皆さんこんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。
これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。
一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。
その確率は脅威の0.0001%。
例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。
そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。
本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。
そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。
特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。
その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。
今回はその中から「NBAファイナル1958 セントルイス・ホークス VS ボストン・セルティクス」の対決をご紹介しましょう!
NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!
それではティップオフ!!
NBAファイナル1958に出場したチームの背景を知ろう!
1958年NBAファイナルはウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「セントルイス・ホークス」とイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ボストン・セルティクス」の戦いでした。
まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!
セントルイス・ホークス
1957-58シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 41勝31敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 4勝1敗(VS デトロイト・ピストンズ) |
「セントルイス・ホークス」はミズーリ州セントルイスに拠点を置くチームです。
エースは「ボブ・ペティット」。
レギュラーシーズンを41勝31敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でジョージ・ヤードリー要する「デトロイト・ピストンズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。
この年優勝を果たしたセントルイス・ホークスがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!
ボストン・セルティクス
1957-58シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 49勝23敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 4勝1敗(VS フィラデルフィア・ウォリアーズ) |
「ボストン・セルティクス」はマサチューセッツ州ボストンに拠点を置くチームです。
エースは「ビル・ラッセル」。
レギュラーシーズンを49勝23敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でポール・アリジンやニール・ジョンストンらの「フィラデルフィア・ウォリアーズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。
NBAファイナル1958の出場選手・ロスター
次にNBAファイナル1958で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!
セントルイス・ホークスの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PF | 9 | ボブ・ペティット(Bob Pettit) | 206 | 93 | 1932年12月12日 |
C | 13 | チャック・シェアー(Chuck Share) | 211 | 107 | 1927年3月14日 |
SF | 16 | クリフ・ヘイガン(Cliff Hagan) | 193 | 95 | 1931年12月9日 |
C | 20 | エド・マーコレー(Ed Macauley) | 203 | 84 | 1928年3月22日 |
G-F | 19 | フランク・セルヴィ(Frank Selvy) | 191 | 82 | 1932年11月9日 |
PF | 11 | ジャック・コールマン(Jack Coleman) | 201 | 88 | 1924年5月23日 |
SG | 21 | ジャック・マクマホン(Jack McMahon) | 185 | 84 | 1928年12月3日 |
SG | 17 | メッド・パーク(Med Park) | 188 | 93 | 1933年4月11日 |
C | 12 | レッド・モリソン(Red Morrison) | 203 | 100 | 1932年4月26日 |
PG | 22 | スレーター・マーティン(Slater Martin) | 178 | 77 | 1925年10月22日 |
PF | 12 | ウォルト・デイビス(Walt Davis) | 203 | 93 | 1931年1月5日 |
PG | 15 | ウィン・ウィルフォン(Win Wilfong) | 188 | 84 | 1933年3月18日 |
G | 17 | ワーシー・パターソン(Worthy Patterson) | 188 | 79 | 1931年6月17日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
ボストン・セルティクスの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PG | 17 | アンディ・フィリップ(Andy Phillip) | 188 | 88 | 1922年3月7日 |
C | 19 | アーニー・ライゼン(Arnie Risen) | 206 | 91 | 1924年10月9日 |
C | 6 | ビル・ラッセル(Bill Russell) | 208 | 98 | 1934年2月12日 |
SG | 21 | ビル・シャーマン(Bill Sharman) | 185 | 79 | 1926年5月25日 |
PG | 14 | ボブ・クージー(Bob Cousy) | 185 | 79 | 1928年8月9日 |
SG | 23 | フランク・ラムゼィ(Frank Ramsey) | 191 | 86 | 1931年7月13日 |
PF | 16 | ジャック・ニコルズ(Jack Nichols) | 201 | 101 | 1926年4月9日 |
SF | 18 | ジム・ロスカトフ(Jim Loscutoff) | 196 | 100 | 1930年2月4日 |
SF | 20 | ルー・ツィオロプロス(Lou Tsioropoulos) | 196 | 86 | 1930年8月31日 |
SG | 24 | サム・ジョーンズ(Sam Jones) | 193 | 90 | 1933年6月24日 |
PF | 15 | トム・ヘインソーン(Tom Heinsohn) | 201 | 99 | 1934年8月26日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
NBAファイナル1958のシリーズ概要
それではいよいよNBAファイナル1958の試合の結果を見ていきましょう!
1957-58シーズンのNBAチャンピオンは「セントルイス・ホークス」。
チームとしては史上初の優勝となりました。
対戦成績は4勝2敗。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 3月29日 | セントルイス・ホークス | 104-102 | ボストン・セルティクス |
2 | 3月30日 | セントルイス・ホークス | 112-136 | ボストン・セルティクス |
3 | 4月2日 | ボストン・セルティクス | 108-111 | セントルイス・ホークス |
4 | 4月5日 | ボストン・セルティクス | 109-98 | セントルイス・ホークス |
5 | 4月9日 | セントルイス・ホークス | 102-100 | ボストン・セルティクス |
6 | 4月12日 | ボストン・セルティクス | 109-110 | セントルイス・ホークス |
NBAファイナル1958の試合の概要
ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。
セントルイス・ホークスが悲願の初優勝を果たしたシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!
第1戦(104-102 セントルイス・ホークス Win)
NBAファイナルの1回戦はボストン・セルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」で始まりました。
2年連続で同じ顔ぶれとなったファイナルは去年敗れたホークスにとって絶好のリベンジのチャンス。
レギュラーシーズンの勝率ではセルティクスが上回っていますが、どちらのチームもカンファレンス1位通過、カンファレンスファイナルを4勝1敗と悠々と勝ち抜きファイナルを迎えているため、万全の状態での激突となります。
迎えた第1戦はホークスがスーパースター2人の力で勝利します。
第1Qはわずか17点に終わりセルティクスがリードするものの、第2Qにはこの日33得点のクリフ・ヘイガンと30得点のボブ・ペティットが猛攻を展開し、53-59とホークスがリードを奪い返してハーフタイムを迎えます。
後半が始まるとセルティクスがまたもリードを奪いましたが、第4Qにはセルティクスの失速もありホークスが土壇場でまくり返して勝利。
セルティクスはボブ・クージーが27得点、ビル・シャーマンが25得点、ビル・ラッセルも14得点29リバウンドと主力が躍動しましたが、チーム全体でフィールドゴール%が32%と落ち込み、接戦をものにすることができませんでした。
第2戦(112-136 ボストン・セルティクス Win)
ホークスリードで迎えた第2戦。
ホームでの第1戦を落としたセルティクスは第2戦、ディフェンスを修正しボブ・ペティットの得点を19点に抑え込むことに成功します。
さらにこの日は第1戦の分を取り返すかのようにセルティクスのシュートが冴え渡り、全てのクォーターで30得点以上を記録してホークスを突き放しました。
ホークスもクリフ・ヘイガンが37得点12リバウンドと孤軍奮闘しましたが、総合力で勝るセルティクスを相手に1人ではどうすることもできませんでした。
セルティクスはこの日7選手が2桁得点を記録し、24点差をつけて大勝しました。
第3戦(108-111 セントルイス・ホークス Win)
対戦成績を1-1のタイに戻して迎えた第3戦。
舞台はセントルイス・ホークスのホーム「キール・オーディトリアム」に移ります。
この試合はこのシリーズにおいて最も大きな転機となる出来事がセルティクスを襲いました。
第3戦は序盤から大接戦となり49-49で前半を折り返します。
そして迎えた後半、悲劇は突然に起こります。
ビル・ラッセルがボブ・ペティットのシュートをブロックした際にペティットの足の上に着地。
ラッセルは足首を捻挫しベンチに下がると、その後試合に戻ることは叶いませんでした。
ラッセルの不在でインサイドのディフェンス力が格段に落ちたセルティクスを相手にホークスは積極的に攻め込み、第3Qに点差を広げてそのまま逃げ切り勝利。
セルティクスがホームでシリーズをリードする1勝をあげました。
第4戦(109-98 ボストン・セルティクス Win)
ホークスリードで迎えた第4戦。
コート上にビル・ラッセルの姿はなく、セルティクスが劣勢を強いられると考えられていましたが、この日はホークスがまさかの絶不調。
エースのペティットは17本のシュートを放つもわずか3本しか決めることができず、第3Q終了時には84-71で決して本調子ではないセルティクスに13点のリードを許す展開となりました。
ラッセルのいないセルティクスといえど勝ちきることはそれほど難しくはなく、点差を保ったままセルティクスがシリーズをタイに戻す1勝をあげました。
ホークスはヘイガンが27得点を記録しました。
第5戦(102-100 セントルイス・ホークス Win)
再び2-2のタイで迎えた第5戦。
舞台はセルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」に戻ります。
第4戦はなんとか勝利したセルティクスでしたが、この試合からラッセルの不在が試合に大きく響きます。
ラッセルのいないインサイドはかなり風通しが良くなっており、ホークスは次々にシュートを決めてセルティクスとの差を広げていきました。
しかし後半に入るとセルティクスも意地の反撃を開始。
この日30得点11リバウンドを記録するフランク・ラムジーの活躍もあり、第4Q終盤にはその差は2点まで縮まっていました。
しかし、やはり勝負所でのディフェンス力の低下は否めず、接戦の末にホークスが逃げ切る形で勝利を掴みました。
この日ホークスはペティットが復調し33得点21リバウンドを記録。
ホークスが敵地で優勝に王手をかけました。
第6戦(109-110 セントルイス・ホークス Win)
運命の第6戦。
舞台はホークスのホーム「キール・オーディトリアム」。
崖っぷちのセルティクスはビル・ラッセルが足を引きずりながらもコートイン。
チームの士気を上げます。
しかしこの日の主役はホークスのエース、ボブ・ペティットでした。
前半だけで19得点を記録したペティットの活躍で、前半を52-57とホークスが5点リードで折り返します。
しかし後半、セルティクスが盛り返し始め、第4Qの序盤にはついに86-84とセルティクスが逆転。
ホークスは一転、劣勢に立たされますが、ここでペティットの得点力が大爆発を見せます。
ホークスの最後の21得点のうちの18得点を1人で記録す活躍をみせ、ホークスを再び逆転へと導きました。
としてついに試合時間残り16秒で107-108とホークスが1点リードの状態で試合はクライマックスを迎えます。
ボールを持つのはホークス。
ここを止めれば逆転のチャンスとなるセルティクスは当然ペティットを再警戒します。
するとボールはペティットへのダブルチームでフリーとなっていたスレーター・マーティンの元へ。
しかし、マーティンの打ったシュートはリムに弾かれセルティクスの選手たちがリバウンドに飛びました。
そこへなんとペティットが走り込み、ボールをタップしてゴールへと押し込んだのです。
このシュートによりペティットは50得点目を記録。
試合もそのままホークスが勝利し、チーム史上初の優勝を掴み取りました。
まとめ
今回は「NBAファイナル1958 セントルイス・ホークス VS ボストン・セルティクス」の対決をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
この年はホークスがセルティクスに昨年のリベンジを果たすこととなりました。
第7戦でのボブ・ペティットの50得点は当時のNBA記録です。
チームをほぼ独力で優勝に導いた活躍は、この1戦だけでもペティットを殿堂入りさせるほどの意味があると思います。
やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!
他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!