NBA伝説の男たち

ビンス・カーターって何がすごいの?”ハーフマン・ハーフアメイジング”の異名を持つNBA史上最高のダンカー

ビンス・カーターの“凄さ”って何?

NBA史上最高のダンカーと言えば?という議題で真っ先に名前が挙がるのが「ビンス・カーター」です。

創造性の高いダンクシュートと共にNBAの歴史に残る数々の名シーンを生み出してきたカーターですが、その知名度とは裏腹に現役時代どのような選手だったのかを知らないという方も多いのではないでしょうか?

 

そこで、この記事ではビンス・カーターの”凄さ”と称して、彼が残した功績や伝説のダンクシーンなどを解説していこうと思います。

単なるダンカーの枠に収まらず、全盛期はリーグ屈指のスコアラーとして活躍したカーターの魅力を存分に語っていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!

 

さて、まずは「ビンス・カーターがどのような選手だったのか」から一緒に見ていきましょう!

 

”ハーフマン・ハーフアメイジング”の異名を持つスラムダンカー

1998年NBAドラフトにて全体5位で指名を受け、トロント・ラプターズでNBAキャリアをスタートさせたビンス・カーター。

キャリア初期は圧倒的な身体能力から次々ダンクを繰り出すリーグ屈指のスコアラーであり、彼があまりに多くの伝説的なダンクシーンを生み出すことからつけられた”ハーフマン・ハーフアメイジング(半分人間、半分凄技)”という異名と共に絶大な人気を誇るようになりました。

 

一方、キャリアの晩年にはスタイルを大きく変更し、3ポイントシュート主体で戦うベテラン選手として数々のチームを渡り歩くことに。

ついに優勝を果たすことはできませんでしたが、プライドを捨てスタイルを変えてまでNBAで活躍し続ける姿は多くのNBAファンに感動を与えました。

 

キャリアの全盛期を過ごしたトロント・ラプターズとニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)では着用した背番号「15」がそれぞれ永久欠番となっており、その名前は彼が残した数々の伝説的なダンクと共に「NBA史上最高のスラムダンカー」として語り継がれていくこととなったのです。

 

ビンス・カーターを代表する伝説のダンク3選

さて続いては、そんなNBA史上最高のスラムダンカーが残した数々のダンクシュートの中から、特に“伝説”と呼ぶにふさわしいものを3つ厳選してご紹介します。

どれもバスケットボールの歴史に残るハイライトシーンですので、実際の映像をまだ見たことがない方はこの記事を読んだ後にぜひYouTubeなどの動画も合わせて視聴してみてくださいね!

 

伝説のダンク①:2000年シドニー五輪「死のダンク」

まず初めにご紹介するのは、バスケットボールの歴史上最も衝撃的なダンクとして知られる「死のダンク」です。

 

事件の舞台となったのは、2000年に行われたシドニーオリンピック予選のアメリカ vs.フランスの一戦。

アメリカ代表として出場したビンス・カーターは、試合中にフランスのセンター「フレデリック・ワイス」と1対1の状況になり、なんとそのままワイスを飛び越える形でダンクを決めてみせたのです。

 

NBAクラスにもなれば人間を飛び越えてダンクをするシーンって結構あるんですが、この時飛び越えられたフレデリック・ワイスの身長はなんと2m18cm。

しかもフレデリック・ワイスはこのダンクがトラウマとなってしまい、のちにNBAからドラフト指名を受けるも辞退するなどキャリアに大きな影響を与えました。

 

この衝撃的なダンクは、1人の選手のキャリアを大きく変えてしまったという事実と共に「死のダンク」という名前で後世に語り継がれることとなったのです。

 

伝説のダンク②:2000年スラムダンクコンテスト「エルボーダンク」

2つ目にご紹介する伝説のダンクは、ビンス・カーターが2000年のスラムダンクコンテストで披露した「エルボーダンク」です。

その名の通り肘までリングの中に突っ込むようにダンクするエルボーダンクは、別名「ハニーディップ」とも呼ばれ、ビンス・カーターがこの年のスラムダンクコンテストで優勝する決定打となりました。

 

今でこそ多くの選手が真似する技になっているものの、当時は誰も見たことのない画期的なスタイル。

難易度としてはそれほど高いものではありませんが、ビンス・カーターの創造性を象徴するダンクと言えるでしょう。

 

伝説のダンク③:2000年スラムダンクコンテスト「360度ウィンドミルダンク」

3つ目は非常に迷いましたが、ビンス・カーターのダンクの中でも特に難易度の高い「360度ウィンドミルダンク」を選出。

空中で一回転する「360(スリーシックスティ)」という動きとボールを持った腕を伸ばしながら大きく胃回転する「ウインドミルダンク」を組み合わせた技で、跳躍力やバランス感覚、空間把握能力、体を操るセンスなど、全ての能力がなければ成功させることの難しい超難易度のダンクです。

 

ビンス・カーターはこの360度ウィンドミルダンクを2000年スラムダンクコンテストの1本目のダンクとして披露し、しかも一発で成功。

あとのインタビューでわかったことですが、カーターはこのダンクを練習で一度も決めたことがなかったそうで、土壇場での勝負強さも相まって“伝説”と呼ぶにふさわしいダンクシュートとなりました。

 

トロント・ラプターズの創世記を救った英雄の1人

ここまでビンス・カーターのプレー面での凄さをご紹介してきましたが、カーターがレジェンドたる所以はそれだけではありません。

チームとして創設間もない頃のトロント・ラプターズを支え、カナダにおけるNBA人気の礎を築いたカーターの存在は、ラプターズにとって今後現れるどんなに凄い能力を持った選手よりも偉大であると言っても過言ではないでしょう。

 

バンクーバー・グリズリーズ(現メンフィス・グリズリーズ)と共にNBA史上初のアメリカ国外に本拠地を置くチームとして誕生したトロント・ラプターズは、誕生当初カナダの地でバスケットボール人気がないことに悩まされていました。

しかし、創設3年目にしてビンス・カーターとトレイシー・マグレディという従兄弟の関係にある2人のスター選手が加入したことによって、カナダ、特にトロントでのバスケットボール人気は爆発。

十分な集客を見込めるようになったトロント・ラプターズは球団として成長を続け、2019年にはついに悲願のNBA制覇を成し遂げるまでに至ったのです。

 

ビンス・カーターがいなければ今のトロント・ラプターズは存在しなかったかもしれないわけですから、彼の影響力という意味での凄さはプレー面を凌ぐほどに大きなものであることは間違いありません。

 

「22シーズン」を生き抜いた“適応力”の持ち主

ここまで「プレー」と「影響力」という2つの面でビンス・カーターの凄さをお伝えしてきましたが、最後にもう一つ、「長寿性」という面での凄さをお伝えしたいと思います。

2020年にその輝かしいキャリアに幕を閉じたカーターですが、実に「22シーズン」というルーキー選手の人生よりも長い期間NBAに在籍しており、これは現時点(2026年3月21日)でレブロン・ジェームズに次ぐNBA史上2番目に長い数字となっています。

 

カーターがこれほどまでに長い期間NBA選手として活躍できた大きな理由は「プレースタイルの変化」と「適切なメンテナンス」の2つでしょう。

先ほどもお伝えしたように、キャリア前半は身体能力を存分に使ったアグレッシブなプレースタイルだったのに対し、後半にはスリーポイントシュート主体のシュータースタイルに変更しており、年齢が上がって行っても活躍できる方法を模索していたことがわかります。

また、カーターは引退後のインタビューで体のメンテナンスの重要性を語っており、試合後の毎日のケアや怪我を防ぐためのテーピングにこだわっていたことを明かしました。

 

プレースタイルの変更と一言で言ってもそこには膨大な練習があったはずですし、毎日の体のケアも自由時間を犠牲にしながら行なっていたはず。

それらの地道な努力の上に成り立っていた“適応力”は、ビンス・カーターという選手を象徴する“凄さ”の1つと言えるのではないでしょうか?

 

まとめ

今回は、NBA史上最高のダンカーと名高い「ビンス・カーター」についてご紹介しました。

いかがでしたでしょうか?

 

数々のハイライトダンクに目を奪われがちですが、カーターが真に凄い点は、カナダにバスケットボールの文化を生み出した影響力や22シーズンを戦い続けた長寿性にあるのかもなと感じました。

とはいえ僕もビンス・カーターのダンク集は大好物ですので、完全に目を奪われている側なんですけどね。笑

 

これまでビンス・カーターのプレーを見たことがないという方は、2000年のダンクコンテストだけでもいいので、ぜひYouTubeなどで動画を視聴してみてくださいね!

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