こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1993-94シーズンを制したヒューストン・ロケッツ(HOU)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
ヒューストン・ロケッツは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
ヒューストン・ロケッツは1993年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1993-94 ヒューストン・ロケッツのレギュラーシーズン
まずは1993-94レギュラーシーズンがヒューストン・ロケッツにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
1992年よりルディ・トムヤノビッチがヘッドコーチに就任し変化を見せたヒューストン・ロケッツは1993年のドラフトにて即戦力のサム・キャセールを獲得します。
エースのアキーム・オラジュワンはリーグ屈指のセンターに成長し、イーストの強豪となったロケッツはフランチャイズ初の優勝を目指してレギュラーシーズンに臨みました。
【レギュラーシーズンの結果】
アキーム・オラジュワンを中心としたチームで順調に勝ち星を重ね、最終的には58勝24敗というリーグ2位の成績でプレイオフに進みました。
ヒューストン・ロケッツはミッドウエスト・ディビジョンで1位を獲得しました。
【1993-94レギュラーシーズン ミッドウエスト・ディビジョンの結果】
ミッドウエスト・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
ヒューストン・ロケッツ | 58 | 24 | 0.707 | — | 35–6 | 23–18 | 15–11 | 82 |
サンアントニオ・スパーズ | 55 | 27 | 0.671 | 3 | 32–9 | 23–18 | 16–10 | 82 |
ユタ・ジャズ | 53 | 29 | 0.646 | 5 | 33–8 | 20–21 | 21–5 | 82 |
デンバー・ナゲッツ | 42 | 40 | 0.512 | 16 | 28–13 | 14–27 | 14–12 | 82 |
ミネソタ・ティンバーウルブズ | 20 | 62 | 0.244 | 38 | 13–28 | 7–34 | 5–21 | 82 |
ダラス・マーベリックス | 13 | 69 | 0.159 | 45 | 6–35 | 7–34 | 7–19 | 82 |
ヒューストン・ロケッツはウエスタン・カンファレンスで2位を受賞し、プレイオフに進出しました。
【1993-94レギュラーシーズン ウエスタン・カンファレンスの結果】
ウエスタン・カンファレンス | ||||||
# | チーム | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | GP |
1 | シアトル・スーパーソニックス | 63 | 19 | 0.768 | – | 82 |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | ヒューストン・ロケッツ | 58 | 24 | 0.707 | 5 | 82 |
3 | フェニックス・サンズ | 56 | 26 | 0.683 | 7 | 82 |
4 | サンアントニオ・スパーズ | 55 | 27 | 0.671 | 8 | 82 |
5 | ユタ・ジャズ | 53 | 29 | 0.646 | 10 | 82 |
6 | ゴールデンステイト・ウォリアーズ | 50 | 32 | 0.610 | 13 | 82 |
7 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | 47 | 35 | 0.573 | 16 | 82 |
8 | デンバー・ナゲッツ | 42 | 40 | 0.512 | 21 | 82 |
9 | ロサンゼルス・レイカーズ | 33 | 49 | 0.402 | 30 | 82 |
10 | サクラメント・キングス | 28 | 54 | 0.341 | 35 | 82 |
11 | ロサンゼルス・クリッパーズ | 27 | 55 | 0.329 | 36 | 82 |
12 | ミネソタ・ティンバーウルブズ | 20 | 62 | 0.244 | 43 | 82 |
13 | ダラス・マーベリックス | 13 | 69 | 0.159 | 50 | 82 |
NBAファイナルまでの道のり:1993-94 ヒューストン・ロケッツのプレイオフ
次にヒューストン・ロケッツが1993-94プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1993-94プレイオフの背景】
1993-1994シーズンのプレイオフは1994年4月28日に開始し、6月22日に終了しました。
ファーストラウンド(1回戦)対ポートランド・トレイルブレイザーズ:3勝1敗
プレイオフのファーストラウンド(1回戦)はクライド・ドレクスラーやロッド・ストリックランドらのポートランド・トレイルブレイザーズと対戦し、3勝1敗で破ってカンファレンス・セミアフィナルに進みました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1994年4月29日 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | 104-114 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第2戦 | 1994年5月1日 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | 104-115 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第3戦 | 1994年5月3日 | ヒューストン・ロケッツ | 115-118 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | メモリアル・コロシアム | |
第4戦 | 1994年5月6日 | ヒューストン・ロケッツ | 92-89 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | メモリアル・コロシアム |
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)対フェニックス・サンズ:4勝3敗
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)ではチャールズ・バークレーやケビン・ジョンソンらのフェニックス・サンズを4勝3敗で破り、カンファレンス・ファイナルへと駒を進めました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1994年5月8日 | フェニックス・サンズ | 91-87 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第2戦 | 1994年5月11日 | フェニックス・サンズ | 124-117 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第3戦 | 1994年5月13日 | ヒューストン・ロケッツ | 118-102 | フェニックス・サンズ | アメリカウエスト・アリーナ | |
第4戦 | 1994年5月15日 | ヒューストン・ロケッツ | 107-96 | フェニックス・サンズ | アメリカウエスト・アリーナ | |
第5戦 | 1994年5月17日 | フェニックス・サンズ | 86-109 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第6戦 | 1994年5月19日 | ヒューストン・ロケッツ | 89-103 | フェニックス・サンズ | アメリカウエスト・アリーナ | |
第7戦 | 1994年5月21日 | フェニックス・サンズ | 94-104 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット |
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対ユタ・ジャズ:4勝1敗
カンファレンス・ファイナルではジョン・ストックトンとカール・マローン擁するユタ・ジャズとの対戦となり、これを4勝1敗で制してNBAファイナルへの切符を掴み取りました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1994年5月23日 | ユタ・ジャズ | 88-100 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第2戦 | 1994年5月25日 | ユタ・ジャズ | 99-104 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット | |
第3戦 | 1994年5月27日 | ヒューストン・ロケッツ | 86-95 | ユタ・ジャズ | デルタ・センター | |
第4戦 | 1994年5月29日 | ヒューストン・ロケッツ | 80-78 | ユタ・ジャズ | デルタ・センター | |
第5戦 | 1994年5月31日 | ユタ・ジャズ | 83-94 | ヒューストン・ロケッツ | ザ・サミット |
こうして迎えた1994年のNBAファイナルでは、ヒューストン・ロケッツが”キングコング”パトリック・ユーイング擁するニューヨーク・ニックスに4勝3敗で競り勝ち、フランチャイズ史上初の優勝を決めました。
1994年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:ロケッツが史上初のNBA優勝!
今回は「1994年のNBAファイナルで優勝を果たした”ヒューストン・ロケッツ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝によりヒューストン・ロケッツはフランチャイズ史上初めての優勝を果たしました。
また、アキーム・オラジュワンは個人として初のNBAファイナルで初のファイナルMVP受賞となりました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!