皆さんこんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。
これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。
一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。
その確率は脅威の0.0001%。
例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。
そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。
本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。
そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。
特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。
その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。
今回はその中から「NBAファイナル2005 サンアントニオ・スパーズ VS デトロイト・ピストンズ」の対決をご紹介しましょう!
皆さんがNBAの歴史を知り、もっともっとNBAを好きになるきっかけになることができれば光栄です。
それではティップオフ!!
NBAファイナル2005に出場したチームの背景を知ろう!
2005年のNBAファイナルはイースタン・カンファレンスチャンピオンの「デトロイト・ピストンズ」とウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「サンアントニオ・スパーズ」の戦いでした。
まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!
サンアントニオ・スパーズ
2004-05シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 59勝23敗(カンファレンス2位) |
プレーオフ1回戦 | 4勝1敗(VS デンバー・ナゲッツ) |
カンファレンス・セミファイナル | 4勝2敗(VS シアトル・スーパーソニックス) |
カンファレンス・ファイナル | 4勝3敗(VS フェニックス・サンズ) |
「サンアントニオ・スパーズ」はテキサス州サンアントニオに拠点を置くチームです。
エースは”The Big Fundamental(大いなる基礎)”「ティム・ダンカン」。
この年はダンカン以外のスーパースターであるトニー・パーカーとマヌ・ジノビリが台頭してきたシーズンであり、スパーズの「BIG3」が真価を発揮し始めた年となりました。
レギュラーシーズンを59勝23敗のカンファレンス2位で終えると、プレーオフでは1回戦にカーメロ・アンソニー要する「デンバー・ナゲッツ」を、準決勝ではレイ・アレンとラシャード・ルイスの「シアトル・スーパーソニックス」を、決勝戦でスティーブ・ナッシュ率いる「フェニックス・サンズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。
この年優勝を果たしたサンアントニオ・スパーズがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!
デトロイト・ピストンズ
2004-05シーズン ファイナルまでの試合成績 | |
レギュラーシーズン | 54勝28敗(カンファレンス2位) |
プレーオフ1回戦 | 4勝1敗(VS フィラデルフィア・76ers) |
カンファレンス・セミファイナル | 4勝2敗(VS インディアナ・ペイサーズ) |
カンファレンス・ファイナル | 4勝1敗(VS マイアミ・ヒート) |
「デトロイト・ピストンズ」はミシガン州デトロイトに拠点を置くチームです。
エースは”Mr. ビッグショット”「チャンシー・ビラップス」。
この年はNBA制覇を成し遂げた昨年とロスターをほとんど変えずに挑んだシーズンであり、高い守備力と厚い選手層で2連覇に挑みました。
レギュラーシーズンを54勝28敗のカンファレンス2位で終えると、プレーオフでは1回戦にアレン・アイバーソン要する「フィラデルフィア・76ers」を、準決勝ではジャーメイン・オニールの「インディアナ・ペイサーズ」を、決勝戦でドウェイン・ウェイドとシャキール・オニールの「マイアミ・ヒート」を倒し、NBAファイナルに進みました。
NBAファイナル2005の出場選手・ロスター
次にNBAファイナル2005で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!
サンアントニオ・スパーズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PG | 14 | ベイノ・ウードリック(Beno Udrih) | 191 | 93 | 1982年7月5日 |
SG | 17 | ブレント・バリー(Brent Barry) | 198 | 84 | 1971年12月31日 |
SF | 12 | ブルース・ボーウェン(Bruce Bowen) | 201 | 84 | 1971年6月14日 |
SG | 23 | デビン・ブラウン(Devin Brown) | 196 | 100 | 1978年12月30日 |
SG | 1 | ディオン・グローバー(Dion Glover) | 196 | 103 | 1978年10月22日 |
SF | 3 | グレン・ロビンソン(Glenn Robinson) | 201 | 102 | 1973年1月10日 |
SF | 43 | リントン・ジョンソン(Linton Johnson) | 203 | 93 | 1980年6月13日 |
PF | 31 | マリック・ローズ(Malik Rose) | 201 | 113 | 1974年11月23日 |
SG | 20 | マヌ・ジノビリ(Manu Ginóbili) | 198 | 93 | 1977年7月28日 |
PG | 11 | マイク・ウィルクス(Mike Wilks) | 178 | 84 | 1979年5月7日 |
C | 2 | ナジー・モハメド(Nazr Mohammed) | 208 | 100 | 1977年9月5日 |
C | 8 | ラドスラフ・ネステロヴィッチ(Rasho Nesterović) | 213 | 112 | 1976年5月30日 |
PF | 5 | ロバート・オーリー(Robert Horry) | 208 | 109 | 1970年8月25日 |
PF | 4 | ショーン・マークス(Sean Marks) | 208 | 113 | 1975年8月23日 |
PF | 21 | ティム・ダンカン(Tim Duncan) | 211 | 113 | 1976年4月25日 |
PF | 34 | トニー・マッセンバーグ(Tony Massenburg) | 206 | 100 | 1967年7月31日 |
PG | 9 | トニー・パーカー(Tony Parker) | 188 | 84 | 1982年5月17日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
デトロイト・ピストンズの出場選手一覧
表は左方向にスクロールすることが可能です。
ポジション | 背番号 | 名前 | 身長(cm) | 体重(kg) | 生年月日 |
PG | 7 | アンソニー・ゴールドワイア(Anthony Goldwire) | 185 | 83 | 1971年9月6日 |
PF | 24 | アントニオ・マクダイス(Antonio McDyess) | 206 | 100 | 1974年9月7日 |
C | 3 | ベン・ウォーレス(Ben Wallace) | 206 | 109 | 1974年9月10日 |
PG | 30 | カルロス・アローヨ(Carlos Arroyo) | 188 | 92 | 1979年7月30日 |
SG | 20 | カルロス・デルフィーノ(Carlos Delfino) | 198 | 104 | 1982年8月29日 |
PG | 1 | チャウンシー・ビラップス(Chauncey Billups) | 191 | 92 | 1976年9月25日 |
C | 31 | ダーコ・ミリチッチ(Darko Miličić) | 213 | 113 | 1985年6月20日 |
SF | 8 | ダービン・ハム(Darvin Ham) | 201 | 100 | 1973年7月23日 |
C | 44 | デリック・コールマン(Derrick Coleman) | 208 | 104 | 1967年6月21日 |
C | 41 | エルデン・キャンベル(Elden Campbell) | 211 | 98 | 1968年7月23日 |
PG | 5 | ホレイス・ジェンキンス(Horace Jenkins) | 185 | 82 | 1974年10月14日 |
SG | 10 | リンジー・ハンター(Lindsey Hunter) | 188 | 77 | 1970年12月3日 |
PF | 36 | ラシード・ウォーレス(Rasheed Wallace) | 208 | 102 | 1974年9月17日 |
SG | 32 | リチャード・ハミルトン(Richard Hamilton) | 198 | 84 | 1978年2月14日 |
SF | 12 | ロナルド・デュプリー(Ronald Dupree) | 201 | 95 | 1981年1月26日 |
PG | 7 | スマッシュ・パーカー(Smush Parker) | 193 | 86 | 1981年6月1日 |
SF | 22 | テイショーン・プリンス(Tayshaun Prince) | 206 | 96 | 1980年2月28日 |
PG | ポイントガード |
SG | シューティングガード |
SF | スモールフォワード |
PF | パワーフォワード |
C | センター |
NBAファイナル2005のシリーズ概要
それではいよいよNBAファイナル2005の試合の結果を見ていきましょう!
04-05シーズンのNBAチャンピオンは「サンアントニオ・スパーズ」。
チームとしては2年ぶり3回目の優勝となりました。
対戦成績は4勝3敗。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 6月9日 | デトロイト・ピストンズ | 69-84 | サンアントニオ・スパーズ |
2 | 6月12日 | デトロイト・ピストンズ | 76-97 | サンアントニオ・スパーズ |
3 | 6月14日 | サンアントニオ・スパーズ | 79-96 | デトロイト・ピストンズ |
4 | 6月16日 | サンアントニオ・スパーズ | 71-102 | デトロイト・ピストンズ |
5 | 6月19日 | サンアントニオ・スパーズ | 96-95 | デトロイト・ピストンズ |
6 | 6月21日 | デトロイト・ピストンズ | 95-86 | サンアントニオ・スパーズ |
7 | 6月23日 | デトロイト・ピストンズ | 74-81 | サンアントニオ・スパーズ |
ファイナルMVPは「ティム・ダンカン」。
自身としては3度目のファイナルMVP受賞となり、これはマイケル・ジョーダンに次ぐ同率2位(マジック・ジョンソン、シャキール・オニールと並ぶ)記録となりました。
NBAファイナル2005の試合の概要
ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。
スパーズの”BIG3”が台頭してきてから初の優勝となるシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!
第1戦(69-84 サンアントニオ・スパーズ Win)
NBAファイナルの1回戦はサンアントニオ・スパーズのホーム「SBCセンター(現AT&T・センター)」で始まりました。
この年はスパーズがディフェンスレーティング1位でピストンズが2位。
両チームともディフェンスに定評があるチームであったため、シリーズを通してロースコアなゲームになると予想されました。
そんな中始まったゲームは序盤こそピストンズが17-4のランで一気にリードしたものの、スパーズも次第にエンジンがかかり前半は37-35のピストンズ2点リードで折り返します。
迎えた後半は両者互角の接戦を展開したものの、ピストンズが次第にシュートタッチに苦しむようになり、その間にスパーズがじわじわ点を伸ばしたことで第3Q終了時には51-55とスパーズ4点リードの状況に。
第4Qに入ってもピストンズはなかなかシュートを決めることができず、反対にスパーズは流れを掴んだことで6−19のランを決行。
一気に加速して試合時間5分11秒時点で16点差をつけ勝利を手繰り寄せました。
その後はピストンズもチーム全体で反撃し一時7点差まで詰めますが、最後はスパーズもしっかりとシュートを決め点差を2桁に戻したことで試合終了。
スパーズはジノビリが26得点9リバウンド、ダンカンが24得点14リバウンドとチームを牽引。
ピストンズはチャンシー・ビラップスが25得点と健闘しますが及びませんでした。
第2戦(76-97 サンアントニオ・スパーズ Win)
スパーズリードで迎えた第2戦。
この試合はスパーズが攻守でピストンズを圧倒する展開となりました。
試合はいきなりジノビリの3ポイントから始まり、そこから一気に2-11のラン。
その後はピストンズも得点を決めるものの点差が縮まらず、第1Qを19-30のスパーズ11点リードで終えます。
第2Q以降もスパース優位の展開は変わらず、常に10点差以上をつけた状態で試合は終盤まで進みます。
第4Qも序盤ピストンズが10-2のランで一時10点まで点差が縮まったものの、すぐにスパーズも点を返し再び20点差まで広げ返しました。
試合は残り3分43秒でピストンズがスタメン全員を下げたことで試合終了。
スパーズがホームで2連勝し、シリーズを先行する形となりました。
この試合スパーズはジノビリが第3Qまで1本もシュートを外すことなく決め続け、試合通して27得点で勝利に貢献。
ピストンズはリチャード・ハミルトンがスパーズのブルース・ボウエンに14得点に抑えられるなど得点が伸びず2連敗を喫することとなりました。
第3戦(79-96 デトロイト・ピストンズ Win)
舞台をデトロイト・ピストンズのホーム「ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ(現リトルシーザーズ・アリーナ)」に移しての第3戦。
この試合は第1、2戦とは反対にピストンズがスパーズを封じ込める展開となりました。
序盤こそスパーズも得点を重ねたものの、第1Qから5ブロックと躍動したベン・ウォーレスがインサイドでティム・ダンカンを抑え、アウトサイドもリチャード・ハミルトンとチャンシー・ビラップスのガードコンビがジノビリを完封したことで徐々にスパーズの点が伸びにくくなっていきます。
そしていいディフェンスはオフェンスの好調にも繋がり、リチャード・ハミルトンが復活したことでピストンズが一気に加速。
第2Q以降は常にピストンズがリードをする形で試合が進みました。
第4Q、15点差を追うスパーズの反撃が期待されましたがここでもピストンズのディフェンスが光り得点を伸ばせず。
結局点差を守り切る形でピストンズが勝利しました。
ピストンズはガードコンビが得点をあげ、リチャード・ハミルトンが24得点、チャンシー・ビラップスが20得点で勝利に貢献。
一方スパーズはピストンズのディフェンスの前に苦しみ、トニー・パーカーが21得点を挙げるものの、ダンカンが14得点、ジノビリが7得点に終わり流れを掴むことができませんでした。
第4戦(71-102 デトロイト・ピストンズ Win)
依然スパーズのリードで迎えた第4戦。
この試合もホームで完全に立て直したピストンズがスパースを圧倒する展開となりました。
試合は序盤からピストンズのディフェンスにスパーズが全く答えを見出すことができず、反対にオフェンスで調子を上げ始めたピストンズがスパーズのディフェンスを粉砕。
序盤からリードを広げ続ける展開となり、第4Q開始時点でピストンズが17点差のリードを奪います。
第4Qに入るとピストンズの勢いは落ちるどころか加速し、スパーズをわずか14点に抑えながら28得点を記録したことで点差は30点に到達。
そのままピストンズがスパーズに影も踏ませることなく勝利しました。
ピストンズはオフェンスでも7選手が2桁得点をする多彩さを発揮し、このシリーズ初の100得点以上を決めることに成功。
一方スパーズはダンカンが16得点16リバウンドとインサイドで奮闘しますが、ジノビリ、パーカーをはじめとする他選手もろとも抑えこまれ敗戦となりました。
これにより対戦成績は2-2のタイとなります。
第5戦(96-95 サンアントニオ・スパーズ Win)
勝負の第5戦。
勝った方が優勝に王手となる負けられない一戦です。
この試合は文字通り両者全力をぶつけ合う死闘となりました。
序盤から両者一歩も譲らない殴り合いの展開。
スパーズのBIG3が得点すればピストンズはチームバスケで反撃し、前半を42-42の同点で折り返します。
第3Qも序盤スパーズが先行したかに思われましたが、ピストンズが盛り返し、一時逆転。
しかし最後にロバート・オーリーが3ポイントを決めたことでピストンズが再逆転し、64-63の1点差で勝負は第4Qへ向かいます。
第4Qは両者死力を尽くす戦いで、点をとっては取り返し、同点のまま試合は進んでいきます。
ピストンズはエースのチャンシー・ビラップスを中心に得点を重ねますが、スパーズは伏兵のロバート・オーリーが第4Qだけで13得点と爆発し点差をつけさせませんでした。
試合時間残り51秒でチャンシー・ビラップスがシュートを決め88-89とピストンズが1点リードしますが、直後ダンカンがファウルを奪いスリースローを獲得。
決めれば逆転でしたが、1本目は外れ、2本目は決めたことで89-89の同点になります。
試合はその後両者得点を決めることができず延長戦に突入。
延長戦は序盤ピストンズが先行することに成功し、残り1分43秒でラシード・ウォレスのシュートが決まり91-95とピストンズが4点のリードを奪いました。
残り1分25秒、オーリーがダンクを決めて2点差に戻すと、ターンオーバーでピストンズに攻撃の機会を与えてしまうもののピストンズが2本連続でシュートを外し、点差は2点のまま試合は残り10秒。
大盛り上がりの「ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ」に崖っぷちのスパーズでしたが、ここから試合は歴史に残る展開を迎えます。
スパーズの運命を救ったのは後に”ビッグショット・ロブ”と呼ばれる「ロバート・オーリー」。
スパーズのタイムアウトからコールした作戦はロバート・オーリーの3ポイントでした。
ジノビリのパスからオーリーが放った3ポイントシュートは綺麗な弧を描いてリングに吸い込まれます。
残り5秒、スパーズ逆転。
デトロイトは最後の攻撃をリチャード・ハミルトンに託しましたが、ハミルトンのシュートはリムに弾かれ万事休す。
スパーズが貴重な一戦を制し、NBAチャンピオンに王手をかけました。
第6戦(95-86 デトロイト・ピストンズ Win)
スパーズ王手で迎えたスパーズホームでの第6戦。
舞台となったSBCセンターにはスパーズの優勝を見ようと大勢のファンが応援に駆けつけました。
しかしこの試合はピストンズが逆境を跳ね除け、底力を見せつける展開となりました。
試合は序盤から接戦の様相を呈し、全く点差がつかないまま前半を46-47のスパーズ1点リードで折り返します。
しかし後半に入るとスパーズがピストンズのディフェンスに捕まり始め、その隙にハミルトンやビラップスが得点を重ねたことでピストンズがリードを広げ始めます。
第4Qにはスパーズも反撃し、ジノビリの3ポイントやダンカンのダンクなどで1点差となる場面はありましたが、なんとか凌いだピストンズ。
最後にリードを広げファールゲームとなりましたが、フリースローもきちんと決めたことで試合は決着。
ピストンズが敵地で貴重な1勝を挙げシリーズを3-3としました。
ピストンズは6選手が2桁得点を決めるチームバスケが光りました。
スパーズはダンカンが21得点15リバウンド、ジノビリが21得点10リバウンドを記録し健闘しますが、勝利にあと一歩届きませんでした。
第7戦(74-81 サンアントニオ・スパーズ Win)
運命の第7戦。
NBAファイナルが第7戦までもつれ込むのは1994年以来実に11年ぶりのことで、全世界が注目する一戦となりました。
そんな中始まった最終決戦は、世界の期待通りの大接戦になります。
序盤から両者持ち味のディフェンスが存分に発揮され、ロースコアの展開に。
それぞれ主力が得点を取り合い、点差がつかないまま前半を39-38のピストンズ1点リードで終えます。
第3Qも前半と同じような状況が続き、一切気を抜けない状況のまま57-57の同点で勝負は第4Qへもつれ込みます。
そして始まった勝負のラスト12分間。
勝負の女神は第4Qが始まってすぐに微笑みました。
ダンカンのダンクから始まった第4Q、ピストンズもすぐに取り返しましたが、その後はスパーズの3ポイントが連続で決まり始め、残り2分57秒でこの試合初めての7点差に広がります。
そこからピストンズもラシード・ウォレスの3ポイントなどで一時4点差まで詰め寄りますが、スパーズが安定してフリースローを決め続けたため追いつけず。
約2週間に及ぶ激闘を制し、スパーズがNBAチャンピオンに輝きました。
まとめ
今回は「NBAファイナル2005 サンアントニオ・スパーズ VS デトロイト・ピストンズ」の対決をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
この年のファイナルは2002-03シーズンのチャンピオンであるスパーズと2003-04シーズンのチャンピオンであるピストンズの”新旧チャンピオン対決”として大いに盛り上がりました。
また、ピストンズのヘッドコーチであるラリー・ブラウンはスパーズのヘッドコーチのグレッグ・ポポビッチのもとでかつて戦術を学んでいたという過去をもつため、”師弟対決”としても話題を呼んだ戦いとなりました。
やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!
他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!