NBAファンならば誰もが名前を知っているレジェンド中のレジェンド「ラリー・バード」。
1980年代にボストン・セルティックスの大エースとして活躍し、あのマジック・ジョンソンの公式ライバルとしてチームを3度のNBA優勝に導いた英雄です。
ただ、少し昔の選手だったこともあって、今NBAを見ている方の多くは実際どんな選手だったのか知らない方も多いのではないでしょうか?
この記事では、そんな「ラリー・バードってどんな選手?」という疑問をスパッと解消しようと思います。
現役時代に残した功績や伝説的なエピソードをもとにラリー・バードの魅力を存分に語っていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
卓越したスキルと天才的なバスケットボールIQを持つ伝説的なフォワード
13年間のキャリア全てをボストン・セルティックスに捧げた、1980年代を代表する伝説的なフォワード「ラリー・バード」。
スピードやジャンプ力などの身体能力は平凡中の平凡でありながら努力とその天才的な頭脳で世界最高峰の選手にまで上り詰め、NBA史上3人目となる3年連続シーズンMVPを受賞したレジェンドです。
206cmという恵まれた身長から放たれる卓越したシュートや戦況を読むバスケットIQ、試合終盤で勝利につながるプレイができる勝負強さなど、ラリー・バードの魅力を挙げれば霧がありません。
個人成績も3度のNBA優勝をはじめ、12回のオールスター選出、10回のオールNBAチーム選出、3度のオールディフェンシブチーム選出と非常に豪華。
圧倒的なスター性と試合を決める劇的なプレイで現役時代から「ラリー・レジェンド」という愛称で親しまれたバードですが、その名に全く恥じぬ正真正銘のレジェンドとして語り継がれています。
【ラリー・バードの主な功績】
NBAチャンピオン:3回 (1981, 1984, 1986)
ファイナルMVP:2回(1984, 1986)
シーズンMVP:3回(1984〜1986)
NBAオールスター:12回(1980〜1988, 1990〜1992)
オールスターゲームMVP:1回(1982)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:9回(1980〜1988)
・セカンドチーム:1回(1990)
オールディフェンシブ
・セカンドチーム:3回(1982〜1984)
50-40-90クラブ:2回(1987, 1988)
スリーポイント・コンテスト優勝:3回(1986〜1988)
マジック・ジョンソンとのライバル関係
「マジック・ジョンソンとのライバル関係」なくして、ラリー・バードは語れません。
「白人vs.黒人」、「伝統vs.ショータイム」という明確な対立構造にあった2人のライバル関係は当時絶大な人気を誇り、1970年代に人気がどん底だったNBAを世界的なリーグへと導く最大の起爆剤となったのです。
バードとマジックの関係が始まったのは1979年NCAAトーナメント(米大学全国第会)の決勝戦であり、その時はマジック率いるミシガン州立大学がバードのインディアナ州立大学を破って全米チャンピオンの座を獲得。
NBAに入ってから2人の対立関係はさらにヒートアップし、ラリー・バード率いるボストン・セルティックスとマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズは 980年代を通してNBAファイナルで3回も激突(1984年、1985年、1987年)しています。
キャリア通算でもマジックが5回、バードが3回と競うようにNBA優勝を経験しており、このレジェンド同士の対立関係は現在も語り継がれるバスケットボール界における最も伝説的なストーリーとなったのです。
2年連続の「50-40-90クラブ」シーズン
さて、ここでラリー・バードの偉大さがわかるポイントを1つご紹介しましょう。
まず、ラリー・バードのキャリアスタッツをご覧ください。
【レギュラーシーズンのスタッツ】
| シーズン | チーム | 出場試合 | 先発出場 | 出場時間 | フィールドゴール% | スリーポイント% | フリースロー% | リバウンド | アシスト | スティール | ブロック | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1979–80 | BOS | 82 | 82 | 36.0 | .474 | .406 | .836 | 10.4 | 4.5 | 1.7 | .6 | 21.3 |
| 1980–81 | 82 | 82 | 39.5 | .478 | .270 | .863 | 10.9 | 5.5 | 2.0 | .8 | 21.2 | |
| 1981–82 | 77 | 58 | 38.0 | .503 | .212 | .863 | 10.9 | 5.8 | 1.9 | .9 | 22.9 | |
| 1982–83 | 79 | 79 | 37.7 | .504 | .286 | .840 | 11.0 | 5.8 | 1.9 | .9 | 23.6 | |
| 1983–84 | 79 | 77 | 38.3 | .492 | .247 | .888 | 10.1 | 6.6 | 1.8 | .9 | 24.2 | |
| 1984–85 | 80 | 77 | 39.5 | .522 | .427 | .882 | 10.5 | 6.6 | 1.6 | 1.2 | 28.7 | |
| 1985–86 | 82 | 81 | 38.0 | .496 | .423 | .896 | 9.8 | 6.8 | 2.0 | .6 | 25.8 | |
| 1986–87 | 74 | 73 | 40.6 | .525 | .400 | .910 | 9.2 | 7.6 | 1.8 | .9 | 28.1 | |
| 1987–88 | 76 | 75 | 39.0 | .527 | .414 | .916 | 9.3 | 6.1 | 1.6 | .8 | 29.9 | |
| 1988–89 | 6 | 6 | 31.5 | .471 | .000 | .947 | 6.2 | 4.8 | 1.0 | .8 | 19.3 | |
| 1989–90 | 75 | 75 | 39.3 | .473 | .333 | .930 | 9.5 | 7.5 | 1.4 | .8 | 24.3 | |
| 1990–91 | 60 | 60 | 38.0 | .454 | .389 | .891 | 8.5 | 7.2 | 1.8 | 1.0 | 19.4 | |
| 1991–92 | 45 | 45 | 36.9 | .466 | .406 | .926 | 9.6 | 6.8 | .9 | .7 | 20.2 |
注目して欲しいのは「フィールドゴール%」「スリーポイント%」「フリースロー%」の3項目。
キャリアを通じて高確立にシュートを決めているラリー・バードですが、特に1986-87シーズンと1987-88シーズンは極めて高い数値を叩き出しており、エリートシューターの証とも言われる「50-40-90クラブ」を2年連続で達成しているんです。
※50-40-90クラブ:フィールドゴール50%以上、スリーポイント40%以上、フリースロー90%以上を全て同一シーズンに記録した選手の集団
「50-40-90クラブ」はほとんどの選手が一度も達成することなくキャリアを終えるような大記録であり、それを複数回達成したことがある選手ちなればNBAの歴史上でもラリー・バード、スティーブ・ナッシュ、ケビン・デュラントの3人のみ。
シュート力の高い選手として知られているバードですが、この記録はそれを裏付ける何よりの証拠と言えますね!
豆知識:実は「Twitter(現“X”)」のアイコンの由来になった選手
ここで一つ、ラリー・バードに関する面白い豆知識をご紹介します。
現在は「X」という名称になっているTwitterというSNSは皆さんご存知だと思いますが、そのアイコンが「青い鳥」のシルエットだったことは覚えているでしょうか?
実はあの鳥にも名前があって、その名もなんと「ラリー」。
そう、ラリー・バードがTwitterのアイコンの名前の由来になっているんです。
名前がラリーになった経緯は諸説あるようですが、Twitterの共同創業者であるビズ・ストーン氏がボストン出身であり、地元のNBAスター選手であるラリー・バードに敬意を表して名付けたという説が最も有力とのこと。
現在はアイコンも変わって見ることができなくなってしまいましたが、世界的なSNSのアイコンに名前が使われるというのは、ラリー・バードの偉大さがわかるエピソードだと思います。
脅威的な勝負強さ!ラリー・バードの伝説的エピソード3選
ここまで読んでいただいた方ににはラリー・バードの偉大さは十分理解してしただけたはず。
ただ、ラリー・バードの魅力はこんなものではありません。
最後は、無類の勝負強さを持つラリー・バードがキャリアで残した伝説的なエピソードを厳選して3つご紹介し、皆さんにますますラリー・バードを好きになってもらおうと思います。
伝説的エピソード①:メリー・フ〇ッキン・クリスマス!
まず最初にご紹介するのは、1986年12月17日に行われたインディアナ・ペイサーズ戦での一幕。
発端はインディアナ・ペイサーズのシューターで”ライフルマン(ライフルを使用する兵士)”の愛称を持つチャック・パーソンの「ライフルマンがバード狩りに行く」という一言でした。
これを聞いたラリー・バードは、試合開始直前にパーソンへ「君にはクリスマスプレゼントを用意してある」という不気味な言葉をかけます。
そして、試合中にベンチに下がって休んでいるパーソンの前でスリーポイントを放ち、シュートが入る前にパーソンの方を見て「メリー・フ〇ッキン・クリスマス!」と言い放ったのです。
シュートはリングに触れることもなく決まり、この一連のやり取りはラリー・バードを象徴する伝説の1ページとなりました。
伝説的エピソード②:3ポイントコンテストでの優勝予告
続けてご紹介するのは、1988年2月7日にシカゴ・スタジアムで開催された第3回3ポイントコンテストでの一幕。
ここまでの2大会で連覇を達成し、3連覇をかけて出場したラリー・バードはコンテスト開催前の控え室だったロッカールームで衝撃の一言を言い放ちます。
「Which one of you guys is coming in second?(お前らのうち、誰が2位になるんだ?)」
この優勝予告とも取れる発言の後、ラリー・バードは実際に3連覇を達成。
優勝を決めるシュートを放つ際には、まだ全てのボールを打ち終わっていないにもかかわらず人差し指を掲げて優勝宣言をしており、総じてラリー・バードの圧倒的な自信がわかるエピソードとなりました。
伝説的エピソード③:勝敗を決めた伝説の「ザ・スティール」
最後は王道中の王道、伝説の「ザ・スティール」をご紹介します。
舞台は1987年のイースタン・カンファレンス・ファイナル、デトロイト・ピストンズと2勝2敗で迎えた第5戦でした。
107-106で1点ビハインドで試合時間残り5秒の場面、ボストン・セルティックスは最後のオフェンスをエースのラリー・バードに託しますが、バードが放ったシュートはブロックに阻まれ、ピストンズにボールが渡るという最悪な状況になってしまいます。
ピストンズベンチは歓喜に包まれており、誰もがピストンズの勝利と思ったその瞬間、伝説のシーンは訪れました。
デトロイト・ピストンズがアイザイア・トーマスのスローインから試合を始めようとしたその時、どこからともなく飛んできたラリー・バードがボールをスティールし、体勢を崩しながらもデニス・ジョンソンの決勝点をアシストしたのです。
最終的にボストン・セルティックスはデトロイト・ピストンズを破りNBAファイナルに進出。
この「ザ・スティール」はラリー・バードのハイライト、ひいてはNBA史のハイライトに必ず含まれるほどに有名なシーンであり、バードの勝負強さを象徴する代表的なエピソードとして語り継がれています。
まとめ
今回は、ボストン・セルティックスのレジェンド「ラリー・バード」についてご紹介しました。
いかがでしたか?
ラリー・バードとマジック・ジョンソンのライバル関係はNBAの歴史において非常に重要な出来事であり、彼らの人気によってNBAが成長しなければ、現在私たちが見ているNBSは存在しなかったかもしれません。
派手なマジック・ジョンソンとは対照的に堅実なプレイを好む選手であったバードですが、意外と破天荒エピソードが多いのも魅力の1つだと思います。
個人的には「メリー・フ〇ッキン・クリスマス!」のエピソードが一番好きですね。笑
まだラリー・バードのプレイを見たことがない方は、ぜひ一度YouTubeなどでハイライトを視聴してみてくださいね!