NBA伝説の男たち

ポール・ピアースってどんな選手?セルティックスを22年ぶりのNBA優勝に導いた稀代のクラッチプレイヤー

2000年代に活躍したリーグ屈指の実力をもつフォワード「ポール・ピアース」。

2008年にボストン・セルティックスで優勝を果たした「BIG3」の一角としてご存知の方も多いと思います。

ただ、少し前に活躍していた選手とあって、最近NBAを見始めた場合はどんな選手だったのかまでは知らないと言う方も多いのではないでしょうか?

 

この記事では、そんなポール・ピアースの選手像やプレースタイルについて詳しくご紹介します。

彼が残した功績やエピソードを交えて魅力を存分に語っていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!

 

2000年代のNBAってどんな環境だった?

ポール・ピアースの話をする前に、2000年代のNBAがどんな環境だったのかについて知っておく必要があります。

2000年代のNBAはマイケル・ジョーダン引退後の覇権をめぐって様々なスターが台頭したNBA最大の転換期の1つです。

シャキール・オニールやティム・ダンカンといったインサイドプレイヤーがコートを支配していた一方で、コービー・ブライアントやアレン・アイバーソン、レブロン・ジェームズにドウェイン・ウェイドといった圧倒的な身体能力とスキルを兼ね備えたスターガードが覇権争いを行っていました。

 

今回ご紹介するポール・ピアースもこの時代の覇権を争ったスターガードの1人であり、2008年にはリーグの頂点に輝いています。

コービーやアイバーソンに比べて知名度が若干低い選手だと思いますので、この記事を通してボストン・セルティックスの生え抜きエースとして一時代を築いたポール・ピアースについて詳しく知っていってもらえたら嬉しいですね!

 

ポール・ピアース:
「The Truth(真実)」という愛称を持つ稀代のクラッチプレイヤー

1998年のNBAドラフトにて全体10位でボストン・セルティックスに指名され、その後15シーズンにわたってチームの顔として活躍し続けたレジェンド「ポール・ピアース」。

高いスキルと圧倒的な勝負強さで試合を決めるシュートを鎮める“稀代のクラッチプレイヤー”として知られ、その確かな実力から「ザ・トゥルース(真実)」という愛称を持つ実力はフォワードです。

2008年にはボストン・セルティックスで「BIG3」を結成し、見事自身初となるNBA制覇を成し遂げると共にファイナルMVPも受賞。

個人としても10度のオールスター選出や4度のオールNBA選出とリーグトップクラスの実力を誇っていた背番号「34」は、NBAで最も長い歴史を持つセルティックスの永久欠番としてチームの歴史に刻まれることとなりました。

 

【ポール・ピアースの主な功績】

NBAチャンピオン:1回(2008)

ファイナルMVP:1回(2008)

オールスター:10回(2002〜2006, 2008〜2012)

オールNBAチーム
・セカンドチーム:1回(2009)
・サードチーム:3回(2002, 2003, 2008)

 

「新BIG3」を結成!
セルティックスを22年ぶりの優勝へ導く

ポール・ピアース最大の功績といえば、やはり2008年に成し遂げたNBA制覇でしょう。

ボストン・セルティックスはNBAが誕生した時から存在する全球団の中で最も優勝回数の多い球団ですが、1980年代を最後に優勝からは遠ざかっており、2008年の優勝は実に22年ぶりの快挙となりました。

 

この時の中心メンバーはポール・ピアース、ケビン・ガーネット、レイ・アレンのセルティックス「新BIG3」と若き司令塔レイジョン・ロンド。

1980年代にもラリ・バード、ケビン・マクヘイル、ロバート・パリッシュの「BIG3」で3度の優勝を果たしていることから、かつての栄光とも重なってボストンの街での「新BIG3」の人気はものすごかったそうです。

特にセルティックスでドラフトされた生え抜きの選手であるピアースは地元ファンから非常に愛されており、現在でもボストンに優勝をもたらした英雄として語り継がれています。

 

ポール・ピアースのプレースタイルは?
魅力的なポイントを2つ紹介

2000年代にリーグトップクラスの実力派フォワードとして活躍したポール・ピアースですが、実際はどのようなプレースタイルをしていたのでしょうか?

続いては、ピアースのプレーについて魅力的なポイントを2つ厳選してご紹介していこうと思います。

 

魅力的なポイント①:
身体能力ではなく緩急やスキルを巧みに使ったスコアリング能力

身長201cm、体重107kgという恵まれた体格を持ち、主にスモールフォワードとしてプレイしていたポール・ピアース。

当然高い身体能力を持っていましたが、それよりも緩急やドリブルスキルなどのテクニックで得点を取る能力に長けた選手として知られていました。

 

その得点パターンのバリエーションは非常に豊富であり、スリーポイントシュートはもちろん、ミドルシュート、レイアップ、ポストプレー、ファウルドローに至るまで、あらゆる場所から1人で点を取ることが可能。

全盛期は常に平均20得点以上を記録し、そのオフェンス力はNBAの中でも指折りの実力だったことは間違い無いでしょう。

 

魅力的なポイント②:
NBA史上最高クラスのクラッチ力

先ほども少し触れましたが、ポール・ピアースはNBAの歴史上でもトップクラスの「クラッチ力(試合終盤にシュートを決める力)」を持った勝負強い選手として知られていました。

彼のクラッチ力は数字にも表れており、キャリアを通してゲームウィナーにつながるプレイを合計12回(得点7回、アシスト5回)。

これはあの“バスケの神様”マイケル・ジョーダン(合計10回:得点9回、アシスト1回)をも上回る数字です。

 

プレイオフで勝ち進むためには接戦を勝ち切ることが非常に重要であり、ピアースはその勝負強さで幾度となくチームを救った選手でした。

 

【衝撃のエピソード】
殺傷事件からわずか3日で退院し、シーズンフル出場

最後に、ポール・ピアースを語る上では外せない衝撃的なエピソードをご紹介したいと思います。

事件が起こったのはピアースがキャリア3年目を迎えた2009年のオフシーズン、チームメイトのトニー・パティらと共にボストンのナイトクラブで遊んでいた時でした。

 

友人が見知らぬ男たちに絡まれ喧嘩が起きそうになったところで仲裁に入ったピアースでしたが、突如ガラスの瓶で頭を殴られ、顔、首、背中など全身11ヶ所をナイフ刺されるという重傷を負い、救急搬送で病院へ。

ナイフは肺の近くにまで到達しており重傷だったものの、すぐに緊急手術を受けることができたことでなんとか一命を取り留めることができたのでした。

 

ところが、そこからピアースは脅威の回復力を見せわずか3日で退院、さらに1ヶ月後に行われた開幕戦に普通に出場。

こんな形で迎えたキャリア3年目のシーズンはなんと82試合全てにスタメン出場し、チームメイトやファンをドン引きさせました。

 

計19シーズンという非常に長いキャリアを歩んだポール・ピアースですが、このエピソードはそんなピアースの身体の強さを象徴するエピソードとして語り継がれています。

 

まとめ

長きにわたってボストン・セルティックスを支えた大エース「ポール・ピアース」。

2008年にはセルティックスを22年ぶりとなるNBA優勝に導き、名実共にボストンの英雄として語り継がれるレジェンドとなりました。

 

同じ時代にコービー・ブライアントやレブロン・ジェームズといった歴代トップクラスの選手たちがいたことで少し知名度で劣っていますが、彼の1 on 1スキルはリーグのどの選手とも張り合えるレベルのものだったと思います。

ポール・ピアースの洗練されたオフェンススキルは圧巻ですので、まだみたことがない方はぜひYouTubeなどでハイライト動画などを視聴してみてくださいね!

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