こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1990-91シーズンを制したシカゴ・ブルズ(CHI)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
シカゴ・ブルズは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
シカゴ・ブルズは1990年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1990-91 シカゴ・ブルズのレギュラーシーズン
まずは1990-91レギュラーシーズンがシカゴ・ブルズにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
1984年にマイケル・ジョーダンを獲得し、それ以来ジョーダンは毎シーズン平均30得点以上を上げ続けていたもののNBA優勝に近づくことはありませんでした。
しかし、1987年にホーレス・ブラントとスコッティ・ピッペンを加え、1989年にはブルズにトライアングル・オフェンスをもたらしたフィル・ジャクソンがヘッドコーチに就任すると1990年代の王朝を支えるピースが揃っていきました。
【レギュラーシーズンの結果】
フィル・ジャクソンヘッドコーチの提唱するトライアングル・オフェンスが浸透し、勢いよくスタートを切ったブルズはそのまま勢い止まらず61勝21敗を記録。
ポートランド・トレイルブレイザーズに次ぐリーグ2位の成績でプレイオフに進出しました。
シカゴ・ブルズはセントラル・ディビジョンで1位を獲得しました。
【1990-91レギュラーシーズン セントラル・ディビジョンの結果】
セントラル・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
シカゴ・ブルズ | 61 | 21 | 0.744 | — | 35–6 | 26–15 | 25–5 | 82 |
デトロイト・ピストンズ | 50 | 32 | 0.610 | 11 | 32–9 | 18–23 | 19-11 | 82 |
ミルウォーキー・バックス | 48 | 34 | 0.585 | 13 | 33–8 | 15–26 | 16–14 | 82 |
アトランタ・ホークス | 43 | 39 | 0.524 | 18 | 29–12 | 14–27 | 11–19 | 82 |
インディアナ・ペイサーズ | 41 | 41 | 0.500 | 20 | 29-12 | 12–29 | 15-15 | 82 |
クリーブランド・キャバリアーズ | 33 | 49 | 0.402 | 28 | 23–18 | 10–31 | 11-19 | 82 |
シャーロット・ホーネッツ | 26 | 56 | 0.317 | 35 | 17–24 | 9–32 | 8–22 | 82 |
シカゴ・ブルズはイースタン・カンファレンスで1位を受賞し、プレイオフに進出しました。
【1990-91レギュラーシーズン イースタン・カンファレンスの結果】
イースタン・カンファレンス | ||||||
# | チーム | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | GP |
1 | シカゴ・ブルズ | 61 | 21 | 0.744 | – | 82 |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | ボストン・セルティクス | 56 | 26 | 0.683 | 5 | 82 |
3 | デトロイト・ピストンズ | 50 | 32 | 0.610 | 11 | 82 |
4 | ミルウォーキー・バックス | 48 | 34 | 0.585 | 13 | 82 |
5 | フィラデルフィア・76ers | 44 | 38 | 0.537 | 17 | 82 |
6 | アトランタ・ホークス | 43 | 39 | 0.524 | 18 | 82 |
7 | インディアナ・ペイサーズ | 41 | 41 | 0.500 | 20 | 82 |
8 | ニューヨーク・ニックス | 39 | 43 | 0.476 | 22 | 82 |
9 | クリーブランド・キャバリアーズ | 33 | 49 | 0.402 | 28 | 82 |
10 | オーランド・マジック | 31 | 51 | 0.378 | 32 | 82 |
11 | ワシントン・ブレッツ | 30 | 52 | 0.366 | 31 | 82 |
12 | ニュージャージー・ネッツ | 26 | 56 | 0.317 | 35 | 82 |
13 | シャーロット・ホーネッツ | 26 | 56 | 0.317 | 35 | 82 |
14 | マイアミ・ヒート | 24 | 58 | 0.293 | 37 | 82 |
NBAファイナルまでの道のり:1990-91 シカゴ・ブルズのプレイオフ
次にシカゴ・ブルズが1990-91プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1990-91プレイオフの背景】
1990-1991シーズンのプレイオフは1991年4月25日に開始し、6月12日に終了しました。
ファーストラウンド(1回戦)対ニューヨーク・ニックス:3勝0敗
プレイオフのファーストラウンド(1回戦)はキキ・ヴァンダウェイやパトリック・ユーイング擁するニューヨーク・ニックスと対戦し、3勝0敗で危なげなく勝利しカンファレンス・セミファイナルに進みました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1991年4月25日 | ニューヨーク・ニックス | 85-126 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第2戦 | 1991年4月28日 | ニューヨーク・ニックス | 79-89 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第3戦 | 1991年4月30日 | シカゴ・ブルズ | 103-94 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン |
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)対フィラデルフィア・76ers:4勝1敗
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)ではチャールズ・バークレー率いるフィラデルフィア・76ersと対戦し、4勝1敗で破ってカンファレンス・ファイナルに駒を進めました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1991年5月4日 | フィラデルフィア・76ers | 92-105 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第2戦 | 1991年5月6日 | フィラデルフィア・76ers | 100-112 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第3戦 | 1991年5月10日 | シカゴ・ブルズ | 97-99 | フィラデルフィア・76ers | ザ・スペクトラム | |
第4戦 | 1991年5月12日 | シカゴ・ブルズ | 101-85 | フィラデルフィア・76ers | ザ・スペクトラム | |
第5戦 | 1991年5月14日 | フィラデルフィア・76ers | 95-100 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム |
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対デトロイト・ピストンズ:4勝0敗
カンファレンス・ファイナルではアイザイア・トーマス率いる”バッドボーイズ”ピストンズとの対戦となり、昨年の雪辱を晴らす形となる4勝0敗(スイープ)で圧勝。
フランチャイズ史上初となるNBAファイナルへの切符を掴み取りました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1991年5月19日 | デトロイト・ピストンズ | 83-94 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第2戦 | 1991年5月21日 | デトロイト・ピストンズ | 97-105 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第3戦 | 1991年5月25日 | シカゴ・ブルズ | 113-107 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第4戦 | 1991年5月27日 | シカゴ・ブルズ | 115-94 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ |
こうして迎えた1991年のNBAファイナルでは、シカゴ・ブルズがマジック・ジョンソンらのロサンゼルス・レイカーズを4勝1敗で破り、フランチャイズ史上初のNBA優勝を果たしました。
1991年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:シカゴ・ブルズがNBA初優勝!
今回は「1991年のNBAファイナルで優勝を果たした”シカゴ・ブルズ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝により、シカゴ・ブルズがフランチャイズ史上初となるNBA優勝を果たしました。
また、シリーズ平均31.2得点、6.6リバウンド、11.4アシストを記録したマイケル・ジョーダンがキャリア7年目にして初めてファイナルMVPを獲得しました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!