1990年代を代表するパワーフォワードである「チャールズ・バークレー」。
現在は主に「スポーツコメンテーター」として活躍しており、テレビやYouTubeなどでその姿を見たことがある人も多いんじゃないでしょうか?
コメンテーターとしてはいつもユーモア溢れる一言で人気なバークレーですが、現役時代の実力は圧倒的で、NBA公式が75周年を記念して発表した「NBA75周年記念チーム」にも選出されるほどのれっきとしてNBAレジェンドなんですよ!
この記事では、そんなチャールズ・バークレーが現役時代いかにすごい選手だったのかを紹介。
彼が残した功績や伝説の試合などを元に、チャールズ・バークレーという男がなぜレジェンドなのかについて存分に語っていきますので、その偉大なキャリアについて知りたい方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
“空飛ぶ冷蔵庫”の異名を持つ伝説的パワーフォワード
約198cmというNBA選手にしては小柄な身長ながら、圧倒的なパワーと跳躍力でインサイドを支配した伝説のパワーフォワード「チャールズ・バークレー」。
「空飛ぶ冷蔵庫」という一見バカにしたようなニックネームも、体重114kgという身長にしてはかなり重量級のフィジカルを持ちながら、人々の想像をはるかに超える驚異的な滞空時間を誇っていたバークレーへの尊敬の証なんですよ!
シーズンMVPや11度のオールスター選出などNBAでの活躍はもちろん、バルセロナ(1992年)とアトランタ(1996年)という2つのオリンピックでアメリカ代表に金メダルをもたらすなど国際試合でも輝かしい功績を残しているバークレー。
ドラフトされたフィラデルフィア76ersと全盛期を過ごしたフェニックス・サンズでは着用していた背番号が永久欠番となったことからもわかるように、バークレーはNBAの一時代を語るには欠かせない、1990年代のNBAを象徴するレジェンドなんです。
【NBA時代の主な功績】
シーズンMVP:1回(1993)
オールスター:11回(1987〜1997)
オールNBAチーム
・ファーストチーム:5回(1988〜1991, 1993)
・セカンドチーム:5回(1986, 1987, 1992, 1994, 1995)
・サードチーム:1回(1996)
リバウンド王:1回(1987)
【プレースタイル】圧倒的な身体能力で得点とリバウンドを量産する“インサイドファイター”
バークレーのプレースタイルを一言で表現するなら「インサイドファイター」でしょう。
身長196cm、体重114kgというかなりがっしりした体格を持ち、その重量級の見た目からは想像もできないほどのスピードと跳躍力でゴール下を蹂躙する姿は、現代でいうザイオン・ウィリアムソンに近いと言えるかもしれません。
特にリバウンドは圧倒的な実力を持っていて、自分よりも10cm以上高いセンターたちと互角以上に渡り合い、キャリアでシーズン平均10リバウンドを下回ったのはルーキーイヤーのみ。
1986-87シーズンには、キャリアハイとなる14.6リバウンドを記録して「リバウンド王」を獲得しています。
NBA史上5人目となる「通算20,000得点・10,000リバウンド・4000アシスト」という偉業の達成者であり、そのインサイドプレイヤーとしての実力は歴代でも屈指のものだったことは間違いありません。
マイケル・ジョーダンと対等に渡り合った最高のライバル
チャールズ・バークレーといえば、マイケル・ジョーダンとのライバル関係を語らないわけにはいきません。
1984年NBAドラフトで同期(ジョーダンが3位、バークレーが5位)としてNBA入りした2人は、同じ時代を駆け抜けたスーパースター同士として比較されてきました。
ただ、やはりシカゴ・ブルズで2度の3連覇を成し遂げたマイケル・ジョーダンのほうが常に一枚上手であり、バークレーは個人としてリーグトップクラスの実力を持っていたものの、結局キャリアで1度もNBA優勝を果たすことはできていません。
バークレーが最も優勝に近づいたのは1993年の自身がシーズンMVPを受賞した年で、ご存知の通りその年はマイケル・ジョーダンが1度目の3連覇を果たした年でもあります。
サンズとブルズのエースとしてNBAファイナルにて相対した2人は激しく火花を散らしますが、最終的には4勝2敗でブルズがNBA優勝に輝くのでした。
1992年に行われたバルセロナオリンピックでは通称「ドリームチーム」でチームメイトとして戦うなど共闘経験もある2人は、まさに同期という絆で結ばれた最高のライバル同士だと言えるでしょう!
勝負どころでの圧倒的な支配力!
チャールズ・バークレーの伝説の試合3戦
ここまで読んでくれた人にはチャールズ・バークレーがいかに偉大な選手だったのかを知っていただけたはず。
ただ、個人的に思うバークレー最大の魅力は「勝負どころでチームを勝たせる力」なんですよね。
そこで最後に、バークレーがいかに勝負どころで圧倒的な支配力を持っていた選手だったかがわかる伝説の試合を3つ厳選してご紹介し、彼がレジェンドと呼ばれる理由を実感してもらいたいと思います!
伝説の試合①:1994年プレイオフ1回戦 第3戦
まず初めに紹介するのは、ゴールデンステイト・ウォリアーズと対戦した1994年プレイオフ1回戦の第3戦でのパフォーマンス。
当時のプレイオフ1回戦は先に3勝したチームの勝利が決まるルールで、すでに2勝していたサンズにとってはシリーズ突破がかかった重要な一戦でした。
この試合、バークレーは個人としてキャリア最高の試合を残します。
サンズの絶対的エースとして常に警戒されているにも関わらず淡々とシュートを決め続け、終わってみればフィールドゴール23/31(成功率約74%)で56得点を記録。
56得点はバークレーのキャリアハイであり、プレイオフの舞台で最高のパフォーマンスを発揮してチームをシリーズ突破に導くというバークレーの勝負強さを証明する一戦だと言えるでしょう!
伝説の試合②:1993年ウエスタン・カンファレンスファイナル 第7戦
2つ目に紹介するのは、自身初のNBAファイナル進出がかかった大一番、1993年ウエスタン・カンファレンスファイナル第7戦です。
ウエストの頂点を決めるこの対戦の相手は、歴代屈指のディフェンシブガード「ゲイリー・ペイトン」要するシアトル・スーパーソニックスでした。
勝てばNBAファイナル、負ければシーズン終了という極限の一戦でしたが、こういう試合こそバークレーは進化を発揮するんです。
そのスタッツは、なんと44得点、24リバウンドという怪物級のダブルダブル。
しかも、試合終盤には相手の屈強なディフェンダーたちにダブルチームを仕掛けられながらのこのスタッツですから驚きです。
勝利が決まった瞬間の大きく雄叫びをあげる姿も印象的で、チームを勝利に導くというエースとしての覚悟の強さも感じられる試合だと言えるでしょう。
伝説の試合③:1992年バルセロナ五輪 決勝
3つ目に紹介する試合は、少しテイストを変えて、1992年に行われたバルセロナオリンピックの男子バスケットボール決勝なんていかがでしょうか。
1988年のソウルオリンピックにてNBA選手を起用しないという舐めプとも言える選手選びをした結果、準決勝敗退で銅メダルに終わるという屈辱を味わったアメリカ代表。
バスケ大国の威厳を取り戻すべく、1992年には全員がNBAレジェンドで構成された“ドリームチーム”を送り込んだのでした。
全員が世界トップラクスの実力を持ったドリームチームは圧倒的な実力をもって金メダルに輝くわけですが、そんな伝説のチームをオフェンス面で引っ張っていたのがチャールズ・バークレー。
大会通じての1試合平均得点はチームトップの18点であり、決勝のクロアチア戦もわずか25分の出場でチーム最多の17得点を記録し、チームを勝利に導いたのです。
圧倒的な実力さがあったとしても、国の期待を背負った負けられない試合で最高のパフォーマンスを残したバークレーの勝負強さはもはや疑う余地もないでしょう。
まとめ
今回は1990年代に活躍したNBAレジェンド「チャールズ・バークレー」についてご紹介しました。
いかがでしたか?
優勝経験がないことから、本当にすごい選手だったのか分かりづらいかもしれませんが、これはバークレーが凄くないのではなく、1990年代という時代がそれだけ優勝の難しい時代だったということなんです。
なにせ10年間のうち6回が"バスケの神様”によって支配されていたわけですから、残りの4年間を他のスーパースターと分け合うと思うと、なかなかにシビアな戦いですよね,,,。
時代が違えば全く異なる評価をされていた可能性もあったはずで、バークレーは「そんな世界線も見てみたかった」と思わせてくれるレベルの選手だったと思います
バークレーのスーパープレイはスピード、迫力ともに最高クラスですので、まだ見たことのない方はこの機会にぜひハイライト集などをご覧になってみてくださいね!