シカゴ・ブルズ史上5人目の永久欠番となった「デリック・ローズ」。
圧倒的は身体能力でNBA史上最年少となる22歳6ヶ月でのシーズンMVPを受賞した一方で、度重なる怪我によって大きな挫折を経験した選手でもあります。
日本でもファンの多いデリック・ローズですが、なぜそこまで愛される選手なんでしょうか?
この記事ではそんあデリック・ローズのプロフィールやプレイスタイルはもちろん、その波乱万丈なNBAキャリアについても詳しくご紹介していきます。
デリック・ローズの全盛期を見たことがないという方でもより深く彼の魅力を知ることができる内容となっていますので、興味のある方はぜひ最後までご覧くださいね!
目次
【プロフィール】デリックローズってどんな選手?
シカゴ・ブルズにて当時22歳という史上最年少でNBAのシーズンMVPを受賞した伝説的ポイントガード「デリック・ローズ」。
一時は”NBAの顔”になる将来を描きながらも、度重なる怪我で苦しみ、ついにどこのチームからも必要とされなくなるというどん底を経験。
しかし、そこから這い上がり怪我前の全盛期ですら果たせなかった1試合50得点(キャリアハイ)という記録と共に復活した姿は多くのファンを感動させました。
キャリア4年目にして大怪我を負ってしまったことで個人成績はシーズンMVP1回、オールNBAチーム選出1回にとどまったものの、爆発的な身体能力から繰り出される迫力満点のプレーや何度怪我しても諦めない姿勢から日本はもちろん、世界中のNBAファンから愛されるレジェンドです。
デリック・ローズのプレイスタイルは?
デリック・ローズは怪我前と怪我後でプレイスタイルを大きく変えた選手です。
怪我前のプレイスタイルを一言で言うなら「高すぎる身体能力から繰り出される爆発的なスピードとジャンプ力を駆使して得点を量産するスコアラー」でしょう。
特にドライブで相手ゴールに切り込みシュートを決める能力は圧倒的で、あまりの速さにローズだけが早送りで動いているように見えるほどです。
怪我後はスタイルを大きく変え、スリーポイントシュートやフローターなどのシュートスキルを武器とした選手として活躍。
度重なる怪我から復帰したローズが「怪我をしないためのプレイ」を身につけるために努力した結果たどり着いたプレイスタイルであり、経験による判断力も相まって、ある意味で怪我前よりもチームの勝利に貢献する選手として活躍しました。
メンフィス大学時代:チームをNCAAトーナメント準優勝に導く
イリノイ州シカゴのイングルウッドというアメリカ国内でも特に治安の悪い地域で四男として生まれたローズは、母親や3人の兄たちの尽力で薬やギャングなどとは関わることなくバスケットボールと共に育ちました。
地元のシメオンキャリア・アカデミー高校に進学したローズは、在学中にチームを120勝12敗という圧倒的な成績に導き、世代No.1ポイントガードと呼ばれるまでに成長。
全米中の注目を受けながらメンフィス大学に進学することを決めたローズは、1年性ながらメンフィス大学をNCAAトーナメント(アメリカの大学全国大会)準優勝に導きます。
特にファイナル4(準決勝)ではラッセル・ウェストブルックとケビン・ラブという後のNBAスター選手2人を要するUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)を破っており、優勝こそできなかったものの、その年屈指の有望株という評価を受けながらは2008年のNBAドラフトにエントリーするのでした。
NBA時代のストーリー
ここからはデリック・ローズのNBA時代のストーリーをかいつまんでご紹介しようと思います。
史上最年少MVPが怪我を乗り越え奇跡の復活劇を見せる姿を一緒に見ていきましょう!
ドラフト全体1位指名、そして史上最年少MVP
迎えた2008年NBAドラフトはシカゴ・ブルズにとって運命の1日だったと言っても過言ではないでしょう。
前年度イースト9位という高いとも低いとも言えない順位で終わったシカゴ・ブルズはわずか1.7%というあり得ない確率でドラフト1位指名を引き当て、デリック・ローズを指名したのです。
マイケル・ジョーダンというチームの英雄が引退してちょうど10年、奇跡のような確率で舞い込んできたドラフト1巡目指名によって指名された地元シカゴ出身のスターの卵の登場にファンが興奮しないはずがありませんでした。
大きな期待と共に始まったルーキーシーズン、デリック・ローズは新人王を受賞しますが、真に実力を示したのはのちに「プレイオフ史上最高の1回戦」と呼ばれる前年度王者ボストン・セルティックスとの1戦でした。
プレイオフ初戦で自身のキャリアハイ39得点を叩き出しチームを勝利に導くと、最終的に破れはしたものの昨年王者を最後の最後まで追い詰めた姿はシカゴ・ブルズに未来のエースが誕生したことを示すには十分すぎるものだったと思います。
さらなる成長を続けたローズは迎えたキャリア3年目、1試合平均25.0得点、7.7アシスト、4.1リバウンドといずれもキャリアハイの数字を叩き出し、ローズに率いられたブルズはイースト1位の62勝20敗を記録。
勝率1位のチームのエースとして史上最年少(22歳6カ月)でのシーズンMVPを受賞しました。
実はこのシーズン開幕前、ローズは記者会見で「なぜ俺がMVPになれないんだ?」と語っており、キャリア3年目にして実際にMVPを取ってしまうという伝説を残しています。
悲劇のACL断裂、様々なチームをたらい回しに
鮮烈デビューに史上最年少MVPという輝かしいキャリアを送っていたローズでしたが、悲劇は唐突に訪れます。
舞台は2012年のプレイオフ1回戦の第1戦目、今年こそシカゴ・ブルズが優勝だとチームもファンも思っていた矢先でした。
ACL(左脚十字靭帯)断裂。
この大怪我を機にローズのキャリアは大きく崩れていくことになります。
復活したと思ったら怪我で離脱することを繰り返して、また繰り返して、気づけばローズのキャリアは7年目に突入。
「ローズはもう全盛期には戻れないのではないか」。
そんな声が多く上がる中ただひたすら諦めずにリハビリと練習を続けていたローズでしたが、そんな彼の元に届いたのはあまりにもあっけない“別れ”の知らせでした。
ニューヨーク・ニックスへの移籍。
愛するシカゴ・ブルズとの別れは非常に唐突であり、心のどこかでそうなるかもと思っていても、絶対に起きてほしくない現実だったのは想像に難くありません。
これは余談ですが、この辛すぎる知らせを受けた時、ローズは自身のドキュメンタリーの撮影中で、NBAはビジネスの世界と頭では分かっていながらも感情が溢れて涙するローズの姿が映像で残っています。
YouTubeでその動画を見ることができるので、ぜひ見てみてください。
新天地ニューヨークで復活を目指したローズはまずまずの活躍を残しますが、次のシーズンにはクリーブランド・キャバリアーズへ移り、半年も経たずしてユタ・ジャズへトレードされたかと思うと、最後は解雇。
かつては史上最年少でMVPを受賞した選手がわずか7年のうちにどこからも必要とされなくなってしまったのです。
“薔薇”の返り咲き、そして引退へ
絶望の淵に立たされたデリック・ローズはそのまま引退も考えていましたが、そんな彼に手を差し伸べたのがかつてシカゴ・ブルズでローズと共にチームを率いたヘッドコーチ「トム・シボドー」でした。
当時ミネソタ・ティンバーウルブズのヘッドコーチをしていたシボドーはチームを説得し、ローズはウルブズの一員として再びNBAの舞台で戦うチャンスを得たのです。
そして来る2018年10月31日、奇跡は起こります。
メンフィス・グリズリーズではもはやスタメンではなくベンチからの役割に徹していたローズでしたが、この日は前半から積極的に得点し続け、終わってみればキャリアハイの50得点を叩き出したのです。
自身を解雇したユタ・ジャズを相手に全盛期ですら出せなかったキャリアハイという偉業を成し遂げる姿は、彼が試合後のインタビューで語った「努力は報われる」とう言葉と共に多くのファンの心に残ったことでしょう。
その後はチームを支えるベテランとしてデトロイト・ピストンズ、ニューヨーク・ニックス、メンフィス・グリズリーズを渡り歩き、大学時代を過ごしたメンフィスの街で引退を決意。
その16シーズンという長いキャリアに幕を閉じました。
ドラフト当初に想像していたようなキャリアではなかったものの、シカゴ・ブルズの歴史を語る上で欠かすことができない存在となったローズに対し、ブルズは2025年1月4日に彼が着用していた背番号「1」を永久欠番に認定。
マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペンらと共にブルズ史上5人目の永久欠番となったのです。
デリック・ローズのキャリアスタッツ
最後に、デリック・ローズのキャリアスタッツを「レギュラーシーズン」と「プレイオフ」とに分けてご紹介します。
レギュラーシーズン(2008-09シーズン〜2023−24シーズン)
| シーズン | チーム | 出場試合 | スタメン出場 | 出場時間 | フィールドゴール成功率% | 3P成功率% | フリースロー成功率% | リバウンド | アシスト | スティール | ブロック | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008–09 | CHI | 81 | 80 | 37.0 | .475 | .222 | .788 | 3.9 | 6.3 | .8 | .2 | 16.8 |
| 2009–10 | 78 | 78 | 36.8 | .489 | .267 | .766 | 3.8 | 6.0 | .7 | .4 | 20.8 | |
| 2010–11 | 81 | 81 | 37.4 | .445 | .332 | .858 | 4.1 | 7.7 | 1.0 | .6 | 25.0 | |
| 2011–12 | 39 | 39 | 35.3 | .435 | .312 | .812 | 3.4 | 7.9 | .9 | .4 | 21.8 | |
| 2013–14 | 10 | 10 | 31.1 | .354 | .340 | .844 | 3.2 | 4.3 | .5 | .1 | 15.9 | |
| 2014–15 | 51 | 51 | 30.0 | .405 | .280 | .813 | 3.2 | 4.9 | .9 | .7 | 17.7 | |
| 2015–16 | 66 | 66 | 31.8 | .427 | .293 | .793 | 3.4 | 4.7 | .7 | .2 | 16.4 | |
| 2016–17 | NYK | 64 | 64 | 32.5 | .471 | .217 | .874 | 3.8 | 4.4 | .7 | .3 | 18.0 |
| 2017–18 | CLE | 16 | 7 | 19.3 | .439 | .250 | .854 | 1.8 | 1.6 | .2 | .3 | 9.8 |
| MIN | 9 | 0 | 12.4 | .426 | .167 | 1.000 | 0.7 | 1.2 | .4 | .0 | 5.8 | |
| 2018–19 | 51 | 13 | 27.3 | .482 | .370 | .856 | 2.7 | 4.3 | .6 | .2 | 18.0 | |
| 2019–20 | DET | 50 | 15 | 26.0 | .490 | .306 | .871 | 2.4 | 5.6 | .8 | .3 | 18.1 |
| 2020–21 | 15 | 0 | 22.8 | .429 | .333 | .840 | 1.9 | 4.2 | 1.2 | .3 | 14.2 | |
| NYK | 35 | 3 | 26.8 | .487 | .411 | .883 | 2.5 | 4.2 | .9 | .4 | 14.9 | |
| 2021–22 | 26 | 4 | 24.5 | .445 | .402 | .968 | 3.0 | 4.0 | .8 | .5 | 12.0 | |
| 2022–23 | 27 | 0 | 12.5 | .384 | .302 | .917 | 1.5 | 1.7 | .3 | .2 | 5.6 | |
| 2023–24 | MEM | 24 | 7 | 16.6 | .461 | .366 | .889 | 1.9 | 3.3 | .3 | .1 | 8.0 |
得点のキャリアハイがMVPシーズン(2010–11シーズン)の25.0点とスコアラーにしては低く感じますが、キャリア4年目にして実質的な全盛期が終わってしまったことを考えると本来はまだまだ成長していたのだろうと思います。
キャリア後半には戦い方を変えたことでスリーポイント成功率が大きく伸びており、特に2度目のニューヨーク・ニックス時代(2020-21シーズン〜2021-22シーズン)にはシーズン平均が40%を超え、リーグ屈指のシューターとして活躍しました。
怪我に悩まされてキャリアを終える選手が多くいる中、怪我を受け入れてプレイスタイルを変化させることで選手として活躍し続ける姿は、まさにファンから愛されるデリック・ローズの不屈の精神を表していると言えるでしょう。
プレイオフ (計7シーズン)
| シーズン | チーム | 出場試合 | スタメン出場 | 出場時間 | フィールドゴール成功率% | 3P成功率% | フリースロー成功率% | リバウンド | アシスト | スティール | ブロック | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2009 | CHI | 7 | 7 | 44.7 | .492 | .000 | .800 | 6.3 | 6.4 | 0.6 | 0.7 | 19.7 |
| 2010 | CHI | 5 | 5 | 42.4 | .456 | .333 | .818 | 3.4 | 7.2 | 0.8 | 0.0 | 26.8 |
| 2011 | CHI | 16 | 16 | 40.6 | .396 | .248 | .828 | 4.3 | 7.7 | 1.4 | 0.7 | 27.1 |
| 2012 | CHI | 1 | 1 | 37.0 | .391 | .500 | 1.000 | 9.0 | 9.0 | 1.0 | 1.0 | 23.0 |
| 2015 | CHI | 12 | 12 | 37.8 | .396 | .348 | .897 | 4.8 | 6.5 | 1.2 | 0.5 | 20.3 |
| 2021 | NYK | 5 | 3 | 35.0 | .476 | .471 | 1.000 | 4.0 | 5.0 | .4 | .2 | 19.4 |
| 2023 | NYK | 1 | 0 | 3.0 | .000 | .000 | --- | .0 | 1.0 | .0 | .0 | .0 |
勝負強さも魅力の1つだったデリック・ローズは、プレイオフになるとレギュラーシーズンよりも平均得点を大きく伸ばす選手でした。
先ほどもご紹介した2009年の「プレイオフ史上最高の1回戦」をはじめ、重要な試合において何度も何度もチームを救う活躍をしているんですよ!
また、デリック・ローズが活躍しだ時代はちょうどレブロン・ジェームズの全盛期と重なっており、2010年、2011年とレブロン・ジェームズが所属するチームとの試合でプレイオフを敗退しています。
この時レブロンとローズはバチバチに争っていただけに、怪我をしていなければNBAの歴史を大きく塗り替えていたかもしれないな、、、と妄想してしまうファンも多いはずです。
まとめ
史上最年少MVPという栄光と怪我による挫折というジェットコースターのようなキャリアを送った「デリック・ローズ」。
ドラフト時点で想い描いていたキャリアとは程遠いものだったかもしれませんが、全盛期の圧倒的なプレーも怪我を乗り越え復活を果たした勇姿も、シカゴだけでなく世界中のNBAファンの心に永遠に残り続けることは間違い無いでしょう。
確かに怪我はない方が良かったものですが、それを受け入れ、プレイスタイルを変えたことで復活を果たしたデリック・ローズだからこそ、これほどまでに愛される選手になったんだと思います。
全盛期のデリック・ローズの身体能力を全面に出したプレーは見ていて非常にワクワクしますので、まだ見たことがないという方はぜひYouTubeなどでハイライトを見てみてくださいね!