こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1949-50シーズンを制したミネアポリス・レイカーズ(LAL)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
ミネアポリス・レイカーズは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
ミネアポリス・レイカーズは 1949年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1949-50 ミネアポリス・レイカーズのレギュラーシーズン
まずは1949-50レギュラーシーズンがミネアポリス・レイカーズにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
1947年に設立されて以降、ジョージー・マイカンを中心としたチームでリーグを支配してきたミネアポリス・レイカーズ。
昨年NBAの前身であるBAAで初のNBA優勝を果たしたため、今シーズンはディフェンディングチャンピオンとして連覇を目指してレギュラーシーズンに臨みました。
【レギュラーシーズンの結果】
昨年同様セントラル・ディビジョンの強豪として勝利を重ね、最終的には51勝17敗のリーグ1位タイの勝率を残してプレイオフに進出しました。
ミネアポリス・レイカーズはセントラル・ディビジョンで1位を獲得しました。
【1949-50レギュラーシーズン セントラル・ディビジョンの結果】
セントラル・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | GP |
ミネアポリス・レイカーズ | 51 | 17 | 0.750 | - | 68 |
ロチェスター・ロイヤルズ | 51 | 17 | 0.750 | - | 68 |
シカゴ・スタッグス | 40 | 28 | 0.588 | 11 | 68 |
フォートウェイン・ゾルナー・ピストンズ | 40 | 28 | 0.588 | 11 | 68 |
セントルイス・ボンバーズ | 26 | 42 | 0.382 | 25 | 68 |
NBAファイナルまでの道のり:1949-50 ミネアポリス・レイカーズのプレイオフ
次にミネアポリス・レイカーズが1949-50プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1949-50プレイオフの背景】
1949-1950シーズンのプレイオフは1950年3月21日に開始し、4月23日に終了しました。
ファーストラウンド(1回戦)対シカゴ・スタッグス:2勝0敗
プレイオフのファーストラウンド(1回戦)はマックス・ザスロフスキー擁するシカゴ・スタッグスと対戦し、2勝0敗でなんなく倒してセミファイナルに進みました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1950年3月22日 | シカゴ・スタッグス | 75-85 | ミネアポリス・レイカーズ | セントポール・オーディトラム | |
第2戦 | 1950年3月25日 | ミネアポリス・レイカーズ | 75-67 | シカゴ・スタッグス | シカゴ・スタジアム |
セミファイナル 対フォートウェイン・ピストンズ:2勝0敗
セミファイナルではフレッド・シャウスらのフォートウェイン・ピストンズと対戦し、2勝0敗で破ってファイナルに進みました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1950年3月27日 | フォートウェイン・ピストンズ | 79-93 | ミネアポリス・レイカーズ | ミネアポリス・オーディトラム | |
第2戦 | 1950年3月28日 | ミネアポリス・レイカーズ | 89-82 | フォートウェイン・ピストンズ | ノースサイドハイスクール・ジム |
ファイナル 対アンダーソン・パッカーズ:2勝0敗
ディビジョン・ファイナルではアンダーソン・パッカーズとの対戦となり、これを2勝0敗で制してNBAファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1950年4月5日 | アンダーソン・パッカーズ | 50-75 | ミネアポリス・レイカーズ | ミネアポリス・オーディトラム | |
第2戦 | 1950年4月6日 | ミネアポリス・レイカーズ | 90-71 | アンダーソン・パッカーズ | アンダーソンハイスクール・ウィグワム |
こうして迎えた1950年のNBAファイナルでは、ミネアポリス・レイカーズがドルフ・シェイズらのシラキューズ・ナショナルズを4勝2敗で破り、NBA優勝を果たしました。
1950年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:ミネアポリス・レイカーズが初の連覇達成
今回は「1950年のNBAファイナルで優勝を果たした”ミネアポリス・レイカーズ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝はミネアポリス・レイカーズにとって2年連続2度目のNBA制覇となりました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!