こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1968-69シーズンを制したボストン・セルティックス(BOS)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
ボストン・セルティックスは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
ボストン・セルティックスは1968年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1968-69 ボストン・セルティクスのレギュラーシーズン
まずは1968-69レギュラーシーズンがボストン・セルティクスにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
1966年にヘッドコーチを務めていたレッド・アワーバックが退任を表明し、その後はビル・ラッセルがヘッドコーチと選手を兼任するも1967年には連覇が一度途絶えます。
しかし昨シーズンの1968年には再び王者に返り咲き、ディフェンディングチャンピオンとしてレギュラーシーズンに臨みました。
また、過去12年間で10度の優勝をセルティクスにもたらしたビル・ラッセルは今シーズンをもって引退を表明していました。
【レギュラーシーズンの結果】
ビル・ラッセルの年齢的な衰えもあってレギュラーシーズンは苦戦を強いられ、最終的には48勝34敗のイースタン・ディビジョン4位の成績を記録。
セルティクスの英雄のキャリアに優秀の美を飾るべく、なんとかプレイオフに進出を果たしました。
ボストン・セルティクスはイースタン・ディビジョンで4位を獲得しました。
【1968-69レギュラーシーズン イースタン・ディビジョンの結果】
イースタン・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
ボルティモア・ブレッツ | 57 | 25 | 0.695 | – | 29–9 | 24–15 | 26–14 | 82 |
フィラデルフィア・76ers | 55 | 27 | 0.671 | 2 | 26–8 | 24–16 | 23–17 | 82 |
ニューヨーク・ニックス | 54 | 28 | 0.659 | 3 | 30–7 | 19–20 | 26–14 | 82 |
ボストン・セルティクス | 48 | 34 | 0.585 | 9 | 24–12 | 21–19 | 23–17 | 82 |
シンシナティ・ロイヤルズ | 41 | 41 | 0.500 | 16 | 15-13 | 16–21 | 20–20 | 82 |
デトロイト・ピストンズ | 32 | 50 | 0.390 | 25 | 21–17 | 7–30 | 13–27 | 82 |
ミルウォーキー・バックス | 27 | 55 | 0.329 | 30 | 15–19 | 8–27 | 7–29 | 82 |
NBAファイナルまでの道のり:1968-69 ボストン・セルティクスのプレイオフ
次にボストン・セルティクスが1968-69プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1968-69プレイオフの背景】
1968-1969シーズンのプレイオフは1969年3月26日に開始し、5月5日に終了しました。
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)対フィラデルフィア・76ers:4勝1敗
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)ではビリー・カニングハム率いるフィラデルフィア・76ersと対戦し、4勝2敗で勝利してカンファレンス・ファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1969年3月26日 | ボストン・セルティクス | 114-100 | フィラデルフィア・76ers | ザ・スペクトラム | |
第2戦 | 1969年3月28日 | フィラデルフィア・76ers | 103-134 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第3戦 | 1969年3月30日 | ボストン・セルティクス | 125-118 | フィラデルフィア・76ers | ザ・スペクトラム | |
第4戦 | 1969年4月1日 | フィラデルフィア・76ers | 119-116 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第5戦 | 1969年4月4日 | ボストン・セルティクス | 93-90 | フィラデルフィア・76ers | ザ・スペクトラム |
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対にゅヨーク・ニックス:4勝2敗
カンファレンス・ファイナルではウィリス・リードとウォルト・フレイジャー擁するニューヨーク・ニックスとの対戦となり、これを4勝2敗で制してNBAファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1969年4月6日 | ボストン・セルティクス | 108-100 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第2戦 | 1969年4月9日 | ニューヨーク・ニックス | 97-112 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第3戦 | 1969年4月10日 | ボストン・セルティクス | 91-101 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第4戦 | 1969年4月13日 | ニューヨーク・ニックス | 96-97 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第5戦 | 1969年4月14日 | ボストン・セルティクス | 104-112 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第6戦 | 1969年4月18日 | ニューヨーク・ニックス | 105-106 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン |
こうして迎えた1969年のNBAファイナルでは、ボストン・セルティクスがエルジン・ベイラーやジェリー・ウエストらのロサンゼルス・レイカーズを4勝3敗で破りNBA優勝を果たしました。
1969年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:ボストン・セルティクスが連覇
今回は「1969年のNBAファイナルで優勝を果たした”ボストン・セルティクス”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝はボストン・セルティクスにとって2年連続11回目のNBA制覇となりました。
また、今年から始まった表彰であるファイナルMVPは優勝したセルティクスからではなく、レイカーズからジェリー・ウエストが選出されました。
優勝しなかったチームからファイナルMVPが選出されたのはジェリー・ウエストが最初で最後となります。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!