2021年にNBA公式から発表された「NBA75周年記念チーム」にも選出されている正真正銘のNBAレジェンド「ポール・アリジン」。
選手として様々な功績を残したアリジンですが、活躍したのが昔すぎるのもあって、今NBAを見ている方のほとんどがその現役時代を深く知らないのではないでしょうか?
そこでこの記事では、そんな「ポール・アリジン」がいったいどんな選手なのかを詳しくご紹介していこうと思います。
彼が残した功績やプレーの特徴などをもとに、ポール・アリジンという男がなぜNBAレジェンドと称される理由を語っていきますので、ぜひ一緒に彼の偉大なキャリアを振り返っていきましょう!
目次
"ジャンプシュート”で革命を起こしたウォリアーズ一筋の点取り屋
ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれ、1950年NBAドラフトにて地元チームであるフィラデルフィア・ウォリアーズ(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)からの地域指名を受けてプロキャリアをスタートさせた「ポール・アリジン」。
1950年代〜60年代前半という黎明期のNBAを牽引したスーパースターの1人であり、ウォリアーズ一筋で過ごした15シーズンのキャリアの中で2回も「得点王」を受賞するなど、リーグを代表する“点取り屋”として活躍しました。
僕が個人的にポール・アリジンの最大の功績だと思っているのが、NBAに"ジャンプシュート”という革命的な概念をもたらしたこと。
詳しくは後で説明しますが、1950年代以前のバスケでは両足を地面に着けてシュートを放つのが常識であり、現代バスケでは当たり前になっている“ジャンプシュート”はポール・アリジンが普及させるまで誰も使っていなかったんだそうです。
地元フィラデルフィアへの愛が強すぎて、チームが本拠地をサンフランシスコに移転するタイミングに合わせて引退を表明するという珍しいキャリアの終わり方を選択した選手ではありますが、彼がNBAに残した功績や影響力は「NBAレジェンド」と呼ぶに相応しいものだったと言えるでしょう!
【NBA時代の主な功績】
NBAチャンピオン:1回(1956)
オールスター:10回(1951, 1952, 1955〜1962)
オールスターゲームMVP:1回(1952)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:3回(1952, 1956, 1957)
・セカンドチーム:1回(1959)
得点王:2回(1952, 1957)
ウォリアーズを10年ぶりのNBA優勝に導いた絶対的エース
ポール・アリジンにとってキャリア最大のハイライトと言えるのが、1955-56シーズンに絶対的エースとして成し遂げた「NBA優勝」です。
この優勝はアリジンにとってキャリア唯一の栄冠であり、ウォリアーズにとっても10年ぶりかつNBAに加入して以来初のトロフィー獲得となりました。
ポール・アリジンが加入した1950年以降、リーグ上位の成績を残す強豪へと進化したウォリアーズでしたが、ドルフ・シェイズ率いるシラキュース・ナショナルズの壁を越えることができず、2年連続でのイースタン・カンファレンス・ファイナルでの敗退を経験。
さらに、朝鮮戦争の徴兵によってエースのアリジンが2年間離脱したことで、チームは一時的にリーグ最低レベルの勝率まで落ちるという苦しい時期を過ごすことになります。
しかし、アリジンが復帰した1954–55シーズン以降は復活の兆しを見せ、迎えた翌1955-56シーズン、ついにチームとして完成したウォリアーズは45勝27敗というリーグ1位の勝率を記録。
勢いに乗って挑んだプレイオフでは、ついにシラキュース・ナショナルズを破ってNBAファイナルに進出すると、最後はフォートウェイン・ピストンズを4勝1敗で破り、見事優勝を決めたのでした。
選手を評価する上で優勝が全てではありませんが、やはり優勝をしているかどうかの差は大きく、この1度の優勝がポール・アリジンの評価を劇的に向上させたことは間違いないでしょう!
"ジャンプシュートの創始者”
ポール・アリジンのプレーの特徴3選
NBAに“ジャンプシュート”の概念をもたらし、リーグを代表するスコアラーとして歴史的なキャリアを歩んだ「ポール・アリジン」。
この記事では最後に、そんなアリジンがどのようにして10度のオールスター選出や2度の得点王受賞を成し遂げたのか、その秘密を握るプレーの特徴を3つ厳選してご紹介していこうと思います。
プレーの特徴①:バスケ界に革命をもたらした「ジャンプシュート」
もう何度もお伝えしているように、NBAやバスケ界に革命をもたらした、ポール・アリジンの代名詞「ジャンプシュート」。
現代バスケでは当たり前すぎてむしろジャンプシュートのない時代が想像できないくらいですが、1950年以前のNBAでは「セットショット」と呼ばれる両足を床につけたまま打つシュートが一般的だったんだそうです。
そんな時代にポーツ・アリジンは「ジャンプした方がブロックされづらくて良くね?」と言わんばかりに高精度のジャンプシュート(当時は「ツーハンド・ジャンパー」と呼ばれていた)を決めまくり、結果的に2度の得点王を受賞。
その姿を見た他のNBA選手たちが真似をし始め、それが徐々に一般のバスケプレイヤーたちにも普及していったというわけですね。
これは余談ですが、アリジンが「ジャンプシュート」を打つようになったのは、幼い頃から練習場として使用していた「ダンスホール」の床が非常に滑りやすかったから。
シュートを打つ際に足元が滑らないよう常にジャンプしながら打っていたことで、NBAの滑りにくい床になっても高精度のジャンプシュートを打つことができたんだそうです。
ポール・アリジンがいなければバスケの発展が少し遅れていたかもしれないと思うと、彼の偉大さがよく分かりますね、、、。
プレーの特徴②:屈強なセンターたちをも凌駕する「リバウンド」
193cmというNBAのフォワードとしては小柄な身長だった「ポール・アリジン」ですが、キャリア平均8.6リバウンドという数字が表すように「リバウンド力」が非常に優れた選手としても知られていました。
少し離れた位置から助走してボールを奪う“飛び込みリバウンド”を得意としていて、まともに戦えば勝ち目のないNBAの屈強なセンターたちを凌駕してボールを奪い取ることができていたんです。
1951–52シーズンにはキャリアハイとなる1試合平均11.3リバウンドを記録しており、シーズン平均「ダブル・ダブル」も達成。
チームの絶対的エースがスコアリングだけでなく自ら進んでリバウンド争いに絡んでいく姿は、優勝するチームを作り上げるうえで非常に重要な要素だったと言えるでしょう!
プレーの特徴③:40分以上を戦い抜く無尽蔵の「スタミナ」
プレーの特徴という内容とは少しズレてしまっているものの、「スタミナ」の多さもまたポール・アリジンが偉大なキャリアを築く上で重要な要素だと思います。
現在のNBAほど身体のマネジメントが重要視されていない1950年代において、1人の選手が平均40分以上出場するのは比較的当然のこと。
ポール・アリジンもまたウォリアーズのエースとしてコートに立ち続け、40分以上出場した試合の終盤でもチームを勝たせるプレーができる無尽蔵の「スタミナ」を持った選手だったのです。
特にチームオフェンスの負担を一手に担う“絶対的エース”が試合中ずっとコートに居続けるというのは、相手チームにとって非常に厄介な状況を作り出していたことでしょう!
まとめ
今回は、”ジャンプシュート”をNBAに持ち込んだだけでなく、選手としても輝かしい功績を残したレジェンド「ポール・アリジン」についてご紹介しました。
いかがでしたか?
僕個人としては、現代バスケにおいてごく一般的なスキル「ジャンプシュート」が使われていない時代が存在していたことに大きな衝撃を受けました。
ポール・アリジンがいなければ今のNBAがなかったかもしれないと思うと、NBAに革命的な変化をもたらした彼の存在はNBAレジェンドと呼ぶに相応しいこと間違いありませんね。
この記事をきっかけに、ポール・アリジンのハイライト集などを見てもらえたら書いた甲斐があるというもの。
他のNBAレジェンドについても、彼らが「レジェンド」として語り継がれる理由を語った記事がありますので、気になるNBAレジェンドがいる方はサイトホームから選手名を検索していただければと思います。
それではまた、次の記事でお会いしましょう!