皆さんこんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。
これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。
一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。
その確率は脅威の0.0001%。
例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。
そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。
本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。
そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。
特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。
その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。
今回はその中から「NBAファイナル1953 ミネアポリス・レイカーズ VS ニューヨーク・ニックス」の対決をご紹介しましょう!
NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!
それではティップオフ!!
目次
NBAファイナル1953に出場したチームの背景を知ろう!
1953年NBAファイナルはウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「ミネアポリス・レイカーズ」とイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ニューヨーク・ニックス」の戦いでした。
まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!
ミネアポリス・レイカーズ
1952-53シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 48勝22敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | 2勝0敗(VS インディアナポリス・オリンピアンズ) |
カンファレンス・ファイナル | 3勝2敗(VS フォートウェイン・ピストンズ) |
「ミネアポリス・レイカーズ」はミネソタ州ミネアポリスに拠点を置くチームです。
現在はロサンゼルス・レイカーズに名称を変更しています。
エースは「ジョージ・マイカン」。
レギュラーシーズンを48勝22敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフでは準決勝でで解体目前の「インディアナポリス・オリンピアンズ」を、決勝戦でジョージ・ヤードリーを要する「フォートウェイン・ピストンズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。
この年優勝を果たしたミネアポリス・レイカーズがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!
ニューヨーク・ニックス
1952-53シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 47勝23敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | 2勝0敗(VS ボルティモア・ブレッツ) |
カンファレンス・ファイナル | 3勝1敗(VS ボストン・セルティクス) |
「ニューヨーク・ニックス」はニューヨーク州ニューヨークに拠点を置くチームです。
この年のニックスはコニー・シモンズやアーニー・バンダウェイによって構成されていました。
レギュラーシーズンを47勝23敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフでは準決勝でk解体目前の「ボルティモア・ブレッツ」を、決勝戦でボブ・クージー要する「ボストン・セルティクス」を倒し、NBAファイナルに進みました。
NBAファイナル1953の出場選手・ロスター
次にNBAファイナル1953で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!
ミネアポリス・レイカーズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
SG | 16 | ボブ・ハリソン(Bob Harrison) | 183 | 86 | 1927年8月12日 |
F | - | ディック・シュニットケル(Dick Schnittker) | 196 | 91 | 1928年5月27日 |
C | 99 | ジョージ・マイカン(George Mikan) | 208 | 111 | 1924年6月18日 |
PF | 15 | ハウィー・シュルツ(Howie Schultz) | 198 | 91 | 1922年7月3日 |
SF | 12, 13 | ジム・ホルステイン(Jim Holstein) | 191 | 81 | 1930年9月24日 |
SF | 17 | ジム・ポラード(Jim Pollard) | 193 | 84 | 1922年7月9日 |
PF | 11 | ルー・ヒッチ(Lew Hitch) | 203 | 91 | 1929年7月16日 |
SG | 18 | ペップ・ソウル(Pep Saul) | 188 | 84 | 1924年2月16日 |
PG | 22 | スレイター・マーティン(Slater Martin) | 178 | 77 | 1925年10月22日 |
PF | 19 | ヴァーン・ミッケルセン(Vern Mikkelsen) | 201 | 104 | 1928年10月21日 |
SG | 20 | ホワイティ・スクーグ(Whitey Skoog) | 180 | 82 | 1926年11月2日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
ニューヨーク・ニックスの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PG | 16 | アルフレッド・マグワイア(Alfred McGuire) | 188 | 82 | 1928年9月7日 |
SG | 4 | カール・ブラウン(Carl Braun) | 196 | 82 | 1927年9月25日 |
C | 18 | コニー・シモンズ(Connie Simmons) | 203 | 101 | 1925年3月15日 |
PG | 3 | ディック・バント(Dick Bunt) | 183 | 77 | 1930年7月13日 |
PG | 15 | ディック・マグワイア(Dick McGuire) | 183 | 82 | 1926年1月25日 |
SF | 14, 17 | ディック・サーホフ(Dick Surhoff) | 193 | 95 | 1929年11月16日 |
SG | 9 | アーニー・バンダウェイ(Ernie Vandeweghe) | 191 | 88 | 1928年9月12日 |
PF | 11 | ハリー・ギャラティン(Harry Gallatin) | 198 | 95 | 1927年4月26日 |
G-F | - | ジェリー・フレーイシュマン(Jerry Fleishman) | 188 | 86 | 1922年2月14日 |
SG | 10 | マックス・ザスロフスキー(Max Zaslofsky) | 188 | 77 | 1925年12月7日 |
PF | 8 | ナット・クリフトン(Nat Clifton) | 198 | 100 | 1922年10月13日 |
PF | 6 | ラルフ・ポルソン(Ralph Polson) | 201 | 91 | 1929年10月26日 |
G | 7 | レイ・ルンプ(Ray Lumpp) | 185 | 81 | 1923年7月11日 |
G | 5 | シャーウィン・ライケン(Sherwin Raiken) | 188 | 84 | 1928年10月29日 |
SF | 12 | ヴィンス・ボレイラ(Vince Boryla) | 196 | 95 | 1927年3月11日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
NBAファイナル1953のシリーズ概要
それではいよいよNBAファイナル1953の試合の結果を見ていきましょう!
1952-53シーズンのNBAチャンピオンは「ミネアポリス・レイカーズ」。
チームとしては2年連続4回目の優勝となりました。
対戦成績は4勝1敗。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 4月4日 | ニューヨーク・ニックス | 96-88 | ミネアポリス・レイカーズ |
2 | 4月5日 | ニューヨーク・ニックス | 71-73 | ミネアポリス・レイカーズ |
3 | 4月7日 | ミネアポリス・レイカーズ | 90-75 | ニューヨーク・ニックス |
4 | 4月8日 | ミネアポリス・レイカーズ | 71-69 | ニューヨーク・ニックス |
5 | 4月10日 | ミネアポリス・レイカーズ | 91-84 | ミネアポリス・レイカーズ |
NBAファイナル1953の試合の概要
ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。
レイカーズが2度目の2連覇を達成したシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!
第1戦(96-88 ニューヨーク・ニックス Win)
NBAファイナルの1回戦はミネアポリス・レイカーズのホーム「ミネアポリス・アーモリー」で始まりました。
2年連続のマッチアップとなった王者レイカーズと挑戦者ニックスの一戦。
昨年と一昨年のファイナルをいずれも第7戦にもつれ込みながらも敗退しているニックスは、第7戦でのホームコートアドバンテージを亡きものにするため第1戦から猛攻を仕掛けます。
それでも第3Qまではホームのレイカーズがリードしていましたが、第4Qでついにニックスが流れを掴み、大逆転での勝利を果たしました。
これによりニックスは見事レイカーズのホームコートアドバンテージを消すことに成功。
しかしニックスの計画はここから急速に崩れていくこととなります。
第2戦(71-73 ミネアポリス・レイカーズ Win)
ニックスリードで迎えた第2戦。
第1戦でまさかの敗北を喫したレイカーズは、第2戦でディフェンスを修正。
第1戦に20点以上を決めて勝利に貢献したハリー・ギャラティンとカール・ブラウンにディフェンスを集中させ、得点を1桁に抑えることに成功しました。
それでも自らのシュートタッチに苦しんだレイカーズはギリギリの戦いを強いられますが、主力の奮闘もありリードを守り切る形で勝利。
ホームでの試合を1−1で終えると舞台はニューヨークへと移っていきます。
第3戦(90-75 ミネアポリス・レイカーズ Win)
対戦成績1-1で迎えた第3戦。
決戦の舞台はニューヨーク・ニックスのホーム「69th・レジメント・アーモリー」に移ります。
ここからはニックスホームでの3連戦が続くため、ホームで3連勝するつもりだったニックスでしたが、その思惑はこの試合ですぐに崩れることとなります。
試合は前半こそ39-38とほとんど差はなかったものの、後半はレイカーズの一方的な攻撃が続き、リードを広げていきました。
反撃したいはずのニックスは尻下がりに調子が落ち始め、結果15点差の大差でレイカーズが勝利。
レイカーズがシリーズをリードし、これ以降ニックスは悪夢を見ることとなります。
第4戦(71-69 ミネアポリス・レイカーズ Win)
レイカーズリードで迎えた第4戦。
第3戦を落としたニックスはホームでの残り2戦をどうしても取る必要がありましたが、ここにレイカーズのジョージ・マイカンが立ちはだかります。
ニックスは徐々に得点を伸ばし、前半でつけられた点差を後半に詰めていきますが、どうしてもマイカンを止めることができずに試合時間だけが経過。
結局最後まで2点差が遠く、ニックスはこの日27得点19リバウンドを記録するマイカン1人に破れることとなりました。
この勝利によりレイカーズが優勝に王手をかけました。
第5戦(91-84 ミネアポリス・レイカーズ Win)
運命の第7戦。
舞台はニックスのホーム「69th・レジメント・アーモリー」。
敵地で1勝を挙げた後にまさかの3連敗を喫したニックスは崖っぷちの状況をなんとか打破しようと奮闘します。
しかし無情にこの日はレイカーズのシュートタッチが絶好調。
少ないシュートを確実に決め、残った力をディフェンスに注いでニックスのシュート精度を落としました。
ニックスはレイカーズより19本も多くシュートを打ったにも関わらず、その成功率は30%と低調なもので、試合は終始レイカーズがリード。
最後にニックスも決死の反撃を見せますが及ばず、レイカーズが1敗後の4連勝でチーム史上2度目となる2連覇を決めました。
まとめ
今回は「NBAファイナル1953 ミネアポリス・レイカーズ VS ニューヨーク・ニックス」の対決をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
ここ5年に渡り4度のファイナルに挑み、全てで優勝を果たしているレイカーズは間違いなくNBA最初の王朝を築いたチームと言えるでしょう。
一方ここまで3度ファイナルに挑戦しながらも全てで敗退しているニックスは、ここから衰退の一途を辿り、次にファイナルの舞台に上がるのは17年も先のことになります。
やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!
他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!