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【NBAファイナル1961】ボストン・セルティックス VS セントルイス・ホークス 全5試合の結果や流れを詳しく解説!

皆さんこんにちは!

NBA好きブログライターのおしょうサンドです。

 

国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。

これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。

一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。

その確率は脅威の0.0001%。

例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。

 

そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。

本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。

 

そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。

特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。

その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。

 

今回はその中から「NBAファイナル1961 ボストン・セルティックス VS セントルイス・ホークス」の対決をご紹介しましょう!

NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!

それではティップオフ!!

 

NBAファイナル1961に出場したチームの背景を知ろう!

1961年NBAファイナルはイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ボストン・セルティックス」とウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「セントルイス・ホークス」の戦いでした。

まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!

 

ボストン・セルティックス

1960-61シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 57勝22敗(カンファレンス1位)
プレーオフ1回戦 -
カンファレンス・セミファイナル シード権
カンファレンス・ファイナル 4勝1敗(VS シラキュース・ナショナルズ)

 

「ボストン・セルティックス」はマサチューセッツ州ボストンに拠点を置くチームです。

エースは「ビル・ラッセル」。

レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でウィルトチェンバレンを要するウォリアーズを打ち倒して上がってきた「シラキュース・ナショナルズ」を難なく倒し、NBAファイナルに進みました。

 

この年優勝を果たしたボストン・セルティックスがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!

 

セントルイス・ホークス

1960-61シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 51勝28敗(カンファレンス1位)
プレーオフ1回戦 -
カンファレンス・セミファイナル シード権
カンファレンス・ファイナル 4勝3敗(VS ミネアポリス・レイカーズ)

 

「セントルイス・ホークス」はミズーリ州セントルイスに拠点を置くチームです。

エースは「ボブ・ペティット」。

レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でジェリー・ウエストやエルジン・ベイラー要する「ミネアポリス・レイカーズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

NBAファイナル1961の出場選手・ロスター

次にNBAファイナル1961で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!

 

ボストン・セルティックスの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
C 6 ビル・ラッセル(Bill Russell) 208 98 1934年2月12日
SG 21 ビル・シャーマン(Bill Sharman) 185 79 1926年5月25日
PG 14 ボブ・クージー(Bob Cousy) 185 79 1928年8月9日
SG 23 フランク・ラムゼィ(Frank Ramsey) 191 86 1931年7月13日
PF 17 ジーン・コンリー(Gene Conley) 203 102 1930年11月10日
SF 20 ジーン・グアリリア(Gene Guarilia) 196 100 1937年9月13日
SF 18 ジム・ロスカトフ(Jim Loscutoff) 196 100 1930年2月4日
PG 25 K・C・ジョーンズ(K.C. Jones) 185 91 1932年5月25日
SG 24 サム・ジョーンズ(Sam Jones) 193 90 1933年6月24日
PF 15 トム・ヘインソーン(Tom Heinsohn) 201 99 1934年8月26日
SF 16 トム・サンダース(Tom Sanders) 198 95 1938年11月8日
PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

セントルイス・ホークスの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
SG 11 アル・フェラーリ(Al Ferrari) 193 86 1933年7月6日
PF 9 ボブ・ペティット(Bob Pettit) 206 93 1932年12月12日
SF 16 クリフ・ヘイガン(Cliff Hagan) 193 95 1931年12月9日
C 34 クライド・ラブレット(Clyde Lovellette) 206 106 1929年9月7日
SF 25 デイブ・ピオンテック(Dave Piontek) 198 104 1934年8月27日
SG 12 アーニー・ベック(Ernie Beck) 193 86 1931年12月11日
SF 19 フレッド・ラクール(Fred LaCour) 96 95 1938年2月7日
PG 15 ジョーニー・マッカーシー(Johnny McCarthy) 185 84 1934年4月25日
C 13 ラリー・ファウスト(Larry Foust) 206 98 1928年6月24日
PG 32 レニー・ウィルキンス(Lenny Wilkens) 185 82 1937年10月28日
G 12 フィル・ロリンズ(Phil Rollins) 188 84 1934年1月19日
SG 17 シー・グリーン(Si Green) 188 84 1933年8月20日
PF 21 ウッディ・ソウルズベリー(Woody Sauldsberry) 201 100 1934年7月11日
PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

NBAファイナル1961のシリーズ概要

それではいよいよNBAファイナル1961の試合の結果を見ていきましょう!

1960-61シーズンのNBAチャンピオンは「ボストン・セルティクス」。

チームとしては3年連続4回目の優勝となりました。

対戦成績は4勝1敗。

詳細な試合結果は以下のとおりです。

試合 日付 アウェイ 結果 ホーム
1 4月2日 セントルイス・ホークス 95-129 ボストン・セルティクス
2 4月5日 セントルイス・ホークス 108-116 ボストン・セルティクス
3 4月8日 ボストン・セルティクス 120-124 セントルイス・ホークス
4 4月9日 ボストン・セルティクス 119-104 セントルイス・ホークス
5 4月11日 セントルイス・ホークス 112-121 ボストン・セルティクス

 

NBAファイナル1961の試合の概要

ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。

セルティクスが史上2チーム目となる3連覇を達成したシーズンのNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!

 

第1戦(95-129 ボストン・セルティクス Win)

NBAファイナルの1回戦はボストン・セルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」で始まりました。

この頃のNBAはウィルト・チェンバレンやエルジン・ベイラー、オスカー・ロバートソンといった今後のNBAを席巻する大型新人たちが多く参入してきており、世代交代の波が押し寄せてきていました。

しかしそんな新人たちを押さえつけNBAの頂点を争ったのは、セルティクスとホークスという2年連続、さらに過去5年で4度目となる2チームでした。

ここまで2度の第7戦までに及ぶ激戦を演じ、ファイナルでの対戦成績はセルティクスが2勝、ホークスが1勝とライバル関係を演じてきている両者。

因縁の一戦に盛り上がるファンも多くいましたが、試合はあまりにもあっけなく進んでいきます。

第1戦は序盤からセルティクスがリードを奪うとそのまま一度もホークスにリードを与えることなく圧勝。

セルティクスはトム・ヘインソーンが26得点、ビル・ラッセルが15得点31リバウンドを記録。

一方ホークスはウッディ・ソウルズベリーが33得点13リバウンドと孤軍奮闘しましたが、ボブ・ペティットが17得点に終わり、大差で敗北を喫しました。

 

第2戦(108-116 ボストン・セルティクス Win)

セルティクスリードで迎えた第2戦。

第1戦で大敗を喫したホークスは序盤から積極的にセルティクスのゴールにアタックし、第1Qで5点のリードを奪いました。

しかし第2Qからセルティクスが盛り返しすぐさま逆転すると、第3Qには点差を9点に広げて第4Qへ突入。

最終Qではこの日40得点を記録するクリフ・ヘイガンやボブ・ペティットらの猛攻により点差が縮まるかと思われましたが、セルティクスのオフェンスを止めることができずに点差を保たれたまま試合は終了。

セルティクスがホーム2連勝でシリーズを大きくリードしました。

 

第3戦(120-124 セントルイス・ホークス Win)

アトランタに移って行われた第3戦。

舞台はホークスのホームアリーナである「キール・オーディトリアム」です。

ホームでのこの試合に負ければ後がなくなるホークスでしたが、ここでエースが立ち上がります。

第2戦で調子を取り戻したボブ・ペティットはこの試合でも31得点24リバウンドを記録。

エースの勇姿に鼓舞されたホークスは6選手が2桁以上の得点を記録し、ホームでファンに勝利を届けました。

しかしこれが今シーズンのホークスにとって最後の勝利となりました。

 

第4戦(119-104 ボストン・セルティクス Win)

ホークスが1勝を返して迎えた第4戦。

第3戦の勝利で流れに乗りたいホークスをエースのペティットがまたも40得点18リバウンドのモンスター・パフォーマンスで牽引します。

しかし第3戦で痛い目を見たセルティクスはディフェンスの強度を上げており、ペティット以外の選手の攻撃を封殺。

一方オフェンスではチームハイがボブ・クージーとトム・サンダースの22得点とずば抜けた選手はいなかったものの、6選手が当たり前のように2桁得点を記録し、常勝軍団の実力を見せつける形で勝利。

セルティクスが悠々とシリーズに王手をかけ、舞台はボストンへと戻っていきます。

 

第5戦(112-121 ボストン・セルティクス Win)

運命の第5戦。

舞台はセルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」。

セルティクスに王手をかけられ、しかもアウェイでの一戦となったホークスは、第1Qから総攻撃を仕掛けます。

この日警戒されていたペティットは24得点11リバウンドとモンスターパフォーマンスとはならなかったものの、クリフ・ハイガンが26得点、他にも4選手が2桁得点とエースの穴を埋め、第1Qで見事6点のリードを奪いました。

ここからホークスのシリーズ巻き返しがあるかとも思われましたが、そこに立ちはだかったのがビル・ラッセル。

この大一番で30得点38リバウンドとインサイドでホークスを打ち砕き、流れを無理やりセルティクスに呼び込みます。

これにより第2Q以降はセルティクスが試合を支配することとなり、そのままセルティクスが勝利を掴みました。

この勝利によりセルティクスが3連覇を達成し、歴史に名を刻みました。

 

まとめ

今回は「NBAファイナル1961 ボストン・セルティックス VS セントルイス・ホークス」の対決をご紹介しました。

いかがだったでしょうか?

ビル・ラッセルはウィルト・チェンバレンと比べるとスタッツが物足りなく感じるという方も多くいると思いますが、ここぞという試合ではちゃんと怪物っぷりを発揮するんですよね。

だからこそ11度の優勝というNBA史に残る記録を打ち立てることが出来とのだと思います。

ここで敗れたホークスはこのシーズンを境に衰退していき、それ以降はファイナルに進出できていません。

やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!

他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!

それではまた次の記事でお会いしましょう!

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