こんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
皆さん、NBA観戦を楽しんでいますか?
NBAは非常に魅力の多いリーグですので楽しみ方はファンの数だけあると思いますが、その一つが”推しチームを応援すること”ですよね!
推しチームが決まっていると、そのチームの成績、所属している選手の成長、ドラフトの順位、トレードの内容などイベントのたびに楽しみが増え、NBA観戦がより楽しいものになること間違いありません!
では推しのチームはどのようにして決めればいいのでしょうか?
その方法はズバリ、チームについてよく知ることです。
チームの歴史や文化、現在所属している選手や過去に所属していた選手などの情報を知れば、きっとあなたにあったチームが見つかるはずです。
そこで今回は、チームの歴史の1つである「永久欠番」についてご紹介していこうと思います。
永久欠番とは、バスケットボールやNBAの歴史において多大な功績を残してきた人物の使用していた背番号を、その人物の功績を称えそのチームにおいてはその人物以外が使用することができないようにしたものです。
永久欠番を知れば、そのチームの最も輝いてた時代を知ることができますよ!
今回ご紹介するチームは”ユタ・ジャズ”です。
もちろん他の29チームについても同様の記事がございますので、ぜひそちらもごらんください!
それではティップオフ!!
目次 [非表示]
ユタ・ジャズの永久欠番
それでは早速、ユタ・ジャズの永久欠番となっている番号とその番号をつけていた人物について見ていきましょう!
ユタ・ジャズでは9個の背番号を永久欠番としています。(ユタ・ジャズの選手9名+ビル・ラッセル)
1人ずつ詳しくご紹介していきます!
#1 フランク・レイデン(Frank Layden)
フランク・レイデンは1978年からユタ・ジャズの球団社長兼GMを務め、1981年からはヘッドコーチも兼任しました。
1984年に最優秀コーチ賞と最優秀経営者賞を同時受賞しました。
彼の人生を費やして作られたレガシーに敬意を表し、ユタ・ジャズは背番号1を永久欠番としました。
ポジション:ヘッドコーチ
在籍期間:1981年〜1988年
式典日:1988年12月9日
#4 エイドリアン・ダントリー(Adrian Dantley)
エイドリアン・ダントリーはスモールフォワードでありながらゴール下を戦場とした選手であり、そこからのミドルショットやファール奪取技術を武器に活躍した選手です。
身長196 cmと決して高くないにもかかわらずインサイドでの得点能力がずば抜けて高く、2度の得点王を受賞しています。
ポジション:スモールフォワード
在籍期間:1979年〜1986年
式典日:2007年4月11日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 6回(1980年〜1982年, 1984年〜1986年) |
オールNBA | セカンドチーム×2(1981年, 1984年) |
その他 | 得点王×2(1981年, 1984年) 新人王(1977年) オールルーキーファーストチーム(1977年) |
#7 ピート・マラビッチ(Pete Maravich)
「ピストル・ピート」の愛称を持ち、多彩なドリブルやパスを得意とする選手であり、しばしばマジック・ジョンソンやジェイソン・ウィリアムズらの先駆けとなった選手として挙げられることもあります。
時代を代表するポイントガードの1人であり、5度のオールスター、1度の得点王など輝かしいキャリアを送り、アトランタ・ホークス、ユタ・ジャズ、ニューオーリンズ・ペリカンズの3チームで永久欠番とされています。
ポジション:シューティングガード
在籍期間:1974年〜1980年
式典日:1985年12月14日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 5回(1973年, 1974年, 1977年〜1979年) |
オールNBA | ファーストチーム×2(1976年, 1977年) セカンドチーム×2(1973年, 1978年) |
その他 | 得点王(1971年) オールルーキーファーストチーム(1971年) |
#12 ジョン・ストックトン(John Stockton)
ジョン・ストックトンは相棒のカール・マローンと共に1990年代の強豪ジャズの中核を担った選手であり、歴代でも屈指のポイントガードの1人です。
非常に高精度なパス能力を有しており、インサイドを蹂躙するカール・マローンとの「ピック&ロール」は非常に強力な戦術でとして他のチームを襲いました。
ストックトンの記録したNBA通算15,806アシスト、3,265スティール、9度のアシスト王はいずれもNBA記録となっています。
ポジション:ポイントガード
在籍期間:1984年〜2003年
式典日:2004年11月22日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 10回(1989年〜1997年, 2000年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1993年) |
オールNBA | ファーストチーム×2(1994年, 1995年) セカンドチーム×6(1988年〜1990年, 1992年, 1993年, 1996年) サードチーム×3(1991年, 1997年, 1999年) |
オールディフェンシブ | セカンドチーム×5(1989年, 1991年, 1992年, 1995年, 1997年) |
その他 | アシスト王×9(1988年〜1996年) スティール王×2(1989年, 1992年) |
#14 ジェフ・ホーナセック(Jeff Hornacek)
ジェフ・ホーナセックは非常に高精度なシュートを武器に長いNBAキャリアを送った選手であり、キャリア終盤の6シーズンをユタ・ジャズで過ごしました。
ユタ・ジャズではスタメンシューティングガードとしてチームに貢献し、1997年と1998年の2年連続NBAファイナル進出に貢献しています。
ポジション:シューティングガード
在籍期間:1994年〜2000年
式典日:2002年11月19日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 1回(1992年) |
その他 | スリーポイントコンテスト優勝×2(1998年, 2000年) |
#32 カール・マローン(Karl Malone)
カール・マローンは強靭な肉体と高い身体能力をもってインサイドを支配したNBA史上屈指のパワーフォワードの1人です。
ジョン・ストックトンとのデュオは非常に強力なオフェンス力を誇っており、1990年代のジャズを強豪ヘと押し上げました。
NBAでの通算得点は歴代3位の36,928点であり、ブルズの王朝に阻まれNBA優勝こそできなかったものの2度のシーズンMVP受賞、14度のオールスター、14度のオールNBAチーム、4度のオールディフェンシブチームへの選出を果たしました。
ポジション:パワーフォワード
在籍期間:1985年〜2003年
式典日:2006年3月23日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 2回(1997年, 1999年) |
NBAオールスター | 14回(1988年〜1998年, 2000年〜2002)年) |
NBAオールスターMVP | 2回(1989年, 1993年) |
オールNBA | ファーストチーム×11(1989年〜1999年) セカンドチーム×2(1988年, 2000年) サードチーム(2001年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×3(1997年〜1999年) セカンドチーム(1988年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1986年) |
#35 ダレル・グリフィス(Darrell Griffith)
ダレル・グリフィスは1981年にドラフト2位でユタ・ジャズに指名されてNBA入りを果たし、本拠地をソルトレイクシティに移して最初のフランチャイズプレイヤーとなりました。
キャリア後半は怪我に悩まされたものの、10シーズンというキャリア全てをユタ・ジャズで過ごしチームを支えた功績を称え、ユタ・ジャズは彼の背番号35を永久欠番としました。
ポジション:シューティングガード
在籍期間:1980年〜1991年
式典日:1993年12月4日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
その他 | 新人王(1981年) オールルーキーファーストチーム(1981年) |
#53 マーク・イートン(Mark Eaton)
マーク・イートンはブロック能力に非常に秀でたセンターであり、インサイドが主戦場であった当時のNBAにおいても他を圧倒する守備力を誇っていました。
受賞歴も守備力を評価されたものが非常に多く、2度の最優秀守備選手賞受賞、5度のオールディフェンシブチーム選出、4度のブロック王受賞を果たしました。
ポジション:センター
在籍期間:1982年〜1993年
式典日:1996年3月1日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 1回(1989年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×3(1985年, 1986年, 1989年) セカンドチーム×2(1987年, 1988年) |
その他 | 最優秀守備選手賞×2(1985年, 1989年) ブロック王×4(1984年, 1985年, 1987年, 1988年) |
全30チームで永久欠番となった”#6 ビル・ラッセル”
NBAで前人未到の11度の優勝を果たした”ビル・ラッセル”はバスケットボールのみならずアメリカ史上最も偉大なアスリートの1人です。
ビル・ラッセル以前のNBAおよびアメリカのスポーツ界は白人中心の文化が根強く、黒人選手は迫害されていました。
しかし、ビル・ラッセルはその圧倒的な実力と実績を持ってファンを熱狂させ、NBA史上初の黒人のNBAスター選手となることで、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させました。
また、現役中にも関わらずボストン・セルティクスにて選手権ヘッドコーチに就任し、アメリカ4大メジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチとなりました。
彼の選手として、および公民権運動家としての功績を称え、2009年にファイナルMVPの正式名称を”ビル・ラッセル・NBAファイナルMVP”に変更されています。
また、2022年8月11日には同年7月31日に死去した彼に敬意を表し、背番号#6が30チーム全てで永久欠番になることが発表されました。
まとめ
今回は「ユタ・ジャズの永久欠番」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
最初にもご紹介しましたが、他の29チームについても同様の記事がございますでぜひそちらの記事もご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!