皆さんこんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。
これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。
一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。
その確率は脅威の0.0001%。
例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。
そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。
本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。
そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。
特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。
その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。
今回はその中から「NBAファイナル1950 ミネアポリス・レイカーズ VS シラキューズ・ナショナルズ」の対決をご紹介しましょう!
NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!
それではティップオフ!!
NBAファイナル1950に出場したチームの背景を知ろう!
1950年NBAファイナルはセントラル・ディビジョンチャンピオンの「ミネアポリス・レイカーズ」とイースタン・ディビジョンスチャンピオンの「シラキューズ・ナショナルズ」の戦いでした。
まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!
ミネアポリス・レイカーズ
1949-50シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 51勝17敗(ディビジョン1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
ディビジョン・準決勝 | 勝敗(VS シカゴ・スダックス) |
ディビジョン・決勝 | 勝敗(VS フォートウェイン・ピストンズ) |
「ミネアポリス・レイカーズ」はミネソタ州ミネアポリスに拠点を置くチームです。
エースは「ジョージ・マイカン」。
レギュラーシーズンを51勝17敗のディビジョン1位で終えると、プレーオフでは準決勝で「シカゴ・スダックス」を、決勝戦でジョージ・ヤードリーを要する「フォートウェイン・ピストンズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。
この年優勝を果たしたミネアポリス・レイカーズがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!
シラキューズ・ナショナルズ
1949-50シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 51勝13敗(ディビジョン1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
ディビジョン・準決勝 | 2勝0敗(VS フィラデルフィア・ウォリアーズ) |
ディビジョン・決勝 | 2勝1敗(VS ニューヨーク・ニックス) |
「シラキューズ・ナショナルズ」はニューヨーク州シラキュースに拠点を置くチームです。
エースは「ドルフ・シェイズ」。
レギュラーシーズンを51勝13敗のディビジョン1位で終えると、プレーオフでは準決勝で初代王者の「フィラデルフィア・ウォリアーズ」を、決勝戦で「ニューヨーク・ニックス」を倒し、NBAファイナルに進みました。
NBAファイナル1950の出場選手・ロスター
次にNBAファイナル1950で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!
ミネアポリス・レイカーズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
F-G | 18 | アーニー・フェリン(Arnie Ferrin) | 188 | 82 | 1925年7月29日 |
G | 11 | ビリー・ハセット(Billy Hassett) | 180 | 82 | 1921年10月21日 |
G | 16 | ボブ・ハリソン(Bob Harrison) | 185 | 86 | 1927年8月12日 |
F | 14, 20 | バド・グラント(Bud Grant) | 191 | 88 | 1927年5月20日 |
G-F | 15 | ドン・カールソン(Don Carlson) | 183 | 77 | 1919年3月22日 |
F-G | 12 | ジーン・スタンプ(Gene Stump) | 188 | 84 | 1925年8月9日 |
C | 99 | ジョージ・マイカン(George Mikan) | 208 | 111 | 1924年6月18日 |
G-F | 10 | ハーム・シェーファー(Herm Schaefer) | 183 | 79 | 1918年12月20日 |
SF | 17 | ジム・ポラード(Jim Pollard) | 193 | 84 | 1922年7月9日 |
F | 20 | ノーミー・グリック(Normie Glick) | 201 | 86 | 1927年11月10日 |
SG | 14 | ポール・ウォルター(Paul Walther) | 188 | 73 | 1927年3月23日 |
PG | 22 | スレイター・マーティン(Slater Martin) | 177 | 77 | 1925年10月22日 |
F-G | 13 | トニー・ヤロス(Tony Jaros) | 191 | 84 | 1920年2月22日 |
PF | 19 | ヴァーン・ミッケルセン(Vern Mikkelsen) | 201 | 103 | 1928年10月21日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
シラキューズ・ナショナルズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PG | 15 | アル・セルヴィ(Al Cervi) | 180 | 77 | 1917年2月12日 |
PF | 10 | アレックス・ハナム(Alex Hannum) | 201 | 95 | 1923年7月19日 |
F-G | 14 | アンドリュー・リヴェイン(Andrew Levane) | 188 | 86 | 1920年4月11日 |
SG | 7, 35 | ビル・ガボア(Bill Gabor) | 180 | 77 | 1922年5月13日 |
F-C | 4, 55 | ドルフ・シェイズ(Dolph Schayes) | 203 | 100 | 1928年5月19日 |
C | 13, 50 | エド・パターソン(Ed Peterson) | 206 | 100 | 1924年6月27日 |
PF | 6, 65 | ジョージ・ラトコビッチ(George Ratkovicz) | 198 | 100 | 1922年11月13日 |
G-F | 5 | ジョニー・マクナウスキー(Johnny Macknowski) | 183 | 82 | 1923年1月7日 |
F | 9, 11 | リロイ・ショレ(Leroy Chollet) | 188 | 86 | 1925年3月5日 |
G-F | 8, 25 | ポール・シーモア(Paul Seymour) | 185 | 82 | 1928年1月30日 |
G | 4, 9 | レイ・コーリー(Ray Corley) | 183 | 82 | 1928年1月14日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
NBAファイナル1950のシリーズ概要
それではいよいよNBAファイナル1950の試合の結果を見ていきましょう!
1949-50シーズンのNBAチャンピオンは「ミネアポリス・レイカーズ」。
チームとしては2年連続2度目の優勝となりました。
対戦成績は4勝2敗。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 4月8日 | ミネアポリス・レイカーズ | 68-66 | シラキュース・ナショナルズ |
2 | 4月9日 | ミネアポリス・レイカーズ | 85-91 | シラキュース・ナショナルズ |
3 | 4月14日 | シラキュース・ナショナルズ | 77-91 | ミネアポリス・レイカーズ |
4 | 4月16日 | シラキュース・ナショナルズ | 69-77 | ミネアポリス・レイカーズ |
5 | 4月20日 | ミネアポリス・レイカーズ | 76-83 | シラキュース・ナショナルズ |
6 | 4月23日 | シラキュース・ナショナルズ | 95-110 | ミネアポリス・レイカーズ |
NBAファイナル1950の試合の概要
ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。
ミネアポリス・レイカーズが史上初の2連覇を成し遂げたシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!
第1戦(68-66 ミネアポリス・レイカーズ Win)
NBAファイナルの1回戦はシラキュース・ナショナルズのホーム「ステイト・フェア・コロシアム」で始まりました。
レギュラーシーズンの勝率で勝っているのはナゲッツだったものの、レイカーズは昨年のディフェンディングチャンピオンであり、あくまでナショナルズが挑戦者の立場でした。
ホームコートアドバンテージを得たナショナルズは初戦を勝って勢いに乗りたいところでしたが、いきなり昨年王者の実力を見せつけられることとなります。
試合展開としては点差があまり開かず終盤まで接戦となりましたが、ナショナルズにはジョージ・マイカンを止める手立てがなく、勝負所でマイカンに連続で得点を決められて敗北。
マイカンはこの日37得点と、チームの総得点の約6割を1人で叩き出すモンスターパフォーマンスでチームを勝利に導きました。
第2戦(85-91 シラキュース・ナショナルズ Win)
レイカーズリードで迎えた第2戦。
第1戦を落としたナショナルズでしたが、第2戦はオフェンスが大きく改善。
出場選手全員が得点を決めるなどオフェンスの多彩さを披露し前半だけで13点のリードを奪うと、後半はレイカーズの反撃を受けるもリードを守り切って勝利。
シリーズの対戦成績を1-1のタイに戻しました。
レイカーズはジョージ・マイカンがチームハイの32得点を記録しました。
第3戦(77-91ミネアポリス・レイカーズ Win)
シリーズタイの状態で迎えた第3戦。
舞台はミネアポリス・レイカーズのホーム「セイントポール大聖堂」に移ります。
第2戦を落としたレイカーズでしたが、ホームに戻って勢いを取り戻すと、選手たちが高い得点力を発揮します。
ジョージ・マイカンの28得点はいつものことながら、この日はヴァーン・ミッケルセンも27得点と続き、ナショナルズのインサイドを蹂躙。
マイカン以外にも得点を取れる選手がいるとなるとナショナルズは止めようがなく、後半から点差をぐんぐん離し、レイカーズが勝利を確実なものにしました。
第4戦(69-77 ミネアポリス・レイカーズ Win)
レイカーズが再度リードして迎えた第4戦。
ホーム2戦目となったレイカーズはミッケルセンが第3戦ほどの活躍はできないものの、代わりにジム・ポラードが17得点とその穴を埋める活躍でレイカーズが2連勝を納めました。
ナショナルズも前半は粘ったものの、後半に引き離される形で敗退。
この日のゲームハイはまたもマイカンで、28得点を記録しました。
第5戦(76-83 シラキュース・ナショナルズ Win)
レイカーズが連覇に王手をかけて迎えた第5戦。
舞台はナショナルズのホーム「ステイト・フェア・コロシアム」に戻ります。
崖っぷちのナショナルズはホームで流れを変えるべく、序盤から積極的にレイカーズゴールにアタック。
第2Qにレイカーズが8得点と絶不調に陥ったこともあり、前半だけで14点のリードを広げることに成功します。
第4Qにはマイカンを中心にレイカーズの猛反撃をが始まり、一気に11点差を縮めますが、そこまでに大きなリードを得ていたナショナルズが問題なく勝利。
この日ナショナルズはドルフ・ジェイズがチームハイの19得点を記録しました。
第6戦(95-110 ミネアポリス・レイカーズ Win)
運命の第6戦。
舞台はレイカーズのホーム「セイントポール大聖堂」。
第5戦を勝利したナショナルズはこの試合も勝って優勝に望みをつなぎたいところでしたが、その勢いを序盤で潰すかのようにレイカーズが最初から猛攻を仕掛けます。
その猛攻はハーフタイムを超えて第3Qまで続き、第4Qを迎える頃には56-81と25点の差がついていました。
それでも最後まで諦めなかったナショナルズは第4Qに39得点を記録しますが、点差を縮めるには至らず、レイカーズが15点差を保って余裕の勝利。
この勝利により、ミネアポリスレイカーズはNBA史上初となる2連覇を達成したチームとなりました。
まとめ
今回は「NBAファイナル1950 ミネアポリス・レイカーズ VS シラキューズ・ナショナルズ」の対決をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
NBAの歴史を語る際にしばしば出てくる言葉の1つに”王朝”というものがあります。
”王朝”は複数年にわたって1つのチームがNBAで優勝し続けることを指す言葉ですが、NBA史上初の王朝と呼べる期間を作り出したのがこの時代のミネアポリス・レイカーズでした。
レイカーズは次の年こそ優勝を逃すものの、その後すぐに王者に復活し、NBAを支配していくこととなります。
やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!
他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!