こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1989-90シーズンを制したデトロイト・ピストンズ(DET)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
デトロイト・ピストンズは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
デトロイト・ピストンズは1989年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1989-90 デトロイト・ピストンズのレギュラーシーズン
まずは1989-90レギュラーシーズンがデトロイト・ピストンズにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
昨シーズンよりパレス・オブ・オーバーンヒルズに本拠地を移し、本拠地移籍の最初のシーズンに初優勝を成し遂げたデトロイト・ピストンズ。
チャック・デイリーヘッドコーチの元、強力なディフェンスと荒いプレイスタイルで”バットボーイズ”と呼ばれたこの時代のピストンズはフランチャイズ史上初の連覇を成し遂げるため、昨シーズンとメンバーをほとんど変えることなくレギュラーシーズンに臨みました。
【レギュラーシーズンの結果】
このシーズンよりミネソタ・ティンバーウルブズとオーランド・マジックの2チームが新たにNBAに加わり、チーム数は27チームに増加。
ディフェンディングチャンピオンとして挑んだデトロイト・ピストンズは昨シーズン同様強固なディフェンスで相手チームを抑え込み続け、59勝23敗というイースタン・カンファレンス1位の成績でプレイオフに進出しました。
デトロイト・ピストンズはセントラル・ディビジョンで1位を獲得しました。
【1989-90レギュラーシーズン セントラル・ディビジョンの結果】
セントラル・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
デトロイト・ピストンズ | 59 | 23 | 0.720 | – | 35–6 | 24–17 | 22–8 | 82 |
シカゴ・ブルズ | 55 | 27 | 0.671 | 4 | 36–5 | 19–22 | 20–10 | 82 |
ミルウォーキー・バックス | 44 | 38 | 0.537 | 15 | 27–14 | 17–24 | 14–16 | 82 |
クリーブランド・キャバリアーズ | 42 | 40 | 0.512 | 17 | 27–14 | 15–26 | 14–16 | 82 |
インディアナ・ペイサーズ | 42 | 40 | 0.512 | 17 | 28–13 | 14–27 | 16–14 | 82 |
アトランタ・ホークス | 41 | 41 | 0.500 | 18 | 25–16 | 16–25 | 15–15 | 82 |
オーランド・マジック | 18 | 64 | 0.220 | 41 | 12–29 | 6–35 | 4–26 | 82 |
デトロイト・ピストンズはイースタン・カンファレンスで1位を受賞し、プレイオフに進出しました。
【1989-90レギュラーシーズン イースタン・カンファレンスの結果】
イースタン・カンファレンス | ||||||
# | チーム | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | GP |
1 | デトロイト・ピストンズ | 59 | 23 | 0.720 | – | 82 |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | フィラデルフィア・76ers | 53 | 29 | 0.646 | 6 | 82 |
3 | シカゴ・ブルズ | 55 | 27 | 0.671 | 4 | 82 |
4 | ボストン・セルティクス | 52 | 30 | 0.634 | 7 | 82 |
5 | ニューヨーク・ニックス | 45 | 37 | 0.549 | 14 | 82 |
6 | ミルウォーキー・バックス | 44 | 38 | 0.537 | 15 | 82 |
7 | クリーブランド・キャバリアーズ | 42 | 40 | 0.512 | 17 | 82 |
8 | インディアナ・ペイサーズ | 42 | 40 | 0.512 | 17 | 82 |
9 | アトランタ・ホークス | 41 | 41 | 0.500 | 18 | 82 |
10 | ワシントン・ブレッツ | 31 | 51 | 0.378 | 28 | 82 |
11 | マイアミ・ヒート | 18 | 64 | 0.220 | 41 | 82 |
12 | オーランド・マジック | 18 | 64 | 0.220 | 41 | 82 |
13 | ニュージャージー・ネッツ | 17 | 65 | 0.207 | 42 | 82 |
NBAファイナルまでの道のり:1989-90 デトロイト・ピストンズのプレイオフ
次にデトロイト・ピストンズが1989-90プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1989-90プレイオフの背景】
1989-1990シーズンのプレイオフは1990年4月26日に開始し、6月14日に終了しました。
ファーストラウンド(1回戦)対インディアナ・ペイサーズ:3勝0敗
プレイオフのファーストラウンド(1回戦)はレジー・ミラー率いるインディアナ・ペイサーズと対戦し、3勝0敗で危なげなく勝利してカンファレンス・セミファイナルへ進みました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1990年4月26日 | インディアナ・ペイサーズ | 92-104 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第2戦 | 1990年4月28日 | インディアナ・ペイサーズ | 87-100 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第3戦 | 1990年5月1日 | デトロイト・ピストンズ | 108-96 | インディアナ・ペイサーズ | マーケットスクエア・アリーナ |
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)対ニューヨーク・ニックス:4勝1敗
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)ではパトリック・ユーイングやモーリス・チークス擁するニューヨーク・ニックスと対戦し、4勝1敗で破ってカンファレンス・ファイナルに駒を進めました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1990年5月8日 | ニューヨーク・ニックス | 77-112 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第2戦 | 1990年5月10日 | ニューヨーク・ニックス | 97-104 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第3戦 | 1990年5月12日 | デトロイト・ピストンズ | 103-111 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第4戦 | 1990年5月13日 | デトロイト・ピストンズ | 102-90 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第5戦 | 1990年5月15日 | ニューヨーク・ニックス | 84-95 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ |
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対シカゴ・ブルズ:4勝3敗
カンファレンス・ファイナルではマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズとの対戦となり、4勝3敗で接戦をなんとか制して連覇のかかったNBAファイナルへの切符をつかみました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1990年5月20日 | シカゴ・ブルズ | 77-86 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第2戦 | 1990年5月22日 | シカゴ・ブルズ | 93-102 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第3戦 | 1990年5月26日 | デトロイト・ピストンズ | 102-107 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第4戦 | 1990年5月28日 | デトロイト・ピストンズ | 101-108 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第5戦 | 1990年5月30日 | シカゴ・ブルズ | 83-97 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第6戦 | 1990年6月1日 | デトロイト・ピストンズ | 91-109 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第7戦 | 1990年6月3日 | シカゴ・ブルズ | 74-93 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ |
こうして迎えた1990年のNBAファイナルでは、デトロイト・ピストンズがクライド・ドレクスラー擁するポートランド・トレイルブレイザーズを4勝1敗で破り、2年連続2回目となるNBA優勝を果たしました。
1990年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:”バッドボーイズ”ピストンズの2連覇
今回は「1990年のNBAファイナルで優勝を果たした”デトロイト・ピストンズ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝によりデトロイト・ピストンズがフランチャイズ史上初となる2連覇を達成。
エースのアイザイア・トーマスはシリーズ平均27.6得点8アシスト5.2リバウンドを記録し、自身初となるファイナルMVPを獲得しました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!