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【NBAファイナル1954】ミネアポリス・レイカーズ VS シラキューズ・ナショナルズ 全7試合の結果や流れを詳しく解説!

皆さんこんにちは!

NBA好きブログライターのおしょうサンドです。

 

国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。

これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。

一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。

その確率は脅威の0.0001%。

例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。

 

そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。

本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。

 

そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。

特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。

その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。

 

今回はその中から「NBAファイナル1954 ミネアポリス・レイカーズ VS シラキューズ・ナショナルズ」の対決をご紹介しましょう!

NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!

それではティップオフ!!

 

NBAファイナル1954に出場したチームの背景を知ろう!

1954年NBAファイナルはウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「ミネアポリス・レイカーズ」とイースタン・カンファレンスチャンピオンの「シラキューズ・ナショナルズ」の戦いでした。

まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!

 

ミネアポリス・レイカーズ

1953-54シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 46勝26敗(カンファレンス1位)
プレーオフ1回戦 -
カンファレンス・セミファイナル -
カンファレンス・ファイナル 2勝1敗(VS ロチェスター・ロイヤルズ)

 

「ミネアポリス・レイカーズ」はミネソタ州ミネアポリスに拠点を置くチームです。

現在はロサンゼルス・レイカーズに名称を変更しています。

エースは「ジョージ・マイカン」。

レギュラーシーズンを46勝26敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でボブ・デイヴィス要する「ロチェスター・ロイヤルズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

この年優勝を果たしたミネアポリス・レイカーズがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!

 

シラキューズ・ナショナルズ

1953-54シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 42勝30敗(カンファレンス2位)
プレーオフ1回戦 -
カンファレンス・セミファイナル -
カンファレンス・ファイナル 2勝1敗(VS ボストン・セルティクス)

 

「シラキューズ・ナショナルズ」はニューヨーク州シラキュースに拠点を置くチームです。

現在はフィラデルフィア・76ersに名称を変更しています。

エースは「ドルフ・ジェイズ」。

レギュラーシーズンを42勝30敗のカンファレンス1位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でボブ・クージー要する「ボストン・セルティクス」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

NBAファイナル1954の出場選手・ロスター

次にNBAファイナル1954で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!

 

ミネアポリス・レイカーズの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
G 16 ボブ・ハリソン(Bob Harrison) 185 86 1927年8月12日
C 34, 89 クライド・ラブレット(Clyde Lovellette) 206 106 1929年9月7日
SF 15, 24 ディック・シュニットケル(Dick Schnittker) 196 91 1928年5月27日
C 99 ジョージ・マイカン(George Mikan) 208 111 1924年6月18日
PF - ジム・フリッチェ(Jim Fritsche) 203 95 1931年12月10日
SF 12 ジム・ホルステイン(Jim Holstein) 191 82 1930年9月24日
SF 17 ジム・ポラード(Jim Pollard) 193 84 1922年7月9日
SG 18 ペップ・ソール(Pep Saul) 188 84 1924年2月16日
PG 22 スレーター・マーティン(Slater Martin) 178 77 1925年10月22日
PF 19 ヴァーン・ミッケルセン(Vern Mikkelsen) 201 104 1928年10月21日
SG 20 ホワイティ・スクーグ(Whitey Skoog) 180 82 1926年11月2日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

シラキューズ・ナショナルズの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
PG 12 アル・マシノ(Al Masino) 178 79 1928年2月5日
PG 14 バト・ゴウェダリカ(Bato Govedarica) 180 84 1928年4月17日
SG 7 ビル・ガボア(Bill Gabor) 180 77 1922年5月13日
PG 15 ビリー・ケンヴィル(Billy Kenville) 188 85 1930年12月1日
PF 16 ボブ・ラボイ(Bob Lavoy) 201 84 1926年6月29日
C 10 ディック・クノストマン(Dick Knostman) 198 98 1931年8月9日
C 4 ドルフ・シェイズ(Dolph Schayes) 203 100 1928年5月19日
SF 11 アール・ロイド(Earl Lloyd) 196 91 1928年4月3日
PF 6 エド・アール(Ed Earle) 191 86 1927年4月28日
PG 3 ジョージ・キング(George King) 208 79 1928年8月16日
C 17 ジム・ニール(Jim Neal) 211 107 1930年5月21日
PF 6 マイク・ノヴァク(Mike Novak) 206 99 1915年4月23日
SG 5 ポール・シーモア(Paul Seymour) 185 82 1928年1月30日
PF 8 ウォーリー・オスターコルン(Wally Osterkorn) 196 98 1928年7月6日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

NBAファイナル1954のシリーズ概要

それではいよいよNBAファイナル1954の試合の結果を見ていきましょう!

1953-54シーズンのNBAチャンピオンは「ミネアポリス・レイカーズ」。

チームとしては3年連続5回目の優勝となりました。

対戦成績は4勝3敗。

詳細な試合結果は以下のとおりです。

試合 日付 アウェイ 結果 ホーム
1 3月31日 シラキュース・ナショナルズ 68-79 ミネアポリス・レイカーズ
2 4月3日 シラキュース・ナショナルズ 62-60 ミネアポリス・レイカーズ
3 4月4日 ミネアポリス・レイカーズ 81-67 シラキュース・ナショナルズ
4 4月8日 ミネアポリス・レイカーズ 69-80 シラキュース・ナショナルズ
5 4月10日 ミネアポリス・レイカーズ 84-73 シラキュース・ナショナルズ
6 4月11日 シラキュース・ナショナルズ 65-63 ミネアポリス・レイカーズ
4月12日 シラキュース・ナショナルズ 80-87 ミネアポリス・レイカーズ

 

 

NBAファイナル1954の試合の概要

ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。

レイカーズが史上初の3連覇を果たしたシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!

 

第1戦(68-79 ミネアポリス・レイカーズ Win)

NBAファイナルの1回戦はミネアポリス・レイカーズのホーム「ミネアポリス・オーディトラム」で始まりました。

昨年で2連覇を果たし、前人未到の3連覇を狙うレイカーズとここまで3年連続ファイナルに出場していたニューヨーク・ニックスを下して勝ち上がってきたシラキュース・ナショナルズとの一戦です。

レギュラーシーズンの戦績でレイカーズが勝っている上に、ナショナルズはプレーオフの戦いで怪我人が続出しているため、ファイナルはレイカーズが圧勝すると思われていました。

そんな中始まった第1戦は王者レイカーズが順調にナショナルズを下し、初戦を勝利。

レイカーズはこの日エースのマイカンの15得点の他に今季合流したクライド・ラブレットが16得点と躍動し、勝利を掴みました。

 

第2戦(62-60 シラキュース・ナショナルズ Win)

レイカーズリードで迎えた第2戦。

初戦を順調に終たレイカーズでしたが、第2戦から雲行きが怪しくなり始めます。

この日ゲームハイを記録したのはナショナルズのウォーリー・オスターコルン。

彼の20得点の活躍で第3Qまでに10点のリードを広げたナショナルズは第4Qにレイカーズの反撃を受けるもなんとかリードを守り切って勝利。

まさかのアウェイで1勝をあげ、対戦成績を1-1としました。

 

第3戦(81-67 ミネアポリス・レイカーズ Win)

1-1のタイで迎えた第3戦。

舞台はシラキュース・ナショナルズのホーム「オノンダガ・ウォー・メモリアル」へと移ります。

第2戦にまさかの敗戦を喫したレイカーズは、この1戦でエースが奮起。

ジョージ・マイカンが30得点15リバウンドと大爆発し、ほぼ独力でナショナルズを打ち砕きました。

ナショナルズはボブ・ラボイの18得点がチーム最高となりました。

 

第4戦(69-80 シラキュース・ナショナルズ Win)

再度レイカーズリードで迎えた第4戦。

第3戦は低調に終わったナショナルズでしたが、第4戦はその不調を取り返すかのようにオフェンスが波に乗ります。

特にこの年平均得点が13.1得点のポール・シーモアがここで25得点をあげる活躍を見せ、ナショナルズに勝利をもたらしました。

当初レイカーズ圧勝を見られていたシリーズはまさかの2勝2敗で後半へともつれ込みました。

 

第5戦(84-73 ミネアポリス・レイカーズ Win)

2-2の状態でなおもピストンズホームとなった第5戦。

負ければ後がなくなるレイカーズはアウェイの状況にも臆さず、前半から積極的なリムアタックでリードを広げていきます。

後半にはナショナルズも持ち直し互角の戦いとなりますが、前半での点差が縮まることはなくそのままレイカーズが勝利しました。

レイカーズはヴァーン・ミッケルセンがゲームハイの21得点を記録しました。

 

第6戦(65-63 シラキュース・ナショナルズ Win)

レイカーズが先に王手をかけて迎えた第6戦。

舞台はナショナルズのホーム「オノンダガ・ウォー・メモリアル」。

この日で優勝を決めてしまいたいレイカーズは序盤から猛攻を仕掛け、前半を43-38の5点リードで折り返します。

しかし後半に入ると攻撃が一気に停滞し、第3Qわずか6点に止まります。

その間にナショナルズはゆっくりと得点を伸ばし、気づくと逆転。

レイカーズはこの日30得点のマイカンがほぼ独力で反撃にでますが、これをナショナルズがわずかに上回り勝利。

6戦を交互に取り合った両チームは、まさかの第7戦にもつれ込む展開へと向かいました。

 

第7戦(80-87 ミネアポリス・レイカーズ Win)

運命の第7戦。

舞台はレイカーズのホーム「ミネアポリス・オーディトラム」。

ここまで怪我人を出しながらもなんとか食い下がってきたナショナルズはここまできたら勝利へと全力を注ぎます。

しかし無情にも試合はホームのレイカーズがリードする展開が続き、第3Q終了時には54-65と点差は11点にまで広がっていました。

第4Qもナショナルズの選手たちは諦めることなく点差を詰めるために奮闘しますが、最後までレイカーズリードを守り抜き勝利。

マイカンが引退するシーズンについに前人未到の3連覇を成し遂げたのでした。

 

まとめ

今回は「NBAファイナル1954 ミネアポリス・レイカーズ VS シラキューズ・ナショナルズ」の対決をご紹介しました。

いかがだったでしょうか?

レイカーズはここまでの6年間で5度の優勝を果たしており、NBA史上最初の王朝を築きました。

しかしこのシーズンを機にジョージ・マイカンが引退を発表し、一時リーグの頂上争いからは身を引くこととなります。

NBA全体としてはこのシーズンがショットクロックのない最後の年となり、来年以降は平均得点が大きく伸びることになりました。

やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!

他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!

それではまた次の記事でお会いしましょう!

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