こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1947-48シーズンを制したボルティモア・ブレッツの優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
ボルティモア・ブレッツは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
ボルティモア・ブレッツは1947年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBA(BAA)ファイナルまでの道のり:1947-48 ボルティモア・ブレッツのレギュラーシーズン
まずは1947-48レギュラーシーズンがボルティモア・ブレッツにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
1944年に他リーグABLにて創設され、1946年にはリーグ優勝。
今シーズンよりNBAの前身であるBAAに移籍を果たしたものの正式なヘッドコーチがおらず、バディ・ジャネットが選手とヘットコーチを兼任する形でBBAの最初のシーズンに挑みました。
【レギュラーシーズンの結果】
昨シーズンABLを制覇した実力は伊達ではなく、BAA最初のシーズンから28勝20敗と勝ち越し、ウエスタン・ディビジョン2位タイの成績でプレイオフに進出しました。
【1947-48レギュラーシーズン ウエスタン・ディビジョンの結果】
ウエスタン・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | GP |
セントルイス・ボンバーズ | 29 | 19 | 0.604 | – | 48 |
ボルティモア・ブレッツ | 28 | 20 | 0.583 | 1 | 48 |
シカゴ・スタッグス | 28 | 20 | 0.583 | 1 | 48 |
ワシントン・キャピトルズ | 28 | 20 | 0.583 | 1 | 48 |
NBA(BAA)ファイナルまでの道のり:1947-48 ボルティモア・ブレッツのプレイオフ
次にボルティモア・ブレッツが1947-48プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1947-48プレイオフの背景】
この年はウエスタン・ディビジョンが非常に混戦であり、28勝20敗の2位タイで3チームが並んだため、タイブレークが行われました。
タイブレークの結果、ボルティモア・ブレッツはシカゴ・スタッグスを破り、プレイオフへと駒を進めました。
いよいよ始まった1947-48シーズンのプレイオフは1948年3月27日に開始し、4月21日に終了しました。
ウエスタンディビジョン・クォーターファイナル 対ニューヨーク・ニックス:2勝1敗
ウエスタンディビジョン・クォーターファイナルではバッド・パルマーやリー・ノレクらのニューヨーク・ニックスと対戦し、これを2勝1敗で何とか制してウエスタンディビジョン・ファイナルに駒を進めました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1948年3月27日 | ニューヨーク・ニックス | 81-85 | ボルティモア・ブレッツ | ボルティモア・コロシアム | |
第2戦 | 1948年3月28日 | ボルティモア・ブレッツ | 69-79 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第3戦 | 1948年4月1日 | ニューヨーク・ニックス | 77-84 | ボルティモア・ブレッツ | ボルティモア・コロシアム |
ウエスタンディビジョン・ファイナル(西地区決勝)対シカゴ・スタッグス:2勝0敗
ウエスタンディビジョン・ファイナルでは カンファレンス内でも争ったシカゴ・スタッグスとの再戦となり、これを2勝0敗で制してNBAファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1948年4月7日 | ボルティモア・ブレッツ | 73-67 | シカゴ・スタッグス | シカゴ・スタジアム | |
第2戦 | 1948年4月8日 | シカゴ・スタッグス | 72-89 | ボルティモア・ブレッツ | ボルティモア・コロシアム |
こうして迎えた1948年のNBA(BAA)ファイナルでは、ボルティモア・ブレッツがジョー・ファルクス率いるフィラデルフィア・ウォリアーズを4勝2敗で倒し、NBA(BAA)優勝を果たしました。
1948年のNBA(BAA)ファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:
今回は「1948年のNBA(BAA)ファイナルで優勝を果たした”ボルティモア・ブレッツ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝はボルティモア・ブレッツにとってフランチャイズ史上初となるNBA(BAA)制覇となりました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!