NBA伝説の男たち

サム・ジョーンズってどんな選手?10度のNBA制覇の経歴を持つ稀代のクラッチプレイヤー

みなさんは「サム・ジョーンズ」という選手をご存知ですか?

1960年代の"王朝”と呼ばれたボストン・セルティックスで活躍した選手で、NBA公式の発表した「NBA75周年記念チーム」にも選出された正真正銘のレジェンドです。

ただ、活躍した年代が昔すぎるのもあって、今NBAを観ている方の多くはなんでそんなに偉大な人物として扱われているのか分からないのではないでしょうか。

 

そこでこの記事では、NBA好きなみなさんに「サム・ジョーンズ」というNBAレジェンドの存在を知ってもらうために、彼が現役時代どんな選手だったのかをご紹介していこうと思います。

彼が残した功績や伝説的な試合の数々をもとに、サム・ジョーンズがなぜレジェンドとして語り継がれているのかを熱く語っていきますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!

 

10度のNBA制覇の経歴を持つ稀代のクラッチプレイヤー

ビル・ラッセルに次いで歴代2位の「10度のNBA制覇」という圧倒的な経歴を持つ「サム・ジョーンズ」。

正直この経歴だけで“レジェンド”と呼ばない方がおかしいくらいですが、「ビル・ラッセルと同じ時期にセルティックスに所属していただけでしょ!」と言いたくなる方の気持ちも少し分かります。笑

 

確かに王朝時代のセルティックスに所属していなければ10度の優勝は不可能だったと思いますが、ビル・ラッセルだって万能じゃありませんから、実力のあるチームメイトがいなければ「ウィルト・チャンバレン」や「ジェリー・ウエスト」といった猛者たちを抑えて11回も優勝することはできません。

サム・ジョーンズはまさにその“実力のあるチームメイト”の1人であり、キャリア4年目の1961-62シーズンからスタメンシューティングガードに定着すると、引退する1968-69シーズンに至るまでその役割を全うし続けました。

 

スタメンに定着して以降は毎シーズン平均15得点以上をスコアする確かなチームの得点源として活躍しつつ、試合終盤には接戦をものにするクラッチプレイヤーとしてチームに大きく貢献。

セルティックスが背番号「24」を永久欠番に認定していることからも分かるようにジョーンズは“王朝”を築く上で必要不可欠な存在であり、NBAレジェンドとして語り継がれるべき選手だったことは間違いないでしょう!

 

【NBA時代の主な功績】

NBAチャンピオン:10回(1959〜1966, 1968, 1969)

オールスター:5回(1962, 1964〜1966, 1968)

オールNBAチーム
・セカンドチーム:3回(1965〜1967)

 

【プレースタイル】“速攻”や“バンクショット”で得点を量産する万能スコアラー

多彩な得点スキルを持った万能スコアラーであったサム・ジョーンズですが、彼を象徴するプレーを挙げるとすれば「速攻」と「バンクショット」でしょう。

 

実は、当時のNBA情報を扱うメディアの選手紹介において「リーグで最も速い選手の一人」と称されるほどにスプリント力に長けていたジョーンズ。

“足が速い”というのは速攻においてシンプルかつ強力な武器であり、相手チームからするとジョーンズに先に走り出されてしまえば追いつくことができないので、常に1人はジョーンズを意識していなければならないという負担を強いられていました。

しかも、ようやくジョーンズに追いついたと思ったら華麗なステップワークでかわされて得点されてしまうわけですから、ディフェンス側からすればマークしたくない選手だったことでしょう。

 

そして、サム・ジョーンズを語る上で欠かせないのが、ボールをバックボードに当ててフィニッシュするシュートスキルである「バンクショット」。

NBAでバンクショットの名手といえば「ティム・ダンカン」を思い浮かべる方も多いんじゃないかと思いますが、そのバンクショットをNBAに普及させた第一人者とも言えるのがサム・ジョーンズなんです。

様々な角度からフィニッシュできるためブロックしづらいという利点を持つ「バンクショット」は絶対に得点を撮りたい試合終盤と相性がよく、“稀代のクラッチシューター”として知られるジョーンズにとって欠かせない武器の1つとなっていました。

 

速攻でチームを牽引し、試合終盤にはクラッチなバンクショットで勝利を決定づける。

チームの絶対的エースではなかったものの、優勝を目指すチームにとって喉から手が出るほどに必要な選手だったことは間違いないでしょう。

 

“セルティクス王朝のクラッチキング”
サム・ジョーンズが残した伝説の試合3選

ここまで読んでいただいた方には、サム・ジョーンズがただ強かった頃のセルティックスに所属していただけの選手でないことは分かっていただけたでしょう。

この記事では最後に、接戦の試合をものにし続けてきた“セルティックス王朝のクラッチキング”「サム・ジョーンズ」を象徴する「伝説」とも言える試合を厳選して3つご紹介し、その偉大さをさらに知っていただこうと思います。

 

伝説の試合①:1962年イースタン・カンファレンス・ファイナル 第7戦

まず初めにご紹介するのは、サム・ジョーンズがリーグ全体にその名を轟かせた伝説的な試合です。

舞台となったのは1962年のプレイオフ、ウィルト・チェンバレン要するフィラデルフィア・ウォリアーズ(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)とのイースタン・カンファレンス・ファイナル第7戦でした。

 

シリーズ3勝3敗というどちらも譲らない状況で迎えた最終決戦は、試合終盤までシーソーゲームが続き、試合時間残り2秒の時点で107対107の同点の状況に。

誰もが延長突入を予想する中、最後のオフェンスの機会を持っていたセルティックスはジョーンズにボールを託します。

2秒という短い時間の中で放たれたジョーンズのシュートはブロックに飛んだチェンバレンの手をギリギリでかわし、ブザーの音と共にゴールに吸い込まれていきました。

 

この勝利によってセルティックスはNBAファイナルへの切符を手にし、勢いそのままにファイナルではレイカーズを4勝3敗で下して4連覇を果たしたのです。

 

伝説の試合②:1963年イースタン・ディビジョン・ファイナル 第7戦

続いてご紹介するのは、サム・ジョーンズにとってキャリア最高の試合である「1963年イースタン・ディビジョン・ファイナル 第7戦」。

当時リーグ最高のポイントガードであった「オスカー・ロバートソン」率いるシンシナティ・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)との決戦は、またも3勝3敗という互角の状態で運命の第7戦を迎えたのでした。

 

試合は両者一歩も譲らない展開の中、オスカー・ロバートソンが43得点と躍動したのに対してサム・ジョーンズはそれを上回る47得点を叩き出し、142-131でセルティックスを勝利に導いたのです。

ちなみに1964-63シーズンのサム・ジョーンズのレギュラーシーズン平均得点は19.7点。

普段は安定したスコアリングでチームを支えるタイプの選手でありながら、チームの行末えがかかった大事な試合では圧倒的なパフォーマンスを発揮できる、そんなサム・ジョンズの”勝負強さ”を証明する一戦と言えるでしょう!

 

伝説の試合③:1969年NBAファイナル 第4戦

最後にご紹介するのは、自身の引退年に花を添える「10度目の優勝」という金字塔を、自らの手でたぐり寄せた伝説の1試合。

8年連続で到達したNBAファイナルにてロサンゼルス・レイカーズと退治したセルティックスは、ジェリー・ウェストやエルジン・ベイラーらの猛攻に苦しめられ、1勝2敗と相手にリードを許した状態で第4戦を迎えました。

 

負ければレイカーズに王手をかけられる重要な一戦は終始互角のまま進み、87-88とレイカーズ1点リードの状態で試合時間は残りわずか7秒に。

しかもボールはレイカーズの手にあり、会場の全員がレイカーズのシリーズ王手を確信したその瞬間、なんとエルジン・ベイラーがラインクロス(アウト・オブ・バウンズ)によって痛恨のターンオーバー。

奇跡的に攻撃権を得たセルティックスはサム・ジョーンズにボールを託し、ドライブで切り込んだジョーンズがウィルト・チェンバレンのブロックをかわしつつバランスを崩しながらも放ったシュートは、リムで大きくバウンドしたのちにゴールへと吸い込まれていったのです。

最終スコア89-88でセルティックスがシリーズ2勝2敗のタイに戻し、結果的にレイカーズを破って優勝を成し遂げています。

 

自身の引退年というストーリー性、シリーズ劣勢というシチュエーション、残り時間数秒でボールを託されるという運命的な試合展開、これら全てを背負った上で試合を決めるブザービーターを沈めたサム・ジョーンズは、まさに“稀代のクラッチシューター”と呼ぶに相応しい選手だなと思います。

 

まとめ

今回は、セルティックス王朝を支えた稀代のクラッチプレイヤー「サム・ジョーンズ」についてご紹介してきました。

いかがでしたか?

 

ビル・ラッセルという偉大すぎる存在の陰に隠れがちな選手ではありますが、僕自身、サム・ジョーンズもまた10個のチャンピオンリングを受け取るに相応しい選手だったんだと記事を書きながら再確認させてもらいました。

最後にご紹介した「1969年NBAファイナル第4戦」なんてビル・ラッセルはわずか2得点(まぁ29リバウンドなんですが笑)ですから、サム・ジョーンズのクラッチ力なくしてセルティックス王朝はなかったと言っても過言ではないかもしれませんね!

 

1960年代の選手ですので白黒の映像しか残っていませんが、この記事をきっかけにサム・ジョーンズのハイライト集をみたりしてくれたら書いた甲斐があるなぁと思います。

他のNBAレジェンドについても、彼らが「レジェンド」として語り継がれる理由を語った記事がありますので、気になるNBAレジェンドがいる方はサイトホームから選手名を検索していただければと思います。

それではまた、次の記事でお会いしましょう!

-NBA伝説の男たち