こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1973-74シーズンを制したボストン・セルティックス(BOS)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
ボストン・セルティックスは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
ボストン・セルティックスは1973年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1973-74 ボストン・セルティクスのレギュラーシーズン
まずは1973-74レギュラーシーズンがボストン・セルティクスにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
1969年にビル・ラッセル引退後、一時優勝から遠のいていたボストン・セルティクスでしたが、ジョン・ハブリチェックやデイブ・コーウェンス、ジョジョ・ホワイトといった往年の名選手たちが奮起し、再び強豪に舞いつつありました。
ラッセル引退後最初の優勝を目指し、レギュラーシーズンに臨みます。
【レギュラーシーズンの結果】
中心選手たちの活躍により順調に勝ち星を上げたボストン・セルティクスは56勝26敗というリーグ2位の好成績でレギュラーシーズンを走り切り、プレイオフに進出しました。
ボストン・セルティクスはアトランティック・ディビジョンで1位を獲得しました。
【1973-74レギュラーシーズン アトランティック・ディビジョンの結果】
アトランティック・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
ボストン・セルティクス | 56 | 26 | 0.683 | – | 26–6 | 21–18 | 17–5 | 82 |
ニューヨーク・ニックス | 49 | 33 | 0.598 | 7 | 28–13 | 21–19 | 10–12 | 82 |
バッファロー・ブレーブス | 42 | 40 | 0.512 | 14 | 19–13 | 17–21 | 12–10 | 82 |
フィラデルフィア・76ers | 25 | 57 | 0.305 | 31 | 14–23 | 9–30 | 5–17 | 82 |
ボストン・セルティクスはイースタン・カンファレンスで1位を受賞し、プレイオフに進出しました。
【1973-74レギュラーシーズン イースタン・カンファレンスの結果】
イースタン・カンファレンス | ||||||
# | チーム | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | GP |
1 | ボストン・セルティクス | 56 | 26 | .683 | – | 82 |
---|---|---|---|---|---|---|
2 | ニューヨーク・ニックス | 49 | 33 | .598 | 7 | 82 |
3 | キャピタル・ブレッツ | 47 | 35 | .573 | 9 | 82 |
4 | バファロー・ブレーブス | 42 | 40 | .512 | 14 | 82 |
5 | アトランタ・ホークス | 35 | 47 | .427 | 21 | 82 |
6 | ヒューストン・ロケッツ | 32 | 50 | .390 | 24 | 82 |
7 | クリーブランド・キャバリアーズ | 29 | 53 | .354 | 27 | 82 |
8 | フィラデルフィア・76ers | 25 | 57 | .305 | 31 | 82 |
NBAファイナルまでの道のり:1973-74 ボストン・セルティクスのプレイオフ
次にボストン・セルティクスが1973-74プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1973-74プレイオフの背景】
1973-1974シーズンのプレイオフは1974年3月29日に開始し、5月12日に終了しました。
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)対バッファロー・ブレーブス:4勝2敗
カンファレンス・セミファイナル(東地区準決勝)ではボブ・マカドゥー率いるバッファロー・ブレーブスと対戦し、4勝2敗で勝利してカンファレンス・ファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1974年3月30日 | バッファロー・ブレーブス | 97-107 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第2戦 | 1974年4月2日 | ボストン・セルティクス | 105-115 | バッファロー・ブレーブス | バッファロー・メモリアル・オーディトラム | |
第3戦 | 1974年4月3日 | バッファロー・ブレーブス | 107-120 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第4戦 | 1974年4月6日 | ボストン・セルティクス | 102-104 | バッファロー・ブレーブス | バッファロー・メモリアル・オーディトラム | |
第5戦 | 1974年4月9日 | バッファロー・ブレーブス | 97-100 | ボストン・セルティクス | ボストン・ガーデン | |
第6戦 | 1974年4月12日 | ボストン・セルティクス | 106-104 | バッファロー・ブレーブス | バッファロー・メモリアル・オーディトラム |
カンファレンス・ファイナル(東地区決勝)対ニューヨーク・ニックス:4勝1敗
カンファレンス・ファイナルではウォルト・フレイジャー擁するニューヨーク・ニックスとの対戦となり、これを4勝1敗で制してNBAファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1974年4月14日 | ニューヨーク・ニックス | 88-113 | ニューヨーク・ニックス | ボストン・ガーデン | |
第2戦 | 1974年4月16日 | ニューヨーク・ニックス | 111-99 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第3戦 | 1974年4月19日 | ニューヨーク・ニックス | 103-100 | ニューヨーク・ニックス | ボストン・ガーデン | |
第4戦 | 1974年4月21日 | ニューヨーク・ニックス | 98091 | ニューヨーク・ニックス | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第5戦 | 1974年4月24日 | ニューヨーク・ニックス | 94-105 | ニューヨーク・ニックス | ボストン・ガーデン |
こうして迎えた1974年のNBAファイナルでは、ボストン・セルティクスがカリーム・アブドゥル=ジャバー擁するミルウォーキー・バックスを4勝3敗で破りNBA優勝を果たしました。
1974年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:セルティクスが5年ぶりのNBA優勝
今回は「1974年のNBAファイナルで優勝を果たした”ボストン・セルティクス”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝はボストン・セルティクスにとって5年ぶり12回目のNBA制覇となりました。
また、ジョン・ハブリチェックはセルティクスに10年在籍、7度目の優勝にて初のファイナルMVP受賞となりました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!