1960年代〜70年代に活躍したNBAスター「デイブ・ビン」。
優勝こそないものの、個人としてはオールスターやオールNBAチームに何度も選出されるリーグトップクラスの選手として活躍し、NBA公式が発表した「NBA75周年記念チーム」にも選出された実績を持つ正真正銘のNBAレジェンドです。
ただ、今NBAを観ている人の多くがまだ生まれていない時代に名を馳せた選手ですので、正直「誰?」って方が多いのではないでしょうか。
そこでこの記事では、そんな「ディブ・ビン」が現役時代どんな選手だったのかについて紹介していこうと思います。
彼が残した功績やスタッツをもとに、デイブ・ビンがNBAレジェンドと呼ばれる所以を語っていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
“黎明期”ピストンズを支えた孤高のエース
1966年NBAドラフトにて全体2位という高順位で指名を受け、デトロイト・ピストンズでNBAキャリアをスタートさせた「デイブ・ビン」。
デトロイトに本拠地を移転し、まだNBAではほとんど実績を残すことができていなかった、いわば“黎明期”とも言えるピストンズにおいて、スコアリングとゲームメイクの両方を担う絶対的エースとして活躍した選手です。
1960年代という時代背景やチームメイトに恵まれず、ついに一度もNBA優勝を果たすことはできませんでしたが、個人としての活躍は素晴らしく、7度のオールスター選出、2度のオールNBAチーム選出、1度の得点王と受賞歴も豪華。
その偉大なキャリアを讃え、多くの時間を過ごしたデトロイト・ピストンズでは、彼の着用した背番号「21」が永久欠番となっていますよ。
【NBA時代の主な功績】
オールスター:7回(1968, 1969, 1971, 1973〜1976)
オールスターゲームMVP:1回(1976)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:2回(1968, 1971)
・セカンドチーム:1回(1974)
得点王:1回(1968)
「視覚障害」という難題に悩まされたキャリア
弱小チームであったピストンズで、たった1人のスター選手としてチームを支え続けた「デイブ・ビン」ですが、そんなチーム事情以上に彼に重くのしかかったのが「視覚障害」という難題でした。
事件が起きたのは1971-72シーズンが開幕する直前のこと。
プレシーズンマッチとして行われたロサンゼルス・レイカーズの試合で、相手選手の指がデイブ・ビンの右目に入ってしまい、「網膜剥離」が発症してしまったのです。
網膜剥離は手術をしなければ失明のリスクも高い疾患で、担当した医師からもバスケのような激しい運動はやめるように警告を受けたのでした。
しかし、デイブ・ビンはなんと手術後3ヶ月間のリハビリを経てコートに復帰。
視力の低下によってでどうしてもシュート精度は落ちてしまったものの、類稀な努力の積み重ねでゲームメイクやディフェンス力を鍛え、プレースタイルを変えてチームに貢献したのでした。
視覚障害はほとんどのスポーツ選手にとってキャリアを終えるには十分すぎる理由ですが、デイブ・ビンにとってはその凄まじい精神力を証明したエピソードの1つに過ぎないんですね。
【プレースタイル】高い身体能力と多彩なオフェンススキルを兼ね備えた「スコアリングガード」
デイブ・ビンのプレースタイルを一言で表現するなら「スコアリングガード」でしょう。
得点を取るのはインサイドプレイヤーの仕事であり、ガードの仕事は「ボールを運ぶこと」と「パスを供給すること」だった1960年代〜70年代のNBAにおいて、デイブ・ビンは時代をはるかに先取りした“自分で得点できるポイントガード”だったのです。
高い身体能力を駆使したアクロバティックなフィニッシュや高精度のアウトサイドシュートなど非常に多彩なオフェンススキルを持ち、「スコアリング」の一点においてその実力はリーグ屈指であったことは間違いないでしょう。
その証として、1967-68シーズンには平均27.1得点を挙げて得点王を獲得しています。
さらに言えば、デイブ・ビンの活躍した時代は「3ポイントライン」が存在しないので、ガードの選手にとっては現代よりも得点効率が低くなるのが一般的。
個人的には、もし3ポイントラインの存在する時代に活躍していたらどんなキャリアを残していたのか、、、と妄想したくなってしまう選手の1人です。
スタッツと共にデイブ・ビンの偉大なキャリアを紹介
ここまで読んでくれた方には、デイブ・ビンがレジェンドと呼ぶに相応しい選手であることは分かっていただけたはず。
続いては、デイブ・ビンについてより深く知っていただくために、彼が残したキャリアスタッツと一緒に、その偉大なキャリアについて簡単に紹介していこうと思います。
「レギュラーシーズン」、「プレイオフ」の順番に見ていきましょう!
レギュラーシーズン(1966–67シーズン〜1977–78シーズン)
| シーズン | チーム | 出場試合 | 出場時間 | フィールドオール% | フリースロー% | リバウンド | アシスト | スティール | ブロック | PPG |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1966–67 | デトロイト ピストンズ |
80 | 34.5 | 43.6 | 73.8 | 4.5 | 4.1 | – | – | 20.0 |
| 1967–68 | 79 | 40.6 | 44.1 | 70.7 | 4.7 | 6.4 | – | – | 27.1 | |
| 1968–69 | 77 | 39.5 | 42.5 | 71.3 | 5.0 | 7.1 | – | – | 23.4 | |
| 1969–70 | 70 | 33.3 | 44.4 | 78.3 | 4.3 | 6.0 | – | – | 22.9 | |
| 1970–71 | 82 | 37.4 | 46.7 | 79.7 | 4.4 | 5.0 | – | – | 27.0 | |
| 1971–72 | 45 | 43.0 | 41.4 | 78.5 | 4.1 | 7.0 | – | – | 22.6 | |
| 1972–73 | 82 | 41.0 | 44.8 | 81.4 | 3.6 | 7.8 | – | – | 22.4 | |
| 1973–74 | 81 | 38.6 | 43.6 | 81.3 | 3.5 | 6.9 | 1.3 | 0.2 | 18.8 | |
| 1974–75 | 79 | 40.8 | 43.4 | 80.9 | 3.6 | 7.7 | 1.5 | 0.3 | 19.0 | |
| 1975–76 | ワシントン ブレッツ |
82 | 35.9 | 44.7 | 78.7 | 2.9 | 6.0 | 1.4 | 0.3 | 16.2 |
| 1976–77 | 64 | 23.7 | 45.4 | 77.3 | 2.2 | 4.3 | 1.0 | 0.1 | 10.6 | |
| 1977–78 | ボストン セルティックス |
80 | 28.2 | 44.9 | 82.4 | 2.7 | 3.8 | 1.0 | 0.2 | 13.6 |
| 通算 | 901 | 36.4 | 44.1 | 77.5 | 3.8 | 6.0 | 1.3 | 0.2 | 20.3 | |
全盛期を含むキャリアのほぼ全てをデトロイト・ピストンズで過ごしたデイブ・ビン。
リーグ屈指のスコアリング能力を持っていたビンですが、やはり注目すべきは「得点王」を受賞した1967-68シーズンでしょう。
なんとキャリア2年目でキャリアハイの平均得点を残しているんですね!
キャリアの後半は網膜剥離によってチームのNo.1オプションとしての活躍は難しくなったものの、その分アシスト能力は向上。
アシストがキャリアハイの7.7本を記録したのは、網膜剥離から3年後の1974–75シーズンでした。
NBAで12シーズンという長いキャリアを過ごしたビンですが、引退直前までチームの主力として活躍できたのはその類稀なる努力の賜物といえますね!
プレイオフ(計5シーズン)
| シーズン | チーム | 出場試合 | 出場時間 | フィールドオール% | フリースロー% | リバウンド | アシスト | スティール | ブロック | PPG |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1967-68 | DET | 6 | 42.3 | 41.0 | 73.3 | 4.0 | 4.8 | – | – | 28.2 |
| 1973-74 | 7 | 44.6 | 42.0 | 73.3 | 3.7 | 6.0 | 0.4 | 0.1 | 18.9 | |
| 1974-75 | 3 | 44.7 | 42.6 | 61.5 | 3.7 | 9.7 | 1.7 | 0.0 | 16.0 | |
| 1975-76 | WSB | 7 | 29.9 | 44.7 | 80.0 | 2.6 | 4.0 | 1.0 | 0.3 | 13.7 |
| 1976-77 | 8 | 6.9 | 43.8 | 100 | 0.8 | 0.6 | 0.0 | 0.1 | 4.0 | |
| 通算 | 31 | 31.1 | 42.3 | 74.8 | 2.7 | 4.3 | 0.6 | 0.2 | 15.4 | |
個人としては偉大なキャリアを送ったデイブ・ビンですが、プレイオフに進出することができたのは5回だけ。
しかも、プレイオフで1回戦の壁を打ち破ったのは、ワシントン・ブレッツ時代の1976-77シーズンが初めてのことでした。
ただ、これは必ずしもビンの実力が不足していたとは言えず、チームメイトの強さが足りなかったことは無視できない事実。
むしろビンはプレイオフで大きく成績をあげる勝負強さを持った選手であり、全盛期で唯一出場した1967-68シーズンには平均28.2得点を記録してチームを牽引しました。
まとめ
今回は、「デイブ・ビン」という選手がなぜレジェンドと呼ぶに相応しい選手だったのかについて解説してきました。
いかがでしたか?
自分以外にスコアリングを任せられる選手がいないチーム状況。
不慮の事故によって突如直面した視力の低下。
どちらも普通の選手であれば「結果を出せなくても仕方ない」と言われてもおかしくない状況です。
そんな中、デイブ・ビンという男は努力を続け、チームの勝利のために自分を磨き続けたからこそ、レジェンドと呼ばれる選手へと成り上がったのでしょう。
プレーの映像がほとんど残っていないほどに昔の選手ではありますが、この記事がみなさんにとってデイブ・ビンを知るきっかけになれば嬉しく思います。
他のNBAレジェンドについても同様に紹介する記事がありますので、興味のある方はぜひそちらもご覧くださいね!
それではまた、次の記事でお会いしましょう!