年3月24日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回 |
オールディフェンシブ | セカンドチーム×2(1994年, 1995年) |
その他 | スティール王(1994年) |
#19 レニー・ウィルケンズ(Lenny Wilkens)
レニー・ウィルケンズは選手としては9度のオールスター選出、1度のアシスト王を受賞する優れたポイントガードであり、引退後もコーチとして1,300勝以上を上げるなど成功を収めた人物です。
1979年にはヘッドコーチとしてシアトル・スーパーソニックスのNBA優勝に大きく貢献しました。
ポジション: ポイントガード、ヘッドコーチ
在籍期間:1968年〜1972年
式典日:1979年10月19日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回 |
NBAオールスター | 9回(1963年〜1965年, 1967年〜1971年, 1973年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1971年) |
その他 | 最優秀コーチ賞(1994年) アシスト王(1970年) |
#24 スペンサー・ヘイウッド(Spencer Haywood)
スペンサー・ヘイウッドはABAからNBAに移籍した最初の選手であり、21歳という当時では異例の若さでNBA入りしたことでNBAのアーリーエントリー制のきっかけとなった人物です。
シアトル・スーパーソニックスではNBA最初の5シーズンを過ごし、チーム史上初のプレーオフ進出に大きく貢献しました。
ポジション:パワーフォワード
在籍期間:1970年〜1975年
式典日:2007年2月26日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1980年) |
NBAシーズンMVP | 1回(1970年) |
NBAオールスター | 5回(1970年, 1972年〜1975年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1970年) |
オールNBA | ファーストチーム×3(1970年, 1972年, 1973年) セカンドチーム×2(1974年, 1975年) |
その他 | 得点王(1970年) リバウンド王(1970年) 新人王(1970年) オールルーキーファーストチーム(1970年) |
#32 フレッド・ブラウン(Fred Brown)
フレッド・ブラウンは1971年にドラフト6位でシアトル・スーパーソニックスに指名されてNBA入りを果たすと、その後のキャリアの全てをシアトル・スーパーソニックス1筋でプレイした選手です。
ロングレンジからのシュートを得意としており、1979年に導入されたスリーポイントシュートの成功率で初代1位に輝いたという実績も残しています。
ポジション:ポイントガード
在籍期間:1971年〜1984年
式典日:1986年11月6日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1979年) |
NBAオールスター | 1回(1976年) |
その他 | 特になし |
#43 ジャック・シクマ(Jack Sikma)
ジャック・シクマは1980年代を代表するビッグマンの1人であり、現代の”ストレッチ5”の先駆けとなった選手。
シアトル・スーパーソニックスで過ごした9シーズンのうちに7度のオールスター選出を受けるなど個人としても優れた能力を持っており、1979年のNBA優勝にも大きく貢献しました。
ポジション:センター
在籍期間:1977年〜1986年
式典日:1992年11月21日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1979年) |
NBAオールスター | 7回(1979年〜1985年) |
オールディフェンシブ | セカンドチーム(1982年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1978年) |
全30チームで永久欠番となった”#6 ビル・ラッセル”
NBAで前人未到の11度の優勝を果たした”ビル・ラッセル”はバスケットボールのみならずアメリカ史上最も偉大なアスリートの1人です。
ビル・ラッセル以前のNBAおよびアメリカのスポーツ界は白人中心の文化が根強く、黒人選手は迫害されていました。
しかし、ビル・ラッセルはその圧倒的な実力と実績を持ってファンを熱狂させ、NBA史上初の黒人のNBAスター選手となることで、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させました。
また、現役中にも関わらずボストン・セルティクスにて選手権ヘッドコーチに就任し、アメリカ4大メジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチとなりました。
彼の選手として、および公民権運動家としての功績を称え、2009年にファイナルMVPの正式名称を”ビル・ラッセル・NBAファイナルMVP”に変更されています。
また、2022年8月11日には同年7月31日に死去した彼に敬意を表し、背番号#6が30チーム全てで永久欠番になることが発表されました。
まとめ
今回は「オクラホマシティ・サンダーの永久欠番」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
最初にもご紹介しましたが、他の29チームについても同様の記事がございますでぜひそちらの記事もご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!