皆さんこんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。
これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。
一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。
その確率は脅威の0.0001%。
例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。
そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。
本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。
そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。
特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。
その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。
今回はその中から「NBAファイナル1965 ボストン・セルティックス VS ロサンゼルス・レイカーズ」の対決をご紹介しましょう!
NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!
それではティップオフ!!
目次
NBAファイナル1965に出場したチームの背景を知ろう!
1965年NBAファイナルはイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ボストン・セルティックス」とウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「ロサンゼルス・レイカーズ」の戦いでした。
まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!
ボストン・セルティックス
1964-65シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 62勝18敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 4勝3敗(VS フィラデルフィア・76ers) |
「ボストン・セルティックス」はマサチューセッツ州ボストンに拠点を置くチームです。
エースは「ビル・ラッセル」。
レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフでは決勝戦でウィルト・チェンバレン要する「フィラデルフィア・76ers」を倒し、NBAファイナルに進みました。
この年優勝を果たしたボストン・セルティックスがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!
ロサンゼルス・レイカーズ
1964-65シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 49勝31敗(カンファレンス1位) |
プレーオフ1回戦 | - |
カンファレンス・セミファイナル | シード権 |
カンファレンス・ファイナル | 4勝2敗(VS セントルイス・ホークス) |
「ロサンゼルス・レイカーズ」はカリフォルニア州ロサンゼルスに拠点を置くチームです。
エースはこの年All NBAファーストチームの「ジェリー・ウエスト」。
レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフでは決勝戦で宿敵である「セントルイス・ホークス」を倒し、NBAファイナルに進みました。
NBAファイナル1965の出場選手・ロスター
次にNBAファイナル1965で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!
ボストン・セルティックスの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
SG | 20 | ラリー・ジークフリード(Larry Siegfried) | 191 | 86 | 1939年5月22日 |
SF | 21 | ロン・ボナム(Ron Bonham) | 196 | 87 | 1942年5月31日 |
SG | 4 | ジェリー・ウォード(Gerry Ward) | 193 | 88 | 1941年9月6日 |
SG | 24 | サム・ジョーンズ(Sam Jones) | 193 | 89 | 1933年6月24日 |
PG | 25 | K・C・ジョーンズ(K.C. Jones) | 185 | 91 | 1932年5月25日 |
SG | 17 | ジョン・ハブリチェック(John Havlicek) | 196 | 92 | 1940年4月8日 |
PF | 16 | トム・ソンダース(Tom Sanders) | 198 | 95 | 1938年11月8日 |
C | 6 | ビル・ラッセル(Bill Russell) | 208 | 98 | 1934年2月12日 |
SF | 15 | トム・ヘインソーン(Tom Heinsohn) | 201 | 99 | 1934年8月26日 |
SF | 12 | ウィリー・ナオルス(Willie Naulls) | 198 | 102 | 1934年10月7日 |
C | 34 | ベボ・ノードマン(Bevo Nordmann) | 208 | 102 | 1939年12月11日 |
PF | 18 | ジョン・トンプソン(John Thompson) | 208 | 102 | 1941年9月2日 |
C | 11 | メル・カウンツ(Mel Counts) | 213 | 104 | 1941年10月16日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
ロサンゼルス・レイカーズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
C | 40 | ビル・マクギニル(Bill McGill) | 206 | 102 | 1939年9月16日 |
SF | 33 | コットン・ナッシュ(Cotton Nash) | 196 | 98 | 1942年7月24日 |
C | 14 | ダラール・イムホフ(Darrall Imhoff) | 208 | 100 | 1938年10月11日 |
SG | 5 | ディック・バーネット(Dick Barnett) | 193 | 86 | 1936年10月2日 |
SF | 20 | ドン・ネルソン(Don Nelson) | 198 | 95 | 1940年5月15日 |
SF | 22 | エルジン・ベイラー(Elgin Baylor) | 196 | 102 | 1934年9月16日 |
C | 12 | ジーン・ワイリー(Gene Wiley) | 208 | 95 | 1937年11月12日 |
G | 32 | ジェリー・グロート(Jerry Grote) | 193 | 98 | 1940年12月28日 |
PG | 44 | ジェリー・ウエスト(Jerry West) | 191 | 79 | 1938年5月28日 |
PG | 21 | ジム・キング(Jim King) | 188 | 79 | 1941年2月7日 |
C | 25 | リロイ・エリス(Leroy Ellis) | 208 | 95 | 1940年3月10日 |
PF | 35 | ルディ・ラルッソ(Rudy LaRusso) | 201 | 100 | 1937年11月11日 |
SG | 42 | ウォルト・ハザード(Walt Hazzard) | 188 | 84 | 1942年4月15日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
NBAファイナル1965のシリーズ概要
それではいよいよNBAファイナル1965の試合の結果を見ていきましょう!
1964-65シーズンのNBAチャンピオンは「ボストン・セルティクス」。
チームとしては7年連続8回目の優勝となりました。
対戦成績は4勝1敗。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 4月18日 | ロサンゼルス・レイカーズ | 110-142 | ボストン・セルティクス |
2 | 4月19日 | ロサンゼルス・レイカーズ | 123-129 | ボストン・セルティクス |
3 | 4月21日 | ボストン・セルティクス | 105-126 | ロサンゼルス・レイカーズ |
4 | 4月23日 | ボストン・セルティクス | 112-99 | ロサンゼルス・レイカーズ |
5 | 4月25日 | ロサンゼルス・レイカーズ | 96-129 | ボストン・セルティクス |
NBAファイナル1965の試合の概要
ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。
東西のライバルによる2年ぶりの激突となったシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!
第1戦(110-142 ボストン・セルティクス Win)
NBAファイナルの1回戦はボストン・セルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」で始まりました。
セルティクスはトレードでウィルト・チェンバレンを獲得したフィラデルフィア・76ersとの第7戦にわたる激戦を制してきており、そこからすぐに始まったNBAファイナルの初戦は体力的な負担が懸念されました。
しかしそれ以上にレイカーズは主力の1人であるエルジン・ベイラーが怪我でシリーズ全休することが決定しており、戦力はセルティクスが圧倒的に有利となっていました。
序盤からセルティクスが得意のディフェンスでレイカーズの攻撃を抑え込むと、オフェンスでは全てのクォーターで30得点以上を記録。
後半にはさらに加速し、後半だけで78得点と爆発したセルティクスが第1戦を大差で勝利しました。
レイカーズはジェリー・ウエストが26得点と奮闘しましたが、セルティクスの総力には遠く及びませんでした。
第2戦(123-129 ボストン・セルティクス Win)
セルティクスリードで迎えた第2戦。
第1戦を大差で敗北したレイカーズは第2戦のオフェンスをエースのジェリー・ウエストに託します。
ウエストは期待に応え45得点を記録しチームは飛躍的に得点を伸ばしましたが、それでもリードは常にセルティクスが握っている状態でした。
そして後半、序盤にセルティクスが12点までリードを広げることに成功。
第4Qにはレイカーズが反撃しましたがリードを縮めきるには至らず、まさに横綱相撲といった勝利でセルティクスが2連勝を果たしました。
第3戦(105-126 ロサンゼルス・レイカーズ Win)
セルティクス2勝で迎えた第3戦。
舞台はロサンゼルス・レイカーズのホーム「ザ・フォーラム」に移ります。
ホームでなんとか流れを変えたいレイカーズは、この土壇場で選手たちが会心のパフォーマンスを発揮します。
ジェリー・ウエストが第2戦に続く43得点を記録すると、リロイ・エリスが29得点、他の選手も2桁得点と続き、このシリーズで初めてレイカーズが2桁以上のリードを奪います。
後半はセルティクスも調子を取り戻しますが、前半に大量リードを奪っていたレイカーズは反撃を凌ぎきり勝利。
苦境の中で勝利を挙げたレイカーズのホームではレッド・アワーバックHCがファンに葉巻を投げられ祝われるシーンなどが見られましたが、これがレイカーズにとって今シーズン最後の勝利となりました。
第4戦(112-99 ボストン・セルティクス Win)
依然セルティクスリードで迎えた第4戦。
第3戦の勝利で勢いに乗るかに見えたレイカーズでしたが、セルティクスのディフェンスはそれほど甘いものではありませんでした。
2戦連続で40得点以上を挙げたウエストがこの試合徹底マークを受けて22得点に押さえ込まれ、失速したレイカーズを尻目に得点を伸ばしたセルティクスが終始試合をリードし勝利。
セルティクスはオフェンスでもサム・ジョーンズが37得点を取るなどレイカーズを圧倒し、7連覇をほとんど手中に納めました。
第5戦(96-129 ボストン・セルティクス Win)
運命の第5戦。
舞台はセルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」。
優勝に王手をかけ、勢いに乗りながらホームへと帰ったセルティクスに死角はありませんでした。
前半を48-57と9点のリードで折り返すと、試合終了まで一切手を抜くことなく攻め続け、33点という大差でレイカーズを粉砕。
レイカーズもウエストが33得点と孤軍奮闘しましたが、やはりベイラー欠場の穴は大きく、このシリーズはセルティクスの圧勝という形で幕を閉じました。
まとめ
今回は「NBAファイナル1965 ボストン・セルティックス VS ロサンゼルス・レイカーズ」の対決をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
このシリーズはオフェンスでもディフェンスでもセルティクスが一歩も二歩も上手を行っており、ウエストが40点をとって初めて互角という状況でした。
もしエルジン・ベイラーが欠場していなかったどうなっていたのか。
それは来シーズンすぐに判明することとなります。
やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!
他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!