皆さんはNBA史上最強のディフェンシブセンターといえば誰を思い浮かべますか?
シャキール・オニールやドワイト・ハワードなどNBAには数々の支配的なセンターが存在しますが、ことディフェンスに限っていえば、218cmの長身と類稀なセンスを武器に最強のリムプロテクターとしてゴール下を支配した「ディケンべ・ムトンボ」はその筆頭候補と言っても過言ではないでしょう。
ただ、全盛期が1990年代〜2000年代であるため、最近NBAを見始めた方の中にはその実力をよく知らないという方も多いのではないでしょうか?
そこでこの記事では、そんなディケンべ・ムトンボが現役時代どんな選手だったのかについて詳しくご紹介しようと思います。
彼が残した功績やNBAキャリアのハイライトなどを交えて語っていきますので、一緒にディケンべ・ムトンボの凄さを紐解いていきましょう!
目次
“指振りジェスチャー”と共にゴール下に君臨した「守護神」
コンゴ民主共和国史上初のNBA選手であり、NBA史上屈指のディフェンシブセンターとして知られる「ディケンべ・ムトンボ」。
1991年NBAドラフトにて全体4位でデンバー・ナゲッツから指名を受けると、合計18年という長いキャリアの中でアトランタ・ホークスやヒューストン・ロケッツなど数々のチームでゴール下の「守護神」を務めたレジェンドです。
パトリック・ユーイングやシャキール・オニール、アロンゾ・モーニングなどNBAを代表するレジェンドセンターたちと同世代に活躍しながら、2度のリバウンド王や3度のブロック王を受賞するなどディフェンス面においては頭ひとつ抜けた存在であったムトンボ。
代名詞の「フィンガー・ワグ(指振りジェスチャー)」と共に相手を見下ろす姿が非常に印象的な選手でした。
キャリア平均9.8得点とオフェンスは得意ではなかったものの、誰もが認めるNo.1ディフェンダーとしてNBAに君臨した功績を讃えられ、彼が全盛期を過ごしたアトランタ・ホークスとデンバー・ナゲッツでは着用した赤番号がぞれぞれ永久欠番に認定されています。
伝説のセレブレーション「フィンガー・ワグ」の生みの親
「No, No, No.」の煽り文句と共に立てた人差し指を左右に振る「フィンガー・ワグ」。
ブロックした相手に「ゴールなんてさせないよ」という意思を伝える挑発的な動作であり、ジョエル・エンビードやビクター・ウェンバヤマなど数々のNBA選手が真似してきた伝説のセレブレーションです。
ご存知の方も多いかも知れませんが、そんな「フィンガー・ワグ」を最初に行った選手こそが、この記事の主人公であるディケンべ・ムトンボなんですよ。
実はこれ、ムトンボの母親が小さい頃のムトンボを叱る時にやっていた動作が起源になっているんだそうです。
ムトンボの現役時代には"相手を侮辱する行為”としてNBAに禁止されていましたが、現在ではNBAを代表する最も有名なセレブレーションの1つとして、ムトンボが残した圧倒的な実績と共に後世のプレイヤーたちに継承されています。
1994年に起きた歴史的アップセットの立役者
さて、ここからはディケンべ・ムトンボのNBAキャリアにおけるハイライトシーンのご紹介をしていこうと思います。
まず初めにご紹介するのは、ディケンべ・ムトンボのキャリアを語る上で欠かすことができない功績の1つである「1994年のプレイオフ1回戦」。
キャリア3年目にしてすでにNBAトップクラスのブロッカーへと成長していたムトンボは、第8シードとして1回戦でゲイリー・ペイトンやショーン・ケンプらを擁し当時NBA最強チームの1つであったシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)と激突しました。
前評判では第1シードのソニックスがムトンボの所属するデンバー・ナゲッツを圧倒すると予想されていましたが、蓋を開けてみれば2勝3敗でナゲッツの劇的勝利。
第8シードによる第1シードの撃破はNBA史上初めての出来事であり、勝敗を決める運命の第5戦で脅威の8ブロックを記録したムトンボはこの歴史的アップセット(下剋上)の立役者として語り継がれる存在となったのです。
アレン・アイバーソンと共に伝説のNBAファイナル進出
もう一つ、ディケンべ・ムトンボのNBAキャリアのハイライトを挙げるとすれば、やはり2001年に行われた伝説のNBAファイナルを選ばないわけにはいきません。
多くのNBAファンの中では、2001年のNBAファイナルといえばアレン・アイバーソンが昨年王者のロサンゼルス・レイカーズ相手に圧倒的なパフォーマンスで1勝をもぎ取ったシリーズとして記憶に刻まれていることでしょう。
ただ、この時アレン・アイバーソンの裏でフィラデルフィア・76ersの守備の要として活躍していた選手こそがディケンべ・ムトンボなんです。
NBAファイナルの5試合においてもムトンボは平均16.8得点、12.2リバウンド、2.2ブロックと期待された仕事をしっかりとこなしましたが、相手はあのシャキール・オニール。
平均33.0得点、15.8リバウンドという圧倒的なスタッツで蹂躙され、結果的にはセンターとしての強さを格付けされることとなってしまいました。
それでも、ムトンボの存在なくしてシクサーズのNBAファイナル進出はなかったと言っても過言ではなく、“得点王”のアイバーソンと“最優秀守備選手賞”のムトンボという「縦と矛コンビ」がもたらしたNBAファイナルという舞台は、現在でもシクサーズファンにとって最も記憶に残るシーンの1つとなっています。
まさに守護神!ディケンべ・ムトンボが残した偉大な功績2選
ここまで読んでいただいた方には、ディケンべ・ムトンボが1990年代〜2000年代においていかに存在感のある選手だったのかがわかっていただけたはず。
続いては、ディケンべ・ムトンボが「守護神」と呼ばれる所以である"ディフェンス面での偉大な功績”を2つご紹介し、その凄さをより深く感じていただこうと思います。
偉大な功績①:4度の最優秀守備選手賞(DPOY)受賞
ディケンべ・ムトンボが残した功績の中でも特に有名なのが「通算4度の最優秀守備選手賞(DPOY)受賞」でしょう。
NBAにおいてその年リーグで最も支配的だったディフェンダー1人に送られるアワードである最優秀守備選手賞(DPOY)ですが、4度の受賞はNBA史上最多タイ(ベン・ウォーレス、ルディ・ゴベアと並ぶ)の大記録。
オールディフェンシブチームにも6度の選出を受けており、全盛期は間違いなくNo.1ディフェンダーだったと言えるでしょう。
リバウンドやブロックといったスタッツに残るパフォーマンスが注目されがちですが、ムトンボクラスのディフェンダーになると、その存在自体が相手のオフェンスを狂わせる要因。
ムトンボがゴール下に立っているだけで相手チームにドライブを躊躇させるほどに、インサイドにおいて圧倒的な存在だったというわけです。
偉大な功績②:歴代2位となる通算3,289ブロック
ムトンボが残したもう一つの偉大な功績は「キャリア通算3,289ブロック」です。
ブロックが公式にカウントされ始めた1973-74シーズン以降のランキングにはなりますが、これはアキーム・オラジュワン(3,830ブロック)に次ぐ歴代2位の記録。
キャリアハイ4.5ブロックという脅威的なまでの身体能力とセンスはもちろんですが、18シーズンという長いキャリアを戦い抜いた身体的な強さがあってこそ打ち立てることのできた大記録と言えるでしょう。
シグネチャーモデル「アディダス ムトンボ」
最後にディケンべ・ムトンボが着用した代表的なバッシュ「アディダス ムトンボ」について見ていきましょう!
「アディダス ムトンボ」は1993年にディケンべ・ムトンボのシグネチャーモデルとしてアディダスがリリースした重量感抜群のハイカットモデル。
特徴的なのはそのデザイン性であり、コンゴ民主共和国をインスパイアした幾何学模様と、背番号「55」とシールド(盾)を組み合わせたムトンボ専用ロゴによって非常に個性的でかっこいい一足に仕上がっています。
そのデザイン性の高さから現在でもストリートファッションのアイテムとして根強い人気を誇っており、2013年にはファン待望の復刻版が発売。
2026年4月現在は製造が終了しており非常に希少価値の高いモデルとなってしまっていますが、楽天市場などの大手通販サイトでも取引されているので興味のある方はぜひチェックしてみてくださいね!
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まとめ
今回はNBA史上最高のディフェンシブセンターの1人である「ディケンべ・ムトンボ」についてご紹介しました。
ムトンボについてよく知らなかった方も、彼がいかに偉大な選手だったのかは分かっていただけたのではないでしょうか?
キャリア通算4度の最優秀守備選手賞(DPOY)に6度のオールディフェンシブチーム選出、2度のリバウンド王に3度のブロック王受賞。
基本的にオフェンスが有利とされるバスケットボールにおいて、これほどまでにディフェンス面で歴史に名を残す選手もかなり珍しいでしょう。
ブロックだらけのムトンボのハイライトは非常に見応えがありますので、まだ彼のプレーを見たことがない方はこの機会にぜひYouTubeなどで視聴してみてくださいね!