皆さんこんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。
これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。
一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。
その確率は脅威の0.0001%。
例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。
そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。
本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。
そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。
特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。
その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。
今回はその中から「NBAファイナル1956 フィラデルフィア・ウォリアーズ VS フォートウェイン・ピストンズ」の対決をご紹介しましょう!
NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!
それではティップオフ!!
NBAファイナル1956に出場したチームの背景を知ろう!
1956年NBAファイナルはイースタン・カンファレンスチャンピオンの「フィラデルフィア・ウォリアーズ」とウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「フォートウェイン・ピストンズ」の戦いでした。
まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!
フィラデルフィア・ウォリアーズ
1955-56シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 45勝27敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 3勝2敗(VS シラキュース・ナショナルズ) |
「フィラデルフィア・ウォリアーズ」はペンシルベニア州フィラデルフィアに拠点を置くチームです。
現在はゴールデンステイト・ウォリアーズに名称を変更しています。
エースは「ニール・ジョンストン」。
レギュラーシーズンを45勝27敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でドルフ・ジェイズ要する「シラキュース・ナショナルズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。
この年優勝を果たしたフィラデルフィア・ウォリアーズがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!
フォートウェイン・ピストンズ
1955-56シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 37勝35敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 3勝2敗(VS セントルイス・ホークス) |
「フォートウェイン・ピストンズ」はインディアナ州フォートウェインに拠点を置くチームです。
現在はデトロイト・ピストンズに名称を変更しています。
エースは「ジョージ・ヤードリー」。
レギュラーシーズンを37勝35敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でボブ・ペティット要する「セントルイス・ホークス」を倒し、NBAファイナルに進みました。
NBAファイナル1956の出場選手・ロスター
次にNBAファイナル1956で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!
フィラデルフィア・ウォリアーズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
SG | 7, 25 | ボブ・シェーファー(Bob Schafer) | 191 | 88 | 1933年3月29日 |
SG | 7 | アーニー・ベック(Ernie Beck) | 193 | 86 | 1931年12月11日 |
PG | 5 | ジョージ・デンプシー(George Dempsey) | 188 | 86 | 1929年7月19日 |
PG | 17 | ジャック・ジョージ(Jack George) | 188 | 86 | 1928年11月13日 |
SF | 14 | ジャッキー・ムーア(Jackie Moore) | 196 | 82 | 1932年9月24日 |
PF | 9 | ジョー・グラボウスキー(Joe Graboski) | 201 | 88 | 1930年1月15日 |
SG | 4 | ラリー・ヘネシー(Larry Hennessy) | 191 | 84 | 1929年5月20日 |
C | 6 | ニール・ジョンストン(Neil Johnston) | 203 | 95 | 1929年2月4日 |
SF | 11 | ポール・アリジン(Paul Arizin) | 193 | 86 | 1928年4月9日 |
SG | 15 | トム・ゴーラ(Tom Gola) | 1998 | 93 | 1933年1月13日 |
PF | 12 | ウォルト・デイビス(Walt Davis) | 203 | 93 | 1931年1月5日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
フォートウェイン・ピストンズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PG | 14 | アンディ・フィリップ(Andy Phillip) | 188 | 88 | 1922年3月7日 |
C | 17 | ボブ・ホーブレッグス(Bob Houbregs) | 203 | 102 | 1932年3月12日 |
SF | 6 | チャック・クーパー(Chuck Cooper) | 196 | 95 | 1926年9月29日 |
SG | 5 | チャック・ノーブル(Chuck Noble) | 193 | 86 | 1931年7月24日 |
SG | 7, 8 | ウォルター・デヴリン(Corky Devlin) | 196 | 88 | 1931年12月21日 |
C | 18 | ドン・ビールケ(Don Bielke) | 201 | 109 | 1932年5月10日 |
PG | 7 | フランク・ブライアン(Frankie Brian) | 185 | 82 | 1923年5月1日 |
SF | 12 | ジョージ・ヤードリー(George Yardley) | 196 | 86 | 1928年11月3日 |
PF | 15, 18 | ジェシー・アーネル(Jesse Arnelle) | 196 | 100 | 1933年12月30日 |
SF | 10 | ジム・ホルステイン(Jim Holstein) | 191 | 82 | 1930年9月24日 |
F | 15 | ジョニー・ホラン(Johnny Horan) | 203 | 86 | 1930年9月24日 |
C | 16 | ラリー・ファウスト(Larry Foust) | 206 | 98 | 1928年6月24日 |
SG | 10 | マックス・ザスロフスキー(Max Zaslofsky) | 188 | 77 | 1925年12月7日 |
PF | 9 | メル・ハッチンス(Mel Hutchins) | 198 | 91 | 1928年11月22日 |
SF | 8, 15 | オディ・スピアーズ(Odie Spears) | 196 | 93 | 1924年6月17日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
NBAファイナル1956のシリーズ概要
それではいよいよNBAファイナル1956の試合の結果を見ていきましょう!
1955-56シーズンのNBAチャンピオンは「フィラデルフィア・ウォリアーズ」。
チームとしては8年ぶり2度目の優勝となりました。
対戦成績は4勝1敗。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 3月31日 | フォートウェイン・ピストンズ | 94-98 | フィラデルフィア・ウォリアーズ |
2 | 4月1日 | フィラデルフィア・ウォリアーズ | 83-84 | フォートウェイン・ピストンズ |
3 | 4月3日 | フォートウェイン・ピストンズ | 96-100 | フィラデルフィア・ウォリアーズ |
4 | 4月5日 | フィラデルフィア・ウォリアーズ | 107-105 | フォートウェイン・ピストンズ |
5 | 4月7日 | フォートウェイン・ピストンズ | 88-99 | フィラデルフィア・ウォリアーズ |
NBAファイナル1956の試合の概要
ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。
ウォリアーズが8年ぶりの王座奪還となったシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!
第1戦(94-98 フィラデルフィア・ウォリアーズ Win)
NBAファイナルの1回戦はフィラデルフィア・ウォリアーズのホーム「フィラデルフィア・シビック・センター」で始まりました。
昨年NBAファイナルに進出しながらもシラュース・ナショナルズに敗れ優勝を逃しているピストンズは今年はリベンジの年。
勝利への執念が勝ったのか、前半は49-40でピストンズが9点リードで折り返します。
しかし後半に入るとホームのウォリアーズが反撃を開始。
この年3年連続となる得点王を受賞したニール・ジョンストンはわずか10得点と不調ながらも、ポール・アリジンらがその穴を埋め、第3Qに大逆転を果たすとそのままウォリアーズが勝利しました。
この日ウォリアーズはアリジンがチームハイの28得点。
ピストンズはジョージ・ヤードリーが27得点15リバウンドを記録しました。
第2戦(83-84 フォートウェイン・ピストンズ Win)
ウォリアーズリードで迎えた第2戦。
舞台はフォートウェイン・ピストンズのホーム「ウォー・メモリアル・コロシアム」。
第1戦を落としたピストンズでしたが、この日エースの活躍で接戦をもぎ取ります。
第3Q終了時まで75-75の同点で終え、勝負は第4Qへ突入。
第4Qでも点差の開かない接戦となりましたが、ピストンズのエース、ジョージ・ヤードリーの30得点19リバウンドの活躍もありピストンズが1点差で競り勝ちました。
この勝利により対戦成績は1-1の互角となります。
第3戦(96-100 フィラデルフィア・ウォリアーズ Win)
両者互角で第3戦。
舞台はフィラデルフィアに戻ります。
ここまでホームで1勝ずつを記録している両者でしたが、第3戦もそれに続く形でウォリアーズが勝利を手にします。
ここまで10点台を連続で記録しているニール・ジョンストンもようやく20得点を記録し、アリジンも引き続き27得点と順調に得点を積み上げたことで試合を優位に進めました。
第4Qにはピストンズも意地の反撃を見せ点差を詰めますが、最後は点差を保って逃げ切ったウォリアーズが逃げ切る形で勝利。
ウォリアーズが2-1とシリーズをリードします。
第4戦(107-105 フィラデルフィア・ウォリアーズ Win)
舞台をフォートウェインに移して行われた第4戦。
負ければ後がなくなるピストンズはホームで流れを掴みたいところでしたが、接戦の末この試合を落としてしまいます。
序盤はリードをしていたものの終売にウォリアーズがアラジンやジャック・ジョージを中心に反撃を仕掛け、ウォリアーズがピストンズよりも13本も多くフリースローを獲得して接戦を制することとなりました。
この日ウィリアーズはアラジンが30得点、ジョージが20得点を記録。
ピストンズはヤードリーの21得点がチームハイとなりました。
第5戦(88-99 フィラデルフィア・ウォリアーズ Win)
運命の第7戦。
舞台はウォリアーズのホーム「フィラデルフィア・シビック・センター」。
崖っぷちとなったピストンズはエースのヤードリーが奮起し30得点20リバウンドを記録します。
しかしアウェイのプレッシャーもあってか、ヤードリー以外の選手がシュートタッチに苦しみ、試合が進むにつれてウォリアーズに点差を開けられる展開となりました。
ウォリアーズも決して好調ではありませんでしたが、ジョー・グラボウスキーが29得点、アラジンが26得点と続き優勝を手繰り寄せました。
そのままウォリアーズが勝利し見事8年ぶりの王座へと返り咲いたのでした。
まとめ
今回は「NBAファイナル1956 フィラデルフィア・ウォリアーズ VS フォートウェイン・ピストンズ」の対決をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
ウォリアーズはNBAが設立された1947年に初代王者に輝いて以来優勝リングを掴むことはできていませんでしたが、ここで2つ目のリングを掴むこととなります。
2年連続のファイナル敗退となったピストンズはここから衰退の一途を辿り、次にファイナルに出場するのは32年後の出来事となります。
やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!
他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!