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【NBAファイナル1975】ゴールデンステイト・ウォリアーズ VS ワシントン・ブレッツ 全4試合の結果や流れを詳しく解説!

皆さんこんにちは!

NBA好きブログライターのおしょうサンドです。

 

国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。

これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。

一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。

その確率は脅威の0.0001%。

例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。

 

そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。

本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。

 

そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。

特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。

その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。

 

今回はその中から「NBAファイナル1975 ゴールデンステイト・ウォリアーズ VS ワシントン・ブレッツ」の対決をご紹介しましょう!

NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!

それではティップオフ!!

 

NBAファイナル1975に出場したチームの背景を知ろう!

1975年NBAファイナルはウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「ゴールデンステイト・ウォリアーズ」とイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ワシントン・ブレッツ」の戦いでした。

まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!

 

ゴールデンステイト・ウォリアーズ

1974-75シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 48勝34敗(カンファレンス1位)
プレーオフ1回戦 シード権
カンファレンス・セミファイナル 4勝2敗(VS シアトル・スーパーソニックス)
カンファレンス・ファイナル 4勝3敗(VS シカゴ・ブルズ)

 

「ゴールデンステイト・ウォリアーズ」はカリフォルニア州サンフランシスコに拠点を置くチームです。

エースは「リック・バリー」。

レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフでは準決勝でビル・ラッセルHC率いる「シアトル・スーパーソニックス」を、決勝戦でボブ・ラブやジェリー・スローンらの「シカゴ・ブルズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

この年優勝を果たしたゴールデンステイト・ウォリアーズがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!

 

ワシントン・ブレッツ

1974-75シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 60勝22敗(カンファレンス2位)
プレーオフ1回戦 シード権
カンファレンス・セミファイナル 4勝3敗(VS バッファロー・ブレーブス)
カンファレンス・ファイナル 4勝2敗(VS ボストン・セルティクス)

 

「ワシントン・ブレッツ」はアメリカ合衆国ワシントンD.C.に拠点を置くチームです。

この年のブレッツはヘヴィン・ヘイズやフィル・シェニエらを中心にチームを構成していました。

レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフでは準決勝でボブ・マカドゥー要する「バッファロー・ブレーブス」を、決勝戦でジョン・ハブリチェックらの「ボストン・セルティクス」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

NBAファイナル1975の出場選手・ロスター

次にNBAファイナル1975で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!

 

ゴールデンステイト・ウォリアーズの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
PF 32 ビル・ブリッジーズ(Bill Bridges) 198 103 1939年4月4日
PG 21 ブッチ・ベアード(Butch Beard) 191 84 1947年5月4日
PG 15 チャールズ・ダドリー(Charles Dudley) 188 82 1950年3月5日
SG 10 チャールズ・ジョンソン(Charles Johnson) 182 77 1949年3月31日
C 44 クリフォード・レイ(Clifford Ray) 206 104 1949年1月21日
PF 40 デレク・ディッキー(Derrek Dickey) 201 99 1951年3月20日
SF 34 フランク・ケンドリック(Frank Kendrick) 198 90 1950年9月11日
C 52 ジョージ・ジョンソン(George Johnson) 211 93 1948年12月18日
SF 41 ジャマール・ウィルクス(Jamaal Wilkes) 198 86 1953年5月2日
SG 23 ジェフ・マリンズ(Jeff Mullins) 193 86 1942年3月18日
SG 20 フィル・スミス(Phil Smith) 193 84 1952年4月22日
SF 24 リック・バリー(Rick Barry) 201 93 1944年3月28日
SG 22 スティーブ・ブレイシー(Steve Bracey) 185 79 1950年8月1日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

ワシントン・ブレッツの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
SG 14 クレム・ハスキンズ(Clem Haskins) 191 88 1943年7月11日
PG 23 デニス・デュバル(Dennis DuVal) 191 79 1952年3月31日
SF 21 ディック・ギブス(Dick Gibbs) 196 95 1948年12月20日
PF 11 エルヴィン・ヘイズ(Elvin Hayes) 206 107 1945年11月17日
PG 15 ジミー・ジョーンズ(Jimmy Jones) 193 85 1945年1月1日
PG 10 ケビン・ポーター(Kevin Porter) 183 77 1950年4月17日
SF 6 マイク・リオーダン(Mike Riordan) 193 91 1945年7月9日
SF 12 ニック・ウェザースプーン(Nick Weatherspoon) 201 88 1950年7月20日
SG 45 フィル・シェニエ(Phil Chenier) 191 81 1950年10月30日
SG 20 スタン・ワシントン(Stan Washington) 193 86 1952年1月23日
PF 22 トム・コゼルコ(Tom Kozelko) 203 100 1951年7月1日
PF 33 トラック・ロビンソン(Truck Robinson) 201 102 1951年10月4日
C 41 ウェス・アンセルド(Wes Unseld) 201 111 1946年3月14日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

NBAファイナル1975のシリーズ概要

それではいよいよNBAファイナル1975の試合の結果を見ていきましょう!

1974-75シーズンのNBAチャンピオンは「ゴールデンステイト・ウォリアーズ」。

チームとしては19年ぶり2回目の優勝となりました。

対戦成績は4勝0敗。

詳細な試合結果は以下のとおりです。

試合 日付 アウェイ 結果 ホーム
1 5月18日 ゴールデンステイト・ウォリアーズ 101-95 ワシントン・ブレッツ
2 5月20日 ワシントン・ブレッツ 91-92 ゴールデンステイト・ウォリアーズ
3 5月23日 ワシントン・ブレッツ 101-109 ゴールデンステイト・ウォリアーズ
4 5月25日 ゴールデンステイト・ウォリアーズ 96-95 ワシントン・ブレッツ

 

ファイナルMVPは「リック・バリー」。

バリーは自身初のNBA優勝にして、初のファイナルMVP受賞となりました。

 

NBAファイナル1975の試合の概要

ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。

地の利が産んだゴールデンステイト・ウォリアーズが奇跡の優勝を果たしたシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!

 

第1戦(101-95 ゴールデンステイト・ウォリアーズ Win)

NBAファイナルの1回戦はワシントン・ブレッツのホーム「キャピタル・センター」で始まりました。

レギュラーシーズン60勝のブレッツと48勝のウォリアーズとのファイナルということでブレッツが圧倒すると考えるメディアやファンが多くいました。

しかしこの年のNBAファイナルは少し特殊な展開を迎えます。

まず、ファイナルの期間中にウォリアーズのホームコートである「オークランド・アリーナ」を使用することができなくなり、サンフランシスコの「カウ・パレス」が使用されることになったこと。

さらにその会場スケジュールの都合により従来の2-2-1-1-1のフォーマットではなく1-2-2-1-1のフォーマットで試合が進行されることになったのです。

これはブレッツも了承しており、第1戦は自分のホームコートで始めたいというブレッツの要望も汲んでこのような変更がなされました。

そんな中始まった第1戦、いきなりブレッツはこの決定を後悔することとなります。

序盤はブレッツが試合を優位に進め40-54とブレッツが14点のリードで前半を折り返しますが、後半に入るとウォリアーズのオフェンスが覚醒。

第3Qだけで前半の点差をなきものにすると、第4Qもそのままの勢いでブレッツを追い抜きリードを奪いました。

その後ブレッツも懸命に巻き返しを計りましたが、ウォリアーズはベンチ出場のフィル・スミスが20得点を記録するなど躍動し、逃げ切る形で勝利を決めました。

これにより初戦を落としたブレッツは対策を考える暇を与えられないままウォリアーズホームでの2連戦に挑むことになってしまいました。

 

第2戦(91-92 ゴールデンステイト・ウォリアーズ Win)

ウォリアーズリードで迎えた第2戦。

フォーマットの変更により舞台はウォリアーズのホームである「カウ・パレス」に移ります。

第1戦を落としなんとか巻き返しを図りたいブレッツは前半から積極的に攻撃し先手を取りました。

しかしホームの声援に押され調子を上げたウォリアーズがリック・バリーを中心に反撃に移り、第3Qに点差を巻き返して73-73の同点に追いつきます。

勝負の第4Qは点差の開かない接戦なりましたが、最後はホームウォリアーズが競り勝つ形で勝利。

この日リック・バリーは36得点9リバウンドと爆発しウォリアーズを牽引しました。

ブレッツもフィル・シェニエが30得点、マイク・リオーダンが21得点と健闘しますが、勝負所で得点が入らず敗戦となりました。

 

第3戦(101-109 ゴールデンステイト・ウォリアーズ Win)

ウォリアーズ2連勝で迎えた第3戦。

第2戦の勝利で勢いに乗るウォリアーズは第3戦もその流れをうまく引き継いでいました。

序盤からテンポよく得点を決めると48-50の2点リードで前半を折り返すと、後半はブレッツに反撃の隙を与えることなく点差を徐々に広げる形で勝利。

第2戦好調だったバリーは第3戦でも38得点を記録し、チームの勝利に大きく貢献しました。

一方ブレッツは主力の1人であるウェス・アンセルドがウォリアーズのジャマール・ウィルクスに見事に抑えられ9得点に終わり、レギュラーシーズンよりも得点を伸ばすことができずに3連敗を喫しました。

 

第4戦(96-95 ゴールデンステイト・ウォリアーズ Win)

運命の第4戦。

舞台はワシントン・ブレッツのホームアリーナである「キャピタル・センター」に戻ります。

格下と思われていたウォリアーズがまさかの3連勝で優勝に王手となり、追い詰められたブレッツはホームで絶対に1勝しなければなりませんでした。

ウォリアーズを抑えるためにブレッツが用意した作戦はマイク・リオーダンによるリック・バリーのマンツーマンディフェンス。

激しいディフェンスでバリーにフラストレーションを溜めさせ、第1Qの中盤にはバリーのドライブを後ろからリオーダンが押したことで乱闘になりかけましたが、まさかの割って入ったウォリアーズのアル・アットルスHCが乱闘を静止するのではなくむしろリオーダンに食ってかかり退場する事態になりました。

しかし狙い通りか偶然の産物か、エースのリック・バリーが退場するという最悪の事態は避けることができ、バリーが反撃の起点となって試合を逆転。

最後も会場が大ブーイングに包まれる中バリーが悠々とフリースローを決めてウォリアーズに勝利をもたらし、まさかの4連勝(スイープ)という形でウォリアーズがNBA制覇を成し遂げました。

 

まとめ

今回は「NBAファイナル1975 ゴールデンステイト・ウォリアーズ VS ワシントン・ブレッツ」の対決をご紹介しました。

いかがだったでしょうか?

プレーオフとレギュラーシーズンは別物とよく言いますが、レギュラーシーズンにあれほど差があったにもかかわらず、プレーオフでは下位のチームが上位チームをスイープすることもあるのですから面白いですよね。

また、この試合はウォリアーズのアットルスHCとブレッツのA.C.ジョーンズHCがどちらも黒人でアタことから、アメリカメジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチ同士の対決としても歴史に残る試合となりました。

やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!

他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!

それではまた次の記事でお会いしましょう!

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