こんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
皆さん、NBA観戦を楽しんでいますか?
NBAは非常に魅力の多いリーグですので楽しみ方はファンの数だけあると思いますが、その一つが”推しチームを応援すること”ですよね!
推しチームが決まっていると、そのチームの成績、所属している選手の成長、ドラフトの順位、トレードの内容などイベントのたびに楽しみが増え、NBA観戦がより楽しいものになること間違いありません!
では推しのチームはどのようにして決めればいいのでしょうか?
その方法はズバリ、チームについてよく知ることです。
チームの歴史や文化、現在所属している選手や過去に所属していた選手などの情報を知れば、きっとあなたにあったチームが見つかるはずです。
そこで今回は、チームの歴史の1つである「永久欠番」についてご紹介していこうと思います。
永久欠番とは、バスケットボールやNBAの歴史において多大な功績を残してきた人物の使用していた背番号を、その人物の功績を称えそのチームにおいてはその人物以外が使用することができないようにしたものです。
永久欠番を知れば、そのチームの最も輝いてた時代を知ることができますよ!
今回ご紹介するチームは”ボストン・セルティクス”です。
もちろん他の29チームについても同様の記事がございますので、ぜひそちらもごらんください!
それではティップオフ!!
目次
- ボストン・セルティクスの永久欠番
- #00 ロバート・パリッシュ(Robert Parish)
- #1 ウォルター・ブラウン(Walter Brown)
- #2 レッド・アワーバック(‘Red’ Auerbach)
- #3 デニス・ジョンソン(Dennis Johnson)
- #5 ケビン・ガーネット(Kevin Garnett)
- #10 ジョ・ジョ・ホワイト(Jo Jo White)
- #14 ボブ・クージー(Bob Cousy)
- #15 トム・ヘインソーン(Tom Heinsohn)
- #16 サッチ・サンダース(Satch Sanders)
- #17 ジョン・ハブリチェック(John Havlicek)
- #18 デイブ・コーウェンス(Dave Cowens)
- #19 ドン・ネルソン(Don Nelson)
- #21 ビル・シャーマン(Bill Sharman)
- #22 エド・マコーレー(Ed Macauley)
- #23 フランク・ラムジー(Frank Ramsey)
- #24 サム・ジョーンズ(Sam Jones)
- #25 K・C・ジョーンズ(K.C. Jones)
- #31 セドリック・マクスウェル(Cedric Maxwell)
- #32 ケビン・マクへイル(Kevin McHale)
- #33 ラリー・バード(Larry Bird)
- #34 ポール・ピアース(Paul Pierce)
- #35 レジー・ルイス(Reggie Lewis)
- 全30チームで永久欠番となった”#6 ビル・ラッセル”
- まとめ
ボストン・セルティクスの永久欠番
それでは早速、ボストン・セルティクスの永久欠番となっている番号とその番号をつけていた人物について見ていきましょう!
ボストン・セルティクスでは23個の背番号を永久欠番としています。
1人ずつ詳しくご紹介していきます!
#00 ロバート・パリッシュ(Robert Parish)
ロバート・パリッシュはラリー・バード、ケビン・マクヘイルらと共に1980年代の黄金期ボストン・セルティクスを築き上げたメンバーであり、セブンフッター(216 cm以上の身長)のセンターとしてゴール下で無類の強さを誇ったスーパースターです。
セルティクスで全盛期とも言える14シーズンを過ごし、元祖BIG3の一角として3度の優勝に大きく貢献しました。
ポジション:センター
在籍期間:1980年〜1994年
式典日:1998年1月18日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 4回(1981年, 1984年, 1986年, 1997年) |
NBAオールスター | 9回(1981年〜1987年, 1990年, 1991年) |
オールNBA | セカンドチーム(1982年) サードチーム(1989年) |
その他 | 特になし |
#1 ウォルター・ブラウン(Walter Brown)
ウォルター・ブラウンはボストン・セルティクスの創設者であり、初代オーナーとなった人物です。
NBAのリーグ創設にも携わっており、NBAの歴史上もっとも重要な人物の1人と言えます。
ボストン・セルティクスはブラウンの没後、彼のバスケットボールのみならずアメリカンスポール全体への多大なる貢献を称え、”始まり”の番号である背番号1を永久欠番としました。
ポジション:ゼネラル・マネージャー、オーナー
在籍期間:1946年〜1964年
式典日:1964年10月17日
#2 レッド・アワーバック(‘Red’ Auerbach)
レッド・アワーバックはボストン・セルティクスにおいてヘッドコーチとして9回、フロントコートに移ってからは7回と合計で16回の優勝を経験した強豪セルティクスの根幹を作り上げた人物です。
ヘッドコーチ時代の選手の育成はもちろん、フロントコートでも人事部門の責任者として選手の獲得に従事し、黒人や白人といった壁を越えて多くのスター選手を発掘しました。
ポジション:ヘッドコーチ、エグゼクティブ
在籍期間:1950年〜2006年
式典日:1985年1月4日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 9回(1957年, 1959年〜1966年, 1968年, 1969年, 1974年, 1976年, 1981年, 1984年, 1986年) |
#3 デニス・ジョンソン(Dennis Johnson)
デニス・ジョンソンは1980年代の黄金期ボストン・セルティクスをディフェンスの面から支えた選手です。
身長のわりに長い手足を生かしたスティールを得意としており、リーグを代表するディフェンシブガードとして9度のオールディフェンシブチーム入りを果たしています。
ラリー・バード、ケビン・マクへイル、ロバート・パリッシュと得点を取ることができる選手が多くいた当時のセルティクスにとって、非常にディフェンス力の高いジョンソンは効果的な組み合わせでした。
ポジション:ポイントガード/シューティングガード
在籍期間:1983年〜1990年
式典日:1991年12月13日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 3回(1979年, 1984年, 1986年) |
NBAファイナルMVP | 1回(1979年) |
オールNBA | ファーストチーム(1981年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×6(1979年〜1983年, 1987年) セカンドチーム×3(1984年〜1986年) |
その他 | 特になし |
#5 ケビン・ガーネット(Kevin Garnett)
ケビン・ガーネットは2008年にNBA優勝を果たしたボストン・セルティクスの”BIG3”の一角であり、ポール・ピアース、レイ・アレンとともに古豪セルティクスの復活に大きく貢献したスーパースターです。
身長211 cmという恵まれた体格をもちながらクイックネスとフットワークを持ち、高い打点からのアウトサイドシュートやポストプレーで毎試合安定して得点を重ねるオールラウンダーとして活躍しました。
そしてガーネットの最大の武器はディフェンスであり、長い手足と俊敏性で1番から5番までの全てをハイレベルで守ることができる選手です。
7度のオールディフェンシブファーストチーム選出は歴代最多タイであり、4シーズン連続のリバウンド王も受賞しています。
ポジション:パワーフォワード/センター
在籍期間:2007年〜2013年
式典日:2022年3月13日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(2008年) |
NBAシーズンMVP | 1回(2004年) |
NBAオールスター | 15回(1997年, 1998年, 2000年〜2011年, 2013年) |
NBAオールスターMVP | 1回(2003年) |
オールNBA | ファーストチーム×4(2000年, 2003年, 2004年, 2008年) セカンドチーム×2(2001年, 2002年) サードチーム×2(1999年, 2007年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×7(2000年〜2005年, 2008年, 2009年, 2011年) セカンドチーム×3(2006年, 2007年, 2012年) |
その他 | 最優秀守備選手賞(2008年) リバウンド王×4(2004年〜2007年) オールルーキーセカンドチーム(1996年) |
#10 ジョ・ジョ・ホワイト(Jo Jo White)
ジョ・ジョ・ホワイトは1970年代に2度目の黄金期を迎えたボストン・セルティクスにおいて中核をになった選手の1人です。
キャリアの大半をボストン・セルティクスで過ごし、その間に2度のNBA優勝と7度のオールスター選出をは対しています。
強豪セルティクスの絶対的司令塔であり、怪我のしにくい体質と無尽蔵の体力でセルティクスの精神的支柱としてチームを支えました。
ポジション:ポイントガード/シューティングガード
在籍期間:1969年〜1979年
式典日:1982年4月9日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 2回(1974年, 1976年) |
NBAファイナルMVP | 1回(1976年) |
NBAオールスター | 7回(1971年〜1977年) |
オールNBA | セカンドチーム×2(1975年, 1977年) |
その他 | 特になし |
#14 ボブ・クージー(Bob Cousy)
ボブ・クージーは1950年代に王朝を築いたボストン・セルティクスにおいて正ポイントガードとして活躍した選手であり、NBAにビハインド・ザ・バックパスやノールックパスなどの技術を持ち込み、後世の選手達に多大な影響を与えた伝説的な選手です。
キャリアのほぼ全てをセルティクスで過ごしたクージーはその13シーズンの中で6度の優勝、13度のオールスター選出、12度のオールNBA選出、8度のアシスト王受賞など輝かしい成績を残しました。
ポジション:ポイントガード
在籍期間:1950年〜1963年
式典日:1963年10月16日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 6回(1957年, 1959年〜1963年) |
NBAファイナルMVP | 1回(1957年) |
NBAオールスター | 13回(1950年〜1963年) |
NBAオールスターMVP | 2回(1954年, 1957年) |
オールNBA | ファーストチーム×10(1952年〜1961年) セカンドチーム×2(1962年, 1963年) |
その他 | アシスト王×8(1953年〜1960年) |
#15 トム・ヘインソーン(Tom Heinsohn)
トム・ヘインソーンは1956年にボストン・セルティクスによってドラフトされ、その後のキャリア9年間全てをセルティクスで過ごしたスター選手の1人です。
選手時代に同期の伝説的選手であるビル・ラッセルと共に8度のNBA制覇を果たしているだけでなく、引退後にはヘッドコーチとして2度の優勝を果たしており、その後もフロントオフィスや解説者などの立ち位置でボストン・セルティクスの17度の優勝全てを見届けているまさに”生き字引”とも呼べる人物でした。(2020年11月9日没)
ポジション:パワーフォワード
在籍期間:1956年〜1965年
式典日:1966年10月15日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 8回(1957年, 1959年〜1965年) |
NBAオールスター | 6回(1957年, 1961年〜1965年) |
オールNBA | セカンドチーム×4(1961年〜1964年) |
その他 | 新人王(1957年) |
#16 サッチ・サンダース(Satch Sanders)
サッチ・サンダースは1960年代のボストン・セルティクスの8度の優勝に大きく貢献した選手の1人です。
ビル・ラッセルやジョン・ハブリチェックといった得点をとれる選手が数多くいや黄金期セルティクスにおいてサンダースは優秀なディフェンダーとして活躍し、打倒セルティクスを掲げ挑んでくるチームのエースとなる選手を止める役割を十分に果たしました。
ポジション:パワーフォワード/スモールフォワード
在籍期間:1960年〜1973年
式典日:1973年1月
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 8回(1961年〜1966年, 1968年, 1969年) |
オールディフェンシブ | セカンドチーム(1969年) |
その他 | 特になし |
#17 ジョン・ハブリチェック(John Havlicek)
ジョン・ハブリチェックは1962年にボストン・セルティクスによってドラフトされ、その後のキャリア全てをセルティクスで過ごしたスーパースターであり、1960年代から1970年代にかけてセルティクスが築いた王朝の後期の中心選手として活躍しました。
1965年のプレーオフ、イースタン・ディビジョン・ファイナルにてフィラデルフィア・76ersとの第7戦でハブリチェックが残した「試合時間残り5秒でのスティール」は、当時の実況を務めたジョニー・モーストの"Havlicek steals it!"の絶叫と共にNBA史に残る名シーンとして語り継がれています。
ポジション:スモールフォワード/シューティングガード
在籍期間:1962年〜1978年
式典日:1978年10月13日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 8回(1963年〜1966年, 1968年, 1969年, 1974年, 1976年) |
NBAファイナルMVP | 1回(1974年) |
NBAオールスター | 13回(1966年〜1978年) |
オールNBA | ファーストチーム×4(1971年〜1974年) セカンドチーム×7(1964年, 1966年, 1968年〜1970年, 1975年, 1976年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×5(1972年〜1976年) セカンドチーム×3(1969年〜1971年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1963年) |
#18 デイブ・コーウェンス(Dave Cowens)
デイブ・コーウェンスは1970年にドラフト4位でボストン・セルティクスに入団し、新人シーズンからチームの中核としてセルティクスの2度の優勝に大きく貢献した選手です。
派手なプレイではないながらも勝利に必要な働きを残し続けた時代を代表するセンターの1人であり、個人としても1度のシーズンMVP受賞、8度のオールスター選出、3度のオールNBA選出、3度のオールディフェンシブチーム選出を果たしています。
ポジション:センター
在籍期間:1970年〜1980年
式典日:1981年2月8日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 2回(1974年, 1976年) |
NBAファイナルMVP | 1回(1973年) |
NBAオールスター | 8回(1972年〜1978年, 1980年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1973年) |
オールNBA | セカンドチーム×3(1973年, 1975年, 1976年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム(1976年) セカンドチーム×2(1975年, 1980年) |
その他 | 新人王(1971年) オールルーキーファーストチーム(1971年) |
#19 ドン・ネルソン(Don Nelson)
ドン・ネルソンは1960年代後半kら1970年代前半にかけてボストン・セルティクスの強豪への復活を支えた選手の1人であり、セルティクスでプレイした11シーズンの間に5度の優勝を果たしています。
引退後はヘッドコーチとして多くのチームを歴任し、2012年にはバスケットボール殿堂入りを果たしています。
ポジション:スモールフォワード
在籍期間:1965年〜1976年
式典日:1978年
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 5回(1966年, 1968年, 1969年, 1974年, 1976年) |
その他 | 特になし |
#21 ビル・シャーマン(Bill Sharman)
ビル・シャーマンは1950年代のボストン・セルティクスの王朝を支えた選手の1人であり、セルティクスで過ごした10シーズンの間に4度の優勝に貢献しました。
非常に高いシュート効率でアウトサイドから得点するシューティングガードであり、個人としても8度のオールスター選出や7度のオールNBA選出を果たしました。
ポジション:シューティングガード
在籍期間:1951年〜1961年
式典日:1966年10月15日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 4回(1957年, 1959年〜1961年) |
NBAオールスター | 8回(1953年〜1960年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1955年) |
オールNBA | ファーストチーム×4(1956年〜1959年) セカンドチーム×3(1953年, 1955年, 1960年) |
その他 | 特になし |
#22 エド・マコーレー(Ed Macauley)
エド・マーコレーは1950年代前半のボストン・セルティクスを支えたエースセンターであり、当時のNBAを代表するビッグマンの1人です。
身長は203 cmとセンターとしては非常に小柄ながらも高い運動神経とレイアップ、フックシュートなどのシュート技術を武器に当時の巨大なセンター達と対等以上に渡り合いました。
1951年に新設されたオールスターにおいて初代オールスターMVPを受賞するという唯一無二の経歴を持っています。
ポジション:センター
在籍期間:1950年〜1956年
式典日:1963年10月16日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1958年) |
NBAオールスター | 7回(1951年〜1957年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1951年) |
オールNBA | ファーストチーム×3(1951年〜1953年) セカンドチーム(1954年) |
その他 | 特になし |
#23 フランク・ラムジー(Frank Ramsey)
フランク・ラムジーは1953年にボストン・セルティクスからドラフト5位で指名を受けると、王朝時代を築いたセルティクスの主力選手の1人として活躍した選手です。
主にベンチからの得点源として出場する”シックスマン”の原型を築いた人物であり、ボストン・セルティクスの8連覇において大きく貢献しました。
ポジション:シューティングガード
在籍期間:1954年〜1964年
式典日:1964年
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 7回(1957年, 1959年〜1964年) |
その他 | 特になし |
#24 サム・ジョーンズ(Sam Jones)
サム・ジョーンズはボストン・セルティクスの8連覇を含む10度の優勝に大きく貢献した選手であり、時代を代表するシューティングガードの1人です。
ビル・ラッセルの横で長年セルティクスを支えており、特に得点面では高い効率と勝負強さで数々のシーンで勝負を決定づけるシュートを決めました。
ポジション:シューティングガード
在籍期間:1957年〜1969年
式典日:1969年3月9日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 10回(1959年〜1966年, 1968年, 1969年) |
NBAオールスター | 5回(1962年, 1964年〜1966年, 1968年) |
NBAオールスターMVP | 3回(1965年〜1967年) |
その他 | 特になし |
#25 K・C・ジョーンズ(K.C. Jones)
K・C・ジョーンズは1960年代にビル・ラッセルと共に王朝を築き、8連覇を成し遂げた際のスタメンポイントガードとして活躍した選手です。
バックコートでコンビを組んでいたサム・ジョーンズがオフェンスに秀でた選手であったため、ディフェンスでエースストッパーとなれるK・C・ジョーンズとの相性は大変よく、彼の引退と同時にセルティクスの8連覇が途絶えたことからも非常に重要な存在だったことがわかります。
また、引退後はコーチ業に専念し、1980年代にはヘッドコーチとしてセルティクスを率い、2度の優勝を果たしています。
ポジション:ポイントガード
在籍期間:1958年〜1967年
式典日:1967年2月12日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 8回(1959年〜1966年) |
その他 | 特になし |
#31 セドリック・マクスウェル(Cedric Maxwell)
セドリック・マクスウェルは1977年にドラフト12位で指名を受けてNBA入りを果たすと、その後の8シーズンをボストン・セルティクスで過ごした選手です。
マクスウェルはゴール下における得点力が非常に高く接戦にも強い選手であり、1981年のプレーオフにはクラッチショットを決めてチームに優勝をもたらした功績からファイナルMVPを受賞しています。
ポジション:スモールフォワード
在籍期間:1977年〜1985年
式典日:2003年12月15日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 2回(1981年, 1984年) |
NBAファイナルMVP | 1回(1981年) |
その他 | 特になし |
#32 ケビン・マクへイル(Kevin McHale)
ケビン・マクヘイルはラリー・バード、ロバート・パリッシュらと共にボストン・セルティクスの元祖BIG3を形成し、1980年代のセルティクスに黄金期をもたらしたスーパースターです。
ゴール下での巧みなシュート技術と長い手足による強固なディフェンスが大きな武器であり、キャリア初期はシックスマン、全盛期を迎えて以降はスタメンとしてセルティクスの4度の優勝に大きく貢献しました。
ポジション:パワーフォワード
在籍期間:1980年〜1993年
式典日:1994年1月30日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 3回(1981年, 1984年, 1986年) |
NBAオールスター | 7回(1984年, 1986年〜1991年) |
オールNBA | ファーストチーム(1987年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×3(1986年〜1988年) セカンドチーム×3(1983年, 1989年, 1990年) |
その他 | シックスマン賞×2 (1984年, 1985年) オールルーキーファーストチーム(1981年) |
#33 ラリー・バード(Larry Bird)
ラリー・バードはしばしば「ラリー・”レジェンド”・バード」の愛称で呼ばれるこなともある、まさにNBAの伝説的な選手の1人です。
NBAを世界的なリーグに変えた最初の立役者であり、ケビン・マクへイル、ロバート・パリッシュらとともに強力なフロントコートを構築し、1980年代のボストン・セルティクスに黄金期をもたらしました。
身長は206 cmと申し分なかったものの身体能力は高くなく、NBA入り前は活躍を不安視する声もありましたが、それを補って余りある闘争心とバスケIQ、さらに正確無比なアウトサイドシュートを武器にNBA史上最高のスモールフォワードの一人となるまでに至りました。
キャリアのすべてをボストン・セルティクスで過ごし、その間に4度のNBA優勝、12度のオールスター選出、そして特筆すべきは3年連続となるシーズンMVP受賞を果たした史上唯一のスモールフォワードです。
ポジション:スモールフォワード/パワーフォワード
在籍期間:1979年〜1992年
式典日:1993年2月4日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 3回(1981年, 1984年, 1986年) |
NBAファイナルMVP | 2回(1984年, 1986年) |
NBAシーズンMVP | 3回(1984年〜1986年) |
NBAオールスター | 12回(1980年〜1988年, 1990年〜1992年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1982年) |
オールNBA | ファーストチーム×9(1980年〜1988年) セカンドチーム(1990年) |
オールディフェンシブ | セカンドチーム×3(1982年〜1984年) |
その他 | スリーポイントコンテスト優勝×3(1986年〜1988年) 新人王(1980年) オールルーキーファーストチーム(1980年) |
#34 ポール・ピアース(Paul Pierce)
ポール・ピアースは2008年にボストン・セルティクスに優勝をもたらした”BIC3”の中で、唯一セルティクスの生え抜きとしてチームの中核を担ったスーパースターです。
非常に熱い闘志と高い得点能力を有し、2008年のNBAファイナルでは第1戦に右膝を捻挫したもののコートに立ち続け、ロサンゼルス・レイカーズとの伝統的な一戦を制して見事ファイナルMVPを受賞しました。
ポジション:スモールフォワード/シューティングガード
在籍期間:1998年〜2013年
式典日:2018年2月11日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(2008年) |
NBAファイナルMVP | 1回(2008年) |
NBAオールスター | 10回(2002年〜2006年, 2008年〜2012年) |
オールNBA | セカンドチーム(2009年) サードチーム×3(2002年, 2003年, 2008年) |
その他 | スリーポイントコンテスト優勝(2010年) オールルーキーファーストチーム(1999年) |
#35 レジー・ルイス(Reggie Lewis)
レジー・ルイスは1987年にドラフト22位でボストン・セルティクスに入団すると着々と実力をつけ1991年にはオールスター入りを果たした選手です。
しかし、1993年4月9日に突然コートに倒れ、同年の7月27日に肥大型心筋症により27歳という若さで亡くなりました。
人気絶頂にして亡くなったルイスに敬意を表し、セルティクスは追悼の意を込めて彼の背番号である35番を永久欠番としました。
ポジション:シューティングガード
在籍期間:1987年〜1993年
式典日:1995年3月22日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 1回(1992年) |
その他 | 特になし |
全30チームで永久欠番となった”#6 ビル・ラッセル”
NBAで前人未到の11度の優勝を果たした”ビル・ラッセル”はバスケットボールのみならずアメリカ史上最も偉大なアスリートの1人です。
ビル・ラッセル以前のNBAおよびアメリカのスポーツ界は白人中心の文化が根強く、黒人選手は迫害されていました。
しかし、ビル・ラッセルはその圧倒的な実力と実績を持ってファンを熱狂させ、NBA史上初の黒人のNBAスター選手となることで、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させました。
また、現役中にも関わらずボストン・セルティクスにて選手権ヘッドコーチに就任し、アメリカ4大メジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチとなりました。
彼の選手として、および公民権運動家としての功績を称え、2009年にファイナルMVPの正式名称を”ビル・ラッセル・NBAファイナルMVP”に変更されています。
また、2022年8月11日には同年7月31日に死去した彼に敬意を表し、背番号#6が30チーム全てで永久欠番になることが発表されました。
まとめ
今回は「ボストン・セルティクスの永久欠番」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
最初にもご紹介しましたが、他の29チームについても同様の記事がございますでぜひそちらの記事もご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!