こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1951-52シーズンを制したミネアポリス・レイカーズ(LAL)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
ミネアポリス・レイカーズは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
ミネアポリス・レイカーズは1951年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1951-52 ミネアポリス・レイカーズのレギュラーシーズン
まずは1951-52レギュラーシーズンがミネアポリス・レイカーズにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
1947年に設立されて以降、ジョージー・マイカンを中心としたチームでリーグを支配してきたミネアポリス・レイカーズ。
昨シーズンはウエスタン・ディビジョン決勝戦でニューヨーク・ニックスに敗れ3連覇を伸ばしたことから、今シーズンは王座の奪還を目指して挑んだシーズンとなりました。
【レギュラーシーズンの結果】
例年通りウエスタン・ディビジョンの強豪として勝利を重ね、最終的には40勝26敗のリーグ2位タイの勝率を残してプレイオフに進出しました。
ミネアポリス・レイカーズはウエスタン・ディビジョンで2位を獲得しました。
【1951-52レギュラーシーズン ウエスタン・ディビジョンの結果】
ウエスタン・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
ロチェスター・ロイヤルズ | 41 | 25 | 0.621 | – | 28–5 | 12–18 | 22–14 | 66 |
ミネアポリス・レイカーズ | 40 | 26 | 0.606 | 1 | 21–5 | 13–20 | 24–12 | 66 |
インディアナポリス・オリンピアコス | 34 | 32 | 0.515 | 7 | 25–6 | 4–24 | 18–18 | 66 |
フォートウェイン・ピストンズ | 29 | 37 | 0.439 | 12 | 22–11 | 6–24 | 17–19 | 66 |
ミルウォーキー・ホークス | 17 | 49 | 0.258 | 24 | 8–13 | 3–22 | 9–27 | 66 |
NBAファイナルまでの道のり:1951-52 ミネアポリス・レイカーズのプレイオフ
次にミネアポリス・レイカーズが1951-52プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1951-52プレイオフの背景】
1951-1952シーズンのプレイオフは1952年3月18日に開始し、4月25日に終了しました。
ディビジョン・セミファイナル(西地区準決勝)対インディアナポリス・オリンピアンズ:2勝0敗
ディビジョン・セミファイナル(西地区準決勝)ではジョー・グラボウスキーやレオ・バーンホーストらを擁するインディアナポリス・オリンピアンズと対戦し、2勝0敗で難なく破ってディビジョン・ファイナルに進みました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1952年3月23日 | インディアナポリス・オリンピアンズ | 70-78 | ミネアポリス・レイカーズ | セントポール・オーディトラム | |
第2戦 | 1952年3月25日 | ミネアポリス・レイカーズ | 94-87 | インディアナポリス・オリンピアンズ | ヒンクル・フィールドハウス |
ディビジョン・ファイナル(東地区決勝)対ロチェスター・ロイヤルズ:3勝1敗
ディビジョン・ファイナルではボブ・デイヴィスやアーニー・ライゼンらのロチェスター・ロイヤルズとの対戦となり、これを3勝1敗で制してNBAファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1952年3月29日 | ミネアポリス・レイカーズ | 78-88 | ロチェスター・ロイヤルズ | エジャートン・パーク・アリーナ | |
第2戦 | 1952年3月30日 | ミネアポリス・レイカーズ | 83-78 | ロチェスター・ロイヤルズ | エジャートン・パーク・アリーナ | |
第3戦 | 1952年4月5日 | ロチェスター・ロイヤルズ | 67-77 | ミネアポリス・レイカーズ | ミネアポリス・オーディトラム | |
第4戦 | 1952年4月6日 | ロチェスター・ロイヤルズ | 80-82 | ミネアポリス・レイカーズ | ミネアポリス・オーディトラム |
こうして迎えた1952年のNBAファイナルでは、ミネアポリス・レイカーズがコニー・シモンズやマックス・ザスロフスキーを擁するニューヨーク・ニックスを4勝3敗で破り、NBA優勝を果たしました。
1952年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:レイカーズが王者奪還で3度目のNBA優勝
今回は「1952年のNBAファイナルで優勝を果たした”ミネアポリス・レイカーズ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝はミネアポリス・レイカーズにとって2年ぶり3度目のNBA制覇となりました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!