NBA伝説の男たち

ビル・シャーマン|選手として4度のNBA優勝、コーチとしてNBAとABAの両方で優勝を成し遂げたレジェンド

みなさんは「ビル・シャーマン」という人物をご存知ですか?

恥ずかしながら、僕は2021年に発表された「NBA75周年記念チーム」でその名を見るまで存在を知りませんでした。

ただ、彼のキャリアを調べてみると、選手としてはもちろん、ヘッドコーチとしても1950年代〜70年代のNBAにおいて欠かせない存在の1人であることが分かったんです!

 

この記事では、そんな「ビル・シャーマン」の偉大なNBAキャリアを、彼の存在を知らない方にも分かりやすいようにご紹介していこうと思います。

彼が残した功績やエピソードなどを交え、なぜビル・シャーマンという男がNBAレジェンドとして語り継がれているのかを語っていこうと思いますので、興味のある方はぜひ最後までご覧ください!

 

「選手」と「ヘッドコーチ」の両方で殿堂入りを果たした数少ない人物の1人

ビル・シャーマンがNBAレジェンドと呼ばれる最大の理由は、「選手」と「ヘッドコーチ」の両方で殿堂入りを果たすほどの実績を残しているからに他なりません。

「名選手、必ずしも名監督にあらず」という格言があるように、プレイヤーと指導者という似たようで全く異なる素養が求められる2つの役職で、どちらも歴史に名を残すレベルの偉業を果たすというのは当然ながら至難の業。

実際、70年以上の長い歴史を誇るNBAにおいても、ビル・シャーマンのように「選手」と「ヘッドコーチ」の両方でバスケットボール殿堂入りを果たしているのはわずか5人のみなんです。

 

ここからは、そんなビル・シャーマンが残した功績を「選手時代」と「ヘッドコーチ時代」とに分けてご紹介していきます。

1960年代のボストン・セルティックスで4度の優勝を果たし、コーチとしてNBAとABAの両方で優勝を成し遂げたレジェンドの偉大なキャリアを一緒に紐解いていきましょう!

 

ビル・シャーマンってどんな選手だったの?選手時代の功績を紹介!

まずは「選手時代」の功績から語っていきますよ!

ビル・シャーマンとはいったいどんな選手だったのか、プレースタイルと優勝経験という2つの観点から見ていきましょう!

 

【プレースタイル】無尽蔵のスタミナを持つ「ランニングシューター」

ビル・シャーマンのプレースタイルを現代の言葉で表現するのであれば「ランニングシューター」でしょう。

コーナーで味方からのパスを待つ「スポットシューター」とは違い、ボールを持っていない状態で常にコートを動き回り、スクリーンなどを活用して作り出した一瞬の隙にシュートを放つそのプレースタイルは、当時のNBAにおいてかなり先進的なものだったそうです。

シャーマンは日々のトレーニングで持久力を鍛え、試合終盤でも走り回れる無尽蔵のスタミナで毎試合のように相手ディフェンダーを苦しめていました。

 

高精度なシューターとしても知られていたシャーマンですが、その正確性を如実に表しているのが「フリースロー」。

キャリア通算88.3%という非常に高い成功率を記録していて、自身の11シーズンというNBAキャリアの中で7度もフリースロー成功率リーグ1位に輝いています。

 

セルティックスでスタメンに定着した1952-53シーズンからはリーグ屈指のシューターへと成長を遂げ、8年連続でのオースルター選出や計7回のオールNBAチーム選出といった輝かしい功績を残したシャーマン。

その活躍は、ボストン・ガーデン(セルティックスのホームアリーナ)の天井に飾られた背番号「21」と共に、黎明期のリーグを彩った偉大なレジェンドとして後世に語り継がれています。

 

【NBA時代の主な功績】

NBAチャンピオン:4回(1957, 1959〜1961)

オールスター:8回(1953〜1960)

オールスターMVP:1回(1955)

オールNBAチーム
・ファーストチーム:4回(1956〜1959)
・セカンドチーム:3回(1953, 1955, 1960)

 

王朝を築いたボストン・セルティックスで4度のNBA優勝に貢献

ビル・シャーマンのNBAキャリアにおける最大のハイライトは、やっぱり"王朝”セルティックス時代の4度のNBA優勝でしょう。

 

名将「レッド・アワーバック」のヘッドコーチ就任と、天才ポイントガード「ボブ・クージー」の加入によって始まったセルティックスの黄金期は、1956年のビル・ラッセル加入によって本格的な“王朝”へと突入。

翌1957年に初のNBAチャンピオンに輝くと、1958–59シーズンからは前人未到の8連覇を成し遂げました。

 

ビル・シャーマンはそんなセルティックスの王朝時代“上半期”をスタメンシューティングガードとして支え、ボブ・クージーと共にリーグ屈指の強力バックコートを形成。

シャーマンの正確なシュートは王朝セルティックスにとって必要不可欠な武器であり、4度のNBA王者に輝いたチームで主力として貢献したシャーマンは、NBAレジェンドと呼ばれるに相応しい存在であることは間違いないでしょう!

 

ビル・シャーマンの「ヘッドコーチ時代」の功績を紹介!

続いては、「ヘッドコーチ時代」の功績を見ていきましょう!

10年間というコーチキャリアの中で5度のファイナル進出(NBAで3回、ABAで2回)という脅威的な実績を持つビル・シャーマン。

ここでは、そんなシャーマンのコーチキャリアの中でも特に偉大な2つの功績をご紹介します。

 

史上2人のみ!NBAとABAの両方で優勝チームを率いたヘッドコーチ

「NBA」と「ABA」というかつてアメリカに存在した2つの大きなプロリーグにおいて、その両方でヘッドコーチとしてチームを優勝に導いた経歴を持つビル・シャーマン。

1976年にABAが財政破綻によってNBAと統合されてしまったことで新たな達成が不可能な記録となっているものの、ヘッドコーチとしての両リーグでの優勝は史上2人のみ(もう1人はアレックス・ハナム)の偉業です。

 

ビル・シャーマンが率いた優勝チームは、1970-71シーズンのABA「ユタ・スターズ」と1971-72シーズンのNBA「ロサンゼルス・レイカーズ」。

リーグは違うものの、2年連続でリーグ優勝を経験しているということですね!

 

ちゃっかり両リーグで「最優秀コーチ賞」も受賞していて、もともと強かったチームをただ率いただけでなく、才能のある選手たちがその才能を発揮できる舞台を整える“ヘッドコーチとしての技量”もかなりの高評価。

名将として知られるビル・シャーマンですが、正直この「両リーグでの優勝」と「両リーグでの最優秀コーチ賞受賞」という功績だけでも殿堂入りに相応しいと言わざるを得ませんね。笑

 

レイカーズを率いて史上最多となる33連勝を記録

もう1つ、ビル・シャーマンのコーチキャリアにおけるハイライトとして知っておいて欲しいのが、1971-72シーズンにレイカーズで記録した「33連勝」という大記録。

これは2026年6月時点でも破られていない“不滅の記録”の1つで、歴代2位が2012-13シーズンにレブロン・ジェームズ率いるマイアミ・ヒートが記録した「27連勝」ですから、その凄さが分かりますよね。

 

この時代のレイカーズは「ウィルト・チェンバレン」と「ジェリー・ウエスト」を中心としたチームで優勝を狙うも、ことごとくボストン・セルティックスという大きな壁に阻まれ、大きな変革が求められていた頃。

新ヘッドコーチに就任したビル・シャーマンによって「メンタリティー」と「組織的なディフェンス」に変化が起き、そこに長年チームを支え続けてきたレジェンド「エルジン・ベイラー」の引退という起爆剤が重なって「33連勝」は成し遂げられたのでした。

 

勢いに乗ったレイカーズは、そのままプレイオフを勝ち上がり見事優勝。

この優勝はレイカーズにとって実に18年ぶりの悲願であり、ヘッドコーチとしてのビル・シャーマンの評価を別次元のものにした大きな要因となったことは間違いないでしょう!

 

まとめ

今回は、選手とコーチの両方で偉大な記録を打ち立てたレジェンド「ビル・シャーマン」いついてご紹介しました。

いかがでしたか?

 

個人的にはボストン・セルティックスで王朝を築いた選手の1人が、のちにライバル関係にあるロサンゼルス・レイカーズを率いて優勝させているという構図が面白いなと感じました。笑

選手としてもコーチとしても唯一無二の偉大なキャリアを送ったシャーマンは、NBAレジェンドと呼ぶに相応しい人物だと言えるでしょう!

 

他のNBAレジェンドについても、彼らが「レジェンド」として語り継がれる理由を語った記事がありますので、気になるNBAレジェンドがいる方はサイトホームから選手名を検索していただければと思います。

それではまた、次の記事でお会いしましょう!

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