こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1991-92シーズンを制したシカゴ・ブルズ(CHI)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
シカゴ・ブルズは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
シカゴ・ブルズは1991年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1991-92 シカゴ・ブルズのレギュラーシーズン
まずは1991-92レギュラーシーズンがシカゴ・ブルズにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
昨シーズン、フィル・ジャクソンヘッドコーチの提唱する”トライアングル・オフェンス”が浸透し、見事フランチャイズ史上初のNBA制覇を成し遂げたシカゴ・ブルズ。
オフでも主力はほとんど入れ変わることなく、連覇に向けてレギュラーシーズンに臨みました。
【レギュラーシーズンの結果】
昨シーズン王者として臨んだシカゴ・ブルズは今シーズンもイースタン・カンファレンスの強豪としてあり続け、67勝15敗のイースタン・カンファレンス1位で堂々とプレイオフに進出しました。
シカゴ・ブルズはセントラル・ディビジョンで1位を獲得しました。
【1991-92レギュラーシーズン セントラル・ディビジョンの結果】
セントラル・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
シカゴ・ブルズ | 67 | 15 | 0.817 | — | 36–5 | 31–10 | 22–6 | 82 |
クリーブランド・キャバリアーズ | 57 | 25 | 0.695 | 10 | 35–6 | 22–19 | 21–7 | 82 |
デトロイト・ピストンズ | 48 | 34 | 0.585 | 19 | 25–16 | 23–18 | 15–13 | 82 |
インディアナ・ペイサーズ | 40 | 42 | 0.488 | 27 | 26–15 | 14–27 | 13–15 | 82 |
アトランタ・ホークス | 38 | 44 | 0.463 | 29 | 23–18 | 15–26 | 7–21 | 82 |
ミルウォーキー・バックス | 31 | 51 | 0.378 | 36 | 25–16 | 6–35 | 10–18 | 82 |
シャーロット・ホーネッツ | 31 | 51 | 0.378 | 36 | 22–19 | 9–32 | 10–18 | 82 |
シカゴ・ブルズはイースタン・カンファレンスで1位を受賞し、プレイオフに進出しました。
【1991-92レギュラーシーズン イースタン・カンファレンスの結果】
イースタン・カンファレンス | ||||||
# | チーム | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | GP |
1 | シカゴ・ブルズ | 67 | 15 | 0.817 | – | 82 |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | ボストン・セルティクス | 51 | 31 | 0.622 | 16 | 82 |
3 | クリーブランド・キャバリアーズ | 57 | 25 | 0.695 | 10 | 82 |
4 | ニューヨーク・ニックス | 51 | 31 | 0.622 | 16 | 82 |
5 | デトロイト・ピストンズ | 48 | 34 | 0.585 | 19 | 82 |
6 | ニュージャージー・ネッツ | 40 | 42 | 0.488 | 27 | 82 |
7 | インディアナ・ペイサーズ | 40 | 42 | 0.488 | 27 | 82 |
8 | マイアミ・ヒート | 38 | 44 | 0.463 | 29 | 82 |
9 | アトランタ・ホークス | 38 | 44 | 0.463 | 29 | 82 |
10 | フィラデルフィア・76ers | 35 | 47 | 0.427 | 32 | 82 |
11 | ミルウォーキー・バックス | 31 | 51 | 0.378 | 36 | 82 |
12 | シャーロット・ホーネッツ | 31 | 51 | 0.378 | 36 | 82 |
13 | ワシントン・ウィザーズ | 25 | 57 | 0.305 | 42 | 82 |
14 | オーランド・マジック | 21 | 61 | 0.256 | 46 | 82 |
NBAファイナルまでの道のり:1991-92 シカゴ・ブルズのプレイオフ
次にシカゴ・ブルズが1991-92プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1991-92プレイオフの背景】
1991-1992シーズンのプレイオフは1992年4月23日に開始し、6月14日に終了しました。
ファーストラウンド(1回戦)対マイアミ・ヒート:3勝0敗
プレイオフのファーストラウンド(1回戦)はロニー・サイカリーやグレン・ライスらのマイアミ・ヒートと対戦し、3勝0敗で危なげなく勝利してカンファレンス・ファイナルへと進みました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1992年4月24日 | マイアミ・ヒート | 94-113 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第2戦 | 1992年4月26日 | マイアミ・ヒート | 90-120 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第3戦 | 1992年4月29日 | シカゴ・ブルズ | 119-114 | マイアミ・ヒート | マイアミ・アリーナ |
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)対ニューヨーク・ニックス:4勝3敗
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)ではパトリック・ユーイング擁するニューヨーク・ニックスと対戦し、4勝3敗と接戦を制してカンファレンス・ファイナルへと駒を進めました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1992年5月5日 | ニューヨーク・ニックス | 94-89 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第2戦 | 1992年5月7日 | ニューヨーク・ニックス | 78-86 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第3戦 | 1992年5月9日 | シカゴ・ブルズ | 94-86 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第4戦 | 1992年5月10日 | シカゴ・ブルズ | 86-93 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第5戦 | 1992年5月12日 | ニューヨーク・ニックス | 88-96 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第6戦 | 1992年5月14日 | シカゴ・ブルズ | 86-100 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第7戦 | 1992年5月17日 | ニューヨーク・ニックス | 81-110 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム |
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対クリーブランド・キャバリアーズ:4勝2敗
カンファレンス・ファイナルではマーク・プライスやラリー・ナンス、ブラッド・ドアティらのクリーブランド・キャバリアーズとの対戦となり、これを4勝2敗でなんとか制してNBAファイナルの切符をつかみました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1992年5月19日 | クリーブランド・キャバリアーズ | 89-103 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第2戦 | 1992年5月21日 | クリーブランド・キャバリアーズ | 107-81 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第3戦 | 1992年5月23日 | シカゴ・ブルズ | 105-96 | クリーブランド・キャバリアーズ | コロシアム・アット・リッチフィールド | |
第4戦 | 1992年5月25日 | シカゴ・ブルズ | 85-99 | クリーブランド・キャバリアーズ | コロシアム・アット・リッチフィールド | |
第5戦 | 1992年5月27日 | クリーブランド・キャバリアーズ | 89-112 | シカゴ・ブルズ | シカゴ・スタジアム | |
第6戦 | 1992年5月29日 | シカゴ・ブルズ | 99-94 | クリーブランド・キャバリアーズ | コロシアム・アット・リッチフィールド |
こうして迎えた1992年のNBAファイナルでは、シカゴ・ブルズがクライド・ドレクスラー擁するポートランド・トレイルブレイザーズを4勝2敗で破り、2連覇を達成しました。
1992年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:ジョーダンとブルズがチーム史上初の2連覇
今回は「1992年のNBAファイナルで優勝を果たした”シカゴ・ブルズ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝によりシカゴ・ブルズはマイケル・ジョーダンを中心としたチームで2年連続2連覇を達成しました。
また、シリーズを通して平均35.8得点を記録したマイケル・ジョーダンが2年連続2度目となるファイナルMVPを獲得しました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!