みなさんは「レニー・ウィルケンズ」という選手をご存知ですか?
かく言う僕も2021年にNBA公式が発表した「NBA75周年記念チーム」で初めてその名を知った選手であり、実際どんな功績を残したのかは全く知りませんでした。
NBA好きとして、NBAレジェンドと呼ばれる選手たちがNBAファンにすら知られていないというのは少し悲しい事実ですよね、、、。
そこで今回は、そんな「レニー・ウィルケンズ」について、その全貌を調べ上げることにしました。
彼がなぜNBAレジェンドとして語り継がれているのか、残した功績やプレースタイルをもとに、その理由を一緒に解き明かしていきましょう!
目次
「選手」と「ヘッドコーチ」の両方で殿堂入りを果たした“真の司令塔”
レニー・ウィルケンズがNBAレジェンドと称される決定的な理由は、「選手」と「ヘッドコーチ」という2つの役割でバスケットボール殿堂入りを果たしているからです。
NBAの長い歴史において、ウィルケンズのように選手とコーチの両方で殿堂入りを果たした経歴を持つ人物はわずか5名のみ。
「名選手、必ずしも名監督にあらず」という日本の格言がありますが、ウィルケンズはまさに名選手が名監督になった代表的な例だと言えますね!
この記事では、ここからレニー・ウィルケンズの偉大なキャリアを「選手時代」と「ヘッドコーチ時代」とに分けてご紹介していこうと思います。
選手時代からヘッドコーチ顔負けの高いバスケIQを持ち、実際にヘッドコーチとしてその手腕をふるった”真の司令塔”が、それぞれの役割でどのような功績を残したのか一緒に見ていきましょう1
レニー・ウィルケンズの「選手時代」の功績
まずは、世代を代表するポイントガードの1人として名を馳せた「選手時代」の功績から語ってきますよ。
185cmという身長のハンデを持っていた「レニー・ウィルケンズ」がなぜ殿堂入りを果たすことができたのか、その理由を紐解いていきましょう!
9度のオールスター選出の実績を持つ実力派ガード
1960年NBAドラフトにて全体6位という高順位で指名を受け、セントルイス・ホークス(現アトランタ・ホークス)にてNBAキャリアをスタートさせた「レニー・ウィルケンズ」。
大学時代に開花した「ゲームメイク能力」とストリートで培ったタフな「ディフェンス力」を武器にキャリア1年目からホークスのスタメンポイントガードに定着すると、司令塔としてチームをいきなりNBAファイナルへ導くという離れ業をやってのけました。
2年目以降も順調なキャリアを歩んだウィルケンズは自他共に認めるエースとしてホークスを率いるようになり、1967-68シーズンにはシーズンMVP投票で2位(1位はウィルト・チェンバレン)になるなど、ポジションの枠を超えてリーグを代表するスター選手へと成長したのです。
そんなウィルケンズが全盛期を迎えたのは初めての移籍先となったシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)時代で、毎シーズン平均20得点近くを残しながら多くのアシストを記録し、1969–70シーズンには「アシスト王」も受賞。
その後はクリーブランド・キャバリアーズとポートランド・トレイルブレイザーズに数年間在籍したのちに引退を表明したわけですが、NBA優勝こそ果たせなかったものの、合計9度のオールスター選出を受けるなど、そのキャリアは十分レジェンドと呼ぶに相応しいものだったと言えるでしょう!
【プレースタイル】広大な視野と高いバスケIQでオフェンスを牽引する「ピュアポイントガード」
1960年代〜70年代のNBAを代表する選手の1人だった「レニー・ウィルケンズ」ですが、そのプレースタイルを一言で表現するなら「ピュアポイントガード」でしょう。
高い得点力を持ちながらもそれを誇示することはなく、広大な視野と高いバスケIQをもってオフェンスを組み立てながら、あくまで味方をアシストすることに重きを置いている選手だったんです。
この視野とバスケIQはディフェンスにも大いに発揮され、相手の作戦を先回りして潰したり、あえてパスを出させてスティールを狙ったりと、まるで未来が見えているかのような動きで相手にプレッシャーをかけ続けていました。
また、オフェンスにおいてはスピードに乗ったキレのあるドライブも大きな武器の1つで、その実力は当時の選手たちのインタビューで「左に行くと分かっていても止められない(ウィルケンズが左利きであったことから)」とあきらめの言葉が出てしまうほど。
ドライブで1人を抜き去ったあと、ヘルプに来たディフェンダーを交わしながらフリーになった味方へパスを出すプレーはウィルケンズの十八番だったそうです。
レニー・ウィルケンズの「ヘッドコーチ時代」の功績
続いては、「ヘッドコーチ時代」の功績を語っていきますよ!
正直選手としてよりおヘッドコーチとしての方が有名なウィルケンズですが、一体どれほどすごい功績を打ち立てているのか、その全貌を明らかにしていこうと思います。
ヘッドコーチキャリアの引退時点で歴代最多の通算1,332勝を記録
選手としての現役時代から「選手兼ヘッドコーチ」として指導者としてのキャリアをスタートさせていたウィルケンズは、選手として引退を発表した1975年以降もヘッドコーチとしてのキャリアを歩み続ける選択をしました。
ヘッドコーチ一本で活躍するようになったのは1977-78シーズンからで、そこから29年という長い指導者キャリアの中で5つのチームのヘッドコーチを歴任。
結果的に、ヘッドコーチとしてのキャリアを終える頃には通算1,332勝を積み上げていて、ウィルケンズの引退当時ではNBA歴代最多勝利記録だったそうです。
これには選手時代に経験した勝利数も含まれているのでややズルな気もしますが、これが公式記録なのですから仕方ありません。笑
いずれにしても、一時的とはいえ歴史上最も多く勝利したヘッドコーチになったという実績は、ウィルケンズをヘッドコーチとして殿堂入りさせるには十分すぎるものだと言えるでしょう!
シアトル・スーパーソニックスにNBA優勝をもたらす
ウィルケンズのヘッドコーチとしての功績を語る上で欠かせないのが、1979年のシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)を率いて成し遂げたNBA優勝でしょう。
この優勝はシアトル・スーパーソニックスにとっても球団史上初の偉業であり、歴史的な意義も非常に大きい功績となりました。
1979年のシアトル・スーパーソニックスといえば、ガス・ウィリアムズとデニス・ジョンソンという2人のエースを中心に構築されていたチーム。
実は前年の1978年にもNBAファイナルに進出しながらワシントン・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)に敗れており、ウィルケンズはリベンジに燃える選手たちを冷静かつ着実にまとめあげ、再び優勝を狙えるチームを作り上げていきました。
迎えた1979年NBAファイナル、因縁の相手であるワシントン・ブレッツを1敗からの4連勝で打ち破り、見事リベンジを達成。
シアトルの街に男子スポーツ史上初のトロフィーをもたらしたウィルケンズは、NBAでも歴代屈指の名将として後世に語り継がれることとなったのです。
まとめ
今回は、選手とヘッドコーチの両方で殿堂入りを果たしたレジェンド「レニー・ウィルケンズ」についてご紹介しました。
いかがでしたか?
個人的には、1979年のシアトル・スーパーソニックスの優勝の裏にこんな名将の存在があったことを知れてよかったと思います。
選手時代の功績だけだとどうしても他のNBAレジェンドたちに比べて見劣りしてしまう感じが否めませんでしたが、ヘッドコーチ時代の功績を含めれば文句なし、むしろNBAの一時代を築いた歴代屈指のレジェンドと言えるでしょう!
他のNBAレジェンドについても、彼らが「レジェンド」として語り継がれる理由を語った記事がありますので、気になるNBAレジェンドがいる方はサイトホームから選手名を検索していただければと思います。
それではまた、次の記事でお会いしましょう!