こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は2003-04シーズンを制したデトロイト・ピストンズ(DET)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
デトロイト・ピストンズは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
デトロイト・ピストンズは2003年のNBAドラフトにて3名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
1 | 2 | ダーコ・ミリチッチ | パワーフォワード | セルビア・モンテネグロ | - | ヘモファーム・ヴルシャツ(ABAリーグ /セルビア・モンテネグロ) |
1 | 25 | カルロス・デルフィーノ | シューティングガード | アルゼンチン | - | Fortitudo Bologna(セリエA /イタリア) |
2 | 58 | アンドレアス・グリニアダキス | センター | ギリシャ | ギリシャ大学 | - |
2003年ドラフトでデトロイト・ピストンズが持っていた自前の指名権は3枚。
デトロイト・ピストンズは、まず1巡目2位という好順位でダーコ・ミリチッチを指名しました。
2003年NBAドラフトはレブロン・ジェームズをはじめカーメロ・アンソニー、クリス・ボッシュ、ドウェイン・ウェイドといった後に殿堂入りを果たす選手が大勢指名されているため、この2位指名はしばしば史上最悪のドラフト指名の1つに数えられていますよ。
ダーコ・ミリチッチはデトロイト・ピストンズで3シーズンを過ごしますが、層の厚いチーム内で出場機会はほとんどなく、2005年にはオーランド・マジックへと移籍することとなりました。
さらにもう一枚、デトロイト・ピストンズは1巡目25位でカルロス・デルフィーノを指名しています。
これにより、カルロス・デルフィーノはアルゼンチン出身の選手としては初の1巡目指名を受けた選手となりました。
カルロス・デルフィーノはそのままデトロイト・ピストンズでNBAデビューを果たしています。
最後に、デトロイト・ピストンズは2巡目58位でアンドレアス・グリニアダキスを指名。
しかし、アンドレアス・グリニアダキスはデトロイト・ピストンズとの契約を結ぶことはできず、ギリシャリーグのAEKアテネと契約を結びました。
2003年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
NBAファイナルまでの道のり:2003-04 デトロイト・ピストンズのレギュラーシーズン試合結果
それではいよいよ、2003-04レギュラーシーズンがデトロイト・ピストンズにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
まずはオフシーズンの動きを簡単にご紹介します。
【オフシーズンの動き】
2000年にジョー・デュマーズがゼネラル・マネージャーに就任してからというもの、ベン・ウォーレスやチャンシー・ビラップス、リチャード・ハミルトンといったピースが揃い始め、強豪の一角へと成り上がりつつあったピストンズ。
2003-04シーズンのオフには名将ラリー・ブラウンをヘッドコーチに据え、「チーム・バスケット」の信念のもと優勝を目指しレギュラーシーズンに臨みました。
ディビジョン
次にレギュラーシーズンの試合結果を見ていきましょう!
まずはディビジョンでの成績です。
ディビジョンとは本拠地をおく都市が近いチーム同士をNBAが独自に振り分けたグループのことで、デトロイト・ピストンズはセントラル・ディビジョンに属します。
2003-04レギュラーシーズンではデトロイト・ピストンズはセントラル・ディビジョンで2位の成績を残しました。
【2003-04レギュラーシーズン セントラル・ディビジョンの結果】
セントラル・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
インディアナ・ペイサーズ | 61 | 21 | 0.744 | – | 34–7 | 27–14 | 20–8 | 82 |
デトロイト・ピストンズ | 54 | 28 | 0.659 | 7 | 31–10 | 23–18 | 17–11 | 82 |
ニューオーリンズ・ホーネッツ | 41 | 41 | 0.500 | 20 | 25–16 | 16–25 | 14–14 | 82 |
ミルウォーキー・バックス | 41 | 41 | 0.500 | 20 | 27–14 | 14–27 | 15–13 | 82 |
クリーブランド・キャバリアーズ | 35 | 47 | 0.427 | 26 | 23–18 | 12–29 | 14–14 | 82 |
トロント・ラプターズ | 33 | 49 | 0.402 | 28 | 18–23 | 15–26 | 11–17 | 82 |
アトランタ・ホークス | 28 | 54 | 0.341 | 33 | 18–23 | 10–31 | 10–18 | 82 |
シカゴ・ブルズ | 23 | 59 | 0.280 | 38 | 14–27 | 9–32 | 11–17 | 82 |
カンファレンス
次に見ていくのはカンファレンスでの試合結果です。
カンファレンスとはNBAが独自にチームを東西に分類した区分けのことで、デトロイト・ピストンズはイースタン・カンファレンスに所属しています。
シーズンが開幕するとNBAトップクラスのディフェンス力を武器に快進撃を続け、優勝の見込みがあると感じたフロントはシーズン途中にトレードでラシード・ウォレスを獲得。
選手層に厚みを増したチームは優勝へと勝利を積み重ね、最終的には54勝28敗のイースタン・カンファレンス2位の勝率でプレイオフに進出しました。
【2003-04レギュラーシーズン イースタン・カンファレンスの結果】
イースタン・カンファレンス | ||||||
# | チーム | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | GP |
1 | インディアナ・ペイサーズ | 61 | 21 | 0.744 | – | 82 |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | ニュージャージー・ネッツ | 47 | 35 | 0.573 | 14 | 82 |
3 | デトロイト・ピストンズ | 54 | 28 | 0.659 | 7 | 82 |
4 | マイアミ・ヒート | 42 | 40 | 0.512 | 19 | 82 |
5 | ニューオーリンズ・ホーネッツ | 41 | 41 | 0.500 | 20 | 82 |
6 | ミルウォーキー・バックス | 41 | 41 | 0.500 | 20 | 82 |
7 | ニューヨーク・ニックス | 39 | 43 | 0.476 | 22 | 82 |
8 | ボストン・セルティクス | 36 | 46 | 0.439 | 25 | 82 |
9 | クリーブランド・キャバリアーズ | 35 | 47 | 0.427 | 26 | 82 |
10 | トロント・ラプターズ | 33 | 49 | 0.402 | 28 | 82 |
11 | フィラデルフィア・76ers | 33 | 49 | 0.402 | 28 | 82 |
12 | アトランタ・ホークス | 28 | 54 | 0.341 | 33 | 82 |
13 | ワシントン・ウィザーズ | 25 | 57 | 0.305 | 36 | 82 |
14 | シカゴ・ブルズ | 23 | 59 | 0.280 | 38 | 82 |
15 | オーランド・マジック | 21 | 61 | 0.256 | 40 | 82 |
NBAファイナルまでの道のり:2003-04 デトロイト・ピストンズのプレイオフ試合結果
次にデトロイト・ピストンズが2003-04プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【2003-04プレイオフの背景】
2003-04シーズンのプレイオフは年4月17日に開始し、6月15日に終了しました。
ファーストラウンド(1回戦)対ミルウォーキー・バックス:4勝1敗
プレイオフのファーストラウンド(1回戦)はマイケル・レッドやジョー・スミスらのミルウォーキー・バックスと対戦し、4勝1敗で危なげなく破りカンファレンス・セミファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 2004年4月18日 | ミルウォーキー・バックス | 82-108 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第2戦 | 2004年4月21日 | ミルウォーキー・バックス | 92-88 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第3戦 | 2004年4月24日 | デトロイト・ピストンズ | 95-85 | ミルウォーキー・バックス | ブラッドリー・センター | |
第4戦 | 2004年4月26日 | デトロイト・ピストンズ | 109-92 | ミルウォーキー・バックス | ブラッドリー・センター | |
第5戦 | 2004年4月29日 | ミルウォーキー・バックス | 77-91 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ |
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)対ニュージャージー・ネッツ:4勝3敗
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)ではリチャード・ジェファーソンやジェイソン・キッドらのニュージャージー・ネッツと対戦し、4勝3敗と接戦を制してカンファレンス・ファイナルに駒を進めました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 2004年5月3日 | ニュージャージー・ネッツ | 56-78 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第2戦 | 2004年5月7日 | ニュージャージー・ネッツ | 80-95 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第3戦 | 2004年5月9日 | デトロイト・ピストンズ | 64-82 | ニュージャージー・ネッツ | コンチネンタルエアラインズ・アリーナ | |
第4戦 | 2004年5月11日 | デトロイト・ピストンズ | 79-94 | ニュージャージー・ネッツ | コンチネンタルエアラインズ・アリーナ | |
第5戦 | 2004年5月14日 | ニュージャージー・ネッツ | 127-120 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第6戦 | 2004年5月16日 | デトロイト・ピストンズ | 81-75 | ニュージャージー・ネッツ | コンチネンタルエアラインズ・アリーナ | |
第7戦 | 2004年5月20日 | ニュージャージー・ネッツ | 69-90 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ |
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対インディアナ・ペイサーズ:4勝2敗
カンファレンス・ファイナルではジャーメイン・オニールやメッタ・ワールドピースらのインディアナ・ペイサーズとの対戦となり、これを4勝2敗で制してNBAファイナルへの切符をつかみました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 2004年5月22日 | デトロイト・ピストンズ | 74-78 | インディアナ・ペイサーズ | コンセコ・フィールドハウス | |
第2戦 | 2004年5月24日 | デトロイト・ピストンズ | 72-67 | インディアナ・ペイサーズ | コンセコ・フィールドハウス | |
第3戦 | 2004年5月26日 | インディアナ・ペイサーズ | 78-85 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第4戦 | 2004年5月28日 | インディアナ・ペイサーズ | 83-68 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ | |
第5戦 | 2004年5月30日 | デトロイト・ピストンズ | 83-65 | インディアナ・ペイサーズ | コンセコ・フィールドハウス | |
第6戦 | 2004年6月1日 | インディアナ・ペイサーズ | 65-69 | デトロイト・ピストンズ | ザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズ |
NBAファイナル 対ロサンゼルス・レイカーズ:4勝3敗
こうして迎えた2003-04シーズンのNBAファイナルは、デトロイト・ピストンズと西地区王者のロサンゼルス・レイカーズとの対戦となりました。
2003-04シーズンのロサンゼルス・レイカーズは3連覇を果たしたコービー・ブライアントとシャキール・オニールという歴史上最強のデュオの1つを中心に、カール・マローンやゲイリー・ペイトンらを加えた、その名の通り「史上最強のチーム」として君臨していました。
しかし結果としては、デトロイト・ピストンズがロサンゼルス・レイカーズを4勝3敗で破り、14年ぶり3回目の優勝を果たしました。
詳細な試合結果は以下のとおりです。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム |
---|---|---|---|---|
1 | 6月6日 | デトロイト・ピストンズ | 87-75 | ロサンゼルス・レイカーズ |
2 | 6月8日 | デトロイト・ピストンズ | 91-99 | ロサンゼルス・レイカーズ |
3 | 6月10日 | ロサンゼルス・レイカーズ | 68-88 | デトロイト・ピストンズ |
4 | 6月13日 | ロサンゼルス・レイカーズ | 80-88 | デトロイト・ピストンズ |
5 | 6月15日 | ロサンゼルス・レイカーズ | 87-100 | デトロイト・ピストンズ |
ファイナルMVPは「チャウンシー・ビラップス」。
デトロイトに優勝をもたらした英雄は、自身初となるファイナルNVPを獲得しました。
2004年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:ロールプレイヤーチームの下剋上優勝!
今回は「2004年のNBAファイナルで優勝を果たした”デトロイト・ピストンズ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝によりデトロイト・ピストンズが14年ぶり3回目となるNBA制覇を果たしました。
また、チームの中心選手であるチャンシー・ビラップスは自身初となるファイナルMVPを受賞しました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!