こんにちは!
NBA好きブロガーのおしょうサンドです。
NBAに属する全ての選手とチームが目指す目標である「NBAチャンピオン」。
多くのNBA選手が生涯に1度もつかむことができず引退していくほどに険しい道のりです。
NBAチャンピオンになった1チームは、翌年のNBAの中心となります。
他の29チームは、その1チームを倒すために新たな選手を獲得したり、戦術を取り入れたりと対策を講じていきます。
それゆえNBAの頂点を決める戦いである「NBAファイナル」は、例外なくそのシーズンの集大成であり、NBAの歴史そのものと言えるのです。
もちろんNBAファイナルだけを見ても十分面白いと思います。
ただ、NBAファイナルに至るまでにも毎年数々のドラマがあります。
進出したチームの辿ってきた軌跡を知ることで、NBAファイナルはさらに面白くなります!!!
つまり、NBAチャンピオンになったチームの背景を知ることは「NBAの歴史をより深く知ること」であり、NBAの”沼”により深くはまっていくきっかけの1つというわけですね!笑
そこで今回は1953-54シーズンを制したミネアポリス・レイカーズ(LAL)の優勝への軌跡をご紹介しようと思います。
ミネアポリス・レイカーズは優勝までにどのような軌跡を辿ってきたのでしょうか??
存分に見ていきましょう!
それではさっそく、ティップオフ!!
目次
ドラフト
NBAにおいて、オフシーズン最大のイベントは「NBAドラフト」ですよね!
世界最高のリーグであるNBAには、毎年世界最高の選手たちがドラフトされます。
将来チームの中心になりうる逸材や即戦力となる選手をリスクなく獲得できるため、すべてのチームにとって欠かせないイベントです。
ミネアポリス・レイカーズは1953年のNBAドラフトにて 名の選手をドラフトしました。
【指名選手】
巡 | 指名順位 | 選手名 | ポジション | 国籍 | 出身大学 | 前所属チーム(リーグ/国名) |
年ドラフトでの が持っていた自前の指名権は 枚で、 巡目 位で を指名しました。
もう一枚、
年NBAドラフトで指名された選手の一覧を見たいという方はこちらの記事をご覧ください!
リンクカード
NBAファイナルまでの道のり:1953-54 ミネアポリス・レイカーズのレギュラーシーズン
まずは1953-54レギュラーシーズンがミネアポリス・レイカーズにとってどんな1年だったのかを見ていきましょう!
【オフシーズンの動き】
1947年に設立されて以降、ジョージー・マイカンを中心としたチームでリーグを支配してきたミネアポリス・レイカーズ。
これまでに5年間で2度の連覇による4度の優勝を果たしており、今シーズンはフランチャイズ史上初となるリーグ3連覇を目指してレギュラーシーズンに臨みました。
【レギュラーシーズンの結果】
例年通りウエスタン・ディビジョンの強豪として勝利を重ね、最終的には46勝26敗のリーグ1位の勝率を残してプレイオフに進出しました。
ミネアポリス・レイカーズはウエスタン・ディビジョンで1位を獲得しました。
【1953-54レギュラーシーズン ウエスタン・ディビジョンの結果】
ウエスタン・ディビジョン | 勝 | 負 | 勝率 | 差 | ホーム | ロード | Div | GP |
ミネアポリス・レイカーズ | 46 | 26 | .639 | – | 20–4 | 13–15 | 19–13 | 72 |
ロチェスター・ロイヤルズ | 44 | 28 | .611 | 2 | 18–10 | 12–15 | 22–10 | 72 |
フォートウェイン・ピストンズ | 40 | 32 | .556 | 6 | 19–8 | 11–17 | 17–15 | 72 |
ミルウォーキー・ホークス | 21 | 51 | .292 | 25 | 11–14 | 5–17 | 6–26 | 72 |
NBAファイナルまでの道のり:1953-54 ミネアポリス・レイカーズのプレイオフ
次にミネアポリス・レイカーズが1953-54プレイオフをどのようにして勝ち抜いたのか見ていきましょう!
【1953-54プレイオフの背景】
1953-1954シーズンのプレイオフは1954年3月24日に開始し、4月12日に終了しました。
チーム数の減少に伴いプレイオフ出場チームの決定方式が変更され、各ディビジョンの勝率上位3チームで総当たり戦で上位2チームがプレイオフに進出できることになりました。
ミネアポリス・レイカーズはウエスタン・ディビジョンのリーグ戦で2勝0敗の首位に立ち、プレイオフに進出しました。
ディビジョン・ファイナル(西地区決勝)対ロチェスター・ロイヤルズ:2勝1敗
ディビジョン・ファイナルではボビー・ヴァンツァーやアーニー・ライゼンらのロチェスター・ロイヤルズとの対戦となり、これを2勝1敗で制してNBAファイナルに進出しました。
試合 | 日付 | アウェイ | 結果 | ホーム | アリーナ | |
第1戦 | 1954年3月24日 | ロチェスター・ロイヤルズ | 76-89 | ミネアポリス・レイカーズ | ミネアポリス・オーディトラム | |
第2戦 | 1954年3月27日 | ミネアポリス・レイカーズ | 73-74 | ロチェスター・ロイヤルズ | エジャートン・パーク・アリーナ | |
第3戦 | 1954年3月28日 | ロチェスター・ロイヤルズ | 72-82 | ミネアポリス・レイカーズ | ミネアポリス・オーディトラム |
こうして迎えた1954年のNBAファイナルでは、ミネアポリス・レイカーズがドルフ・ジェイズ擁するシラキューズ・ナショナルズを4勝3敗で破り、NBA優勝を果たしました。
1954年のNBAファイナルについての詳しい内容を知りたいという方はこちらの記事もぜひお読みください!
まとめ:レイカーズがNBA史上初の3連覇達成
今回は「1954年のNBAファイナルで優勝を果たした”ミネアポリス・レイカーズ”のチーム背景と優勝への軌跡」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
NBA優勝を果たすまでの道のりの険しさを知ると、NBAファイナルをより深く楽しむことができますよね!
この優勝はミネアポリス・レイカーズにとって3年連続5回目のNBA制覇となりました。
他のシーズンについても優勝チームの軌跡についてご紹介している記事がありますので、そちらもぜひご覧くださいね!
それではまた次の記事でお会いしましょう!
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