こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1950-51シーズンを制したロチェスター・ロイヤルズ(SAC)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
ロチェスター・ロイヤルズは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
ロチェスター・ロイヤルズは1950年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1950-51 ロチェスター・ロイヤルズのレギュラーシーズン
まずは1950-51レギュラーシーズンがロチェスター・ロイヤルズにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
1946年に他リーグNBLに所属するチームであるロチェスター・ロイヤルズとして誕生し、1948年にはNBA入りを果たしました。
アーニー・ライゼンやボブ・デイヴィスらを主力としたロイヤルズはウエスタン・カンファレンス王者のミネアポリス・レイカーズに唯一対抗しうるライバルであったものの、なかなかレイカーズの壁をやぶることができていませんでした。
今シーズンはフランチャイズ史上初の優勝を勝ち取るべく、レギュラーシーズンに臨みました。
【レギュラーシーズンの結果】
例年通りウエストの強豪として勝利を重ねたロチェスター・ロイヤルズは、最終的に41勝27敗でミネアポリス・レイカーズに次ぐリーグ2位の成績でプレイオフに進出しました。
ロチェスター・ロイヤルズはウエスタン・ディビジョンで2位を獲得しました。
【1950-51レギュラーシーズン ウエスタン・ディビジョンの結果】
ウエスタン・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
ミネアポリス・レイカーズ | 44 | 24 | .647 | – | 29–3 | 12–21 | 24–12 | 68 |
ロチェスター・ロイヤルズ | 41 | 27 | .603 | 3 | 29–5 | 12–22 | 18–15 | 68 |
フォートウェイン・ピストンズ | 32 | 36 | .471 | 12 | 27–7 | 5–27 | 18–6 | 68 |
インディアナポリス・オリンピアコス | 31 | 37 | .456 | 13 | 19–12 | 10–24 | 15–20 | 68 |
トライシティーズ・ブラックホークス | 25 | 43 | .368 | 19 | 22–13 | 2–28 | 12–24 | 68 |
NBAファイナルまでの道のり:1950-51 ロチェスター・ロイヤルズのプレイオフ
次にロチェスター・ロイヤルズが1950-51プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1950-51プレイオフの背景】
1950-1951シーズンのプレイオフは1951年3月20日に開始し、4月21日に終了しました。
ディビジョン・セミファイナル(西地区準決勝)対フォートウェイン・ピストンズ:2勝1敗
ディビジョン・セミファイナル(西地区準決勝)ではフレッド・シャウスやラリー・ファウスト擁するフォートウェイン・ピストンズと対戦し、2勝1敗で破ってディビジョン・ファイナルに進みました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1951年3月20日 | フォートウェイン・ピストンズ | 81-110 | ロチェスター・ロイヤルズ | エジャートン・パーク・アリーナ | |
第2戦 | 1951年3月21日 | ロチェスター・ロイヤルズ | 78-83 | フォートウェイン・ピストンズ | ノースサイドハイスクール・ジム | |
第3戦 | 1951年3月24日 | フォートウェイン・ピストンズ | 78-97 | ロチェスター・ロイヤルズ | エジャートン・パーク・アリーナ |
ディビジョン・ファイナル(西地区決勝)対ミネアポリス・レイカーズ:3勝1敗
ディビジョン・ファイナルではジョージ・マイカン擁するミネアポリス・レイカーズとの対戦となり、これを3勝1敗で制してNBAファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1951年3月29日 | ロチェスター・ロイヤルズ | 73-76 | ミネアポリス・レイカーズ | ミネアポリス・アーモリー | |
第2戦 | 1951年3月31日 | ロチェスター・ロイヤルズ | 70-66 | ミネアポリス・レイカーズ | ミネアポリス・アーモリー | |
第3戦 | 1951年4月1日 | ミネアポリス・レイカーズ | 70-83 | ロチェスター・ロイヤルズ | エジャートン・パーク・アリーナ | |
第4戦 | 1951年4月3日 | ミネアポリス・レイカーズ | 75-80 | ロチェスター・ロイヤルズ | エジャートン・パーク・アリーナ |
こうして迎えた1951年のNBAファイナルでは、ロチェスター・ロイヤルズがジョージ・マグワイアやマックス・ザスロフスキーらのニューヨーク・ニックスを4勝3敗で破り、NBA優勝を果たしました。
1951年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:ロチェスター・ロイヤルズが初のNBA優勝
今回は「1951年のNBAファイナルで優勝を果たした”ロチェスター・ロイヤルズ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝はロチェスター・ロイヤルズにとってフランチャイズ史上初のNBA制覇となりました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!