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【NBAファイナル1964】ボストン・セルティックス VS サンフランシスコ・ウォリアーズ 全5試合の結果や流れを詳しく解説!

皆さんこんにちは!

NBA好きブログライターのおしょうサンドです。

 

国際バスケットボール連盟(FIBA)によると、全世界のバスケットボールの競技人口はなんと4.5億人。

これはバレーボールの5億人に次いで全スポーツの中で2番目に多い数字です。

一方で、NBAでプレイをすることができる選手はたったの450人。

その確率は脅威の0.0001%。

例えではなく「ほんの一握り」しか所属することができないリーグです。

 

そんな世界最高峰のリーグに所属するすべての選手たちが求める高み、それが「NBAチャンピオン」。

本物の天才たちが生活のすべてをバスケに注ぎ、それでもなお1度も手が届かない選手がいる頂です。

 

そこを目指す選手たちが本気でぶつかるからこそ、プレーオフ(NBAの決勝トーナメント)では数多くの伝説が生まれます。

特にその年のチャンピオンを決める戦いである「NBAファイナル」はどの年も世界最高の試合が行われてきました。

その当時の最高の選手、最高のチーム、最高の戦術がぶつかり合うNBAファイナルは、もはやNBAの歴史そのものだと僕は思います。

 

今回はその中から「NBAファイナル1964 ボストン・セルティックス VS サンフランシスコ・ウォリアーズ」の対決をご紹介しましょう!

NBAをよく知らないという方にもわかりやすく説明していきますのでぜひ最後までお読みくださいね!

それではティップオフ!!

 

NBAファイナル1964に出場したチームの背景を知ろう!

1964年NBAファイナルはイースタン・カンファレンスチャンピオンの「ボストン・セルティックス」とウエスタン・カンファレンスチャンピオンの「サンフランシスコ・ウォリアーズ」の戦いでした。

まずはそれぞれのチームの背景から見ていきましょう!

 

ボストン・セルティックス

1963-64シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 59勝21敗(カンファレンス1位)
プレーオフ1回戦 -
カンファレンス・セミファイナル シード権
カンファレンス・ファイナル 4勝1敗(VS シンシナティ・ロイヤルズ)

 

「ボストン・セルティックス」はマサチューセッツ州ボストンに拠点を置くチームです。

エースは「ビル・ラッセル」。

レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でオスカー・ロバートソン要する「シンシナティ・ロイヤルズ」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

この年優勝を果たしたボストン・セルティックスがNBAファイナルに至るまでどのようなシーズンを過ごしたのか気になるという方は、こちらの記事もぜひお読みください!

 

サンフランシスコ・ウォリアーズ

1963-64シーズン ファイナルまでの試合成績
レギュラーシーズン 48勝32敗(カンファレンス1位)
プレーオフ1回戦 -
カンファレンス・セミファイナル シード権
カンファレンス・ファイナル 4勝3敗(VS セントルイス・ホークス)

 

「サンフランシスコ・ウォリアーズ」はカリフォルニア州サンフランシスコに拠点を置くチームです。

エースは「ウィルト・チェンバレン」。

レギュラーシーズンを勝敗のカンファレンス位で終えると、プレーオフではカンファレンス決勝でボブ・ペティット要する「セントルイス・ホークス」を倒し、NBAファイナルに進みました。

 

NBAファイナル1964の出場選手・ロスター

次にNBAファイナル1964で各チームに所属していた選手達を見ていきましょう!

 

ボストン・セルティックスの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
C 6 ビル・ラッセル(Bill Russell) 208 98 1934年2月12日
C 34 クライド・ラブレット(Clyde Lovellette) 201 106 1929年9月7日
SG 23 フランク・ラムゼィ(Frank Ramsey) 191 86 1931年7月13日
SF 18 ジム・ロスカトフ(Jim Loscutoff) 195 100 1930年2月4日
SF 17 ジョン・ハブリチェック(John Havlicek) 195 92 1940年4月8日
PG 21 ジョニー・マッカーシー(Johnny McCarthy) 186 84 1934年4月25日
PG 25 K・C・ジョーンズ(K.C. Jones) 186 91 1932年5月25日
SG 20 ラリー・ジークフリード(Larry Siegfried) 191 86 1939年5月22日
SG 24 サム・ジョーンズ(Sam Jones) 193 90 1933年6月24日
PF 15 トム・ヘインソーン(Tom Heinsohn) 201 99 1934年8月26日
PF 16 トム・サンダース(Tom Sanders) 198 95 1938年11月8日
SF 12 ウィリー・ナオルス(Willie Naulls) 198 102 1934年10月7日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

サンフランシスコ・ウォリアーズの出場選手一覧

表は左方向にスクロールすることが可能です。

ポジション 背番号 名前 身長(cm) 体重(kg) 生年月日
PG 16 アル・アットルス(Al Attles) 183 79 1936年11月7日
SG 12 ゲイリー・ヒル(Gary Hill) 193 84 1941年10月7日
SG 7 ゲイリー・フィリップス(Gary Phillips) 191 86 1939年12月7日
SF 9 ジョージ・リー(George Lee) 193 91 1936年11月23日
PG 5 ガイ・ロジャース(Guy Rodgers) 183 84 1935年9月1日
PF 15 ジョン・ウィンザー(John Windsor) 203 98 1940年4月3日
SF 17 ケニー・シアーズ(Kenny Sears) 206 90 1933年8月17日
PF 42 ネイト・サーモンド(Nate Thurmond) 211 102 1941年7月25日
SF 14 トム・メシェリー(Tom Meschery) 198 98 1938年10月26日
PF 55 ウェイン・ハイタワー(Wayne Hightower) 203 87 1940年1月14日
C 13 ウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain) 216 125 1936年8月21日

PG ポイントガード
SG シューティングガード
SF スモールフォワード
PF パワーフォワード
C センター

 

NBAファイナル1964のシリーズ概要

それではいよいよNBAファイナル1964の試合の結果を見ていきましょう!

1963-64シーズンのNBAチャンピオンは「ボストン・セルティクス」。

チームとしては6年連続7回目の優勝となりました。

対戦成績は4勝1敗。

詳細な試合結果は以下のとおりです。

試合 日付 アウェイ 結果 ホーム
1 4月18日 サンフランシスコ・ウォリアーズ 96-108 ボストン・セルティクス
2 4月20日 サンフランシスコ・ウォリアーズ  101-124 ボストン・セルティクス
3 4月22日 ボストン・セルティクス 91-115 サンフランシスコ・ウォリアーズ
4 4月24日 ボストン・セルティクス 98-95 サンフランシスコ・ウォリアーズ
5 4月26日 サンフランシスコ・ウォリアーズ  99-105 ボストン・セルティクス

 

NBAファイナル1964の試合の概要

ここからは試合のさらに詳細な流れをお伝えしていきます。

以前はイースタン同士だった両チームがウォリアーズの移転によって異なるカンファレンスとなり、ついにそれぞれがカンファレンスの覇者となって頂上決戦に挑んだNBAファイナルを一緒に見ていきましょう!

 

第1戦(96-108 ボストン・セルティクス Win)

NBAファイナルの1回戦はボストン・セルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」で始まりました。

1961年まではイーストの覇権を争っていた両者がNBAで相見えるとあってファンは大きく盛り上がります。

セルティクスはここ数年で主力であったビル・シャーマン、ボブ・クージーが引退しており、新たな戦力としてサム・ジョーンズやトム・ヘインソーンが台頭。

一方ウォリアーズはいずれリーグを代表する選手となるネイト・サーモンドもまだルーキーシーズンであり、ほぼウィルト・チェンバレンのワンマンチームでした。

試合が始まると、ウォリアーズにかつての悪夢が蘇ります。

セルティクスの固い守備を破ることができずに前半ウォリアーズがわずか39点に終わると、その間にセルティクスは通常運転で57点を記録。

前半で18点もの差をつけられたウォリアーズは後半巻き返しを測りますが、全く追いつくことができずに敗戦となりました。

この日セルティクスはジョーンズとジョン・ハブリチェックが揃って28得点を記録。

ウォリアーズはチェンバレンが22得点23リバウンドと躍動しますが、援護射撃を受けられず敗北となりました。

 

第2戦(101-124 ボストン・セルティクス Win)

セルティクスリードで迎えた第2戦。

第1戦を落としたウォリアーズは第2戦でより多くチェンバレンにホールを集めます。

するとチェンバレンは期待に応え、32得点25リバウンドと躍動。

しかしこの日はセルティクスのシュートタッチが良く、特にサム・ジョーンズが高確率でシュートを決めて第1戦よりも大きい19点のリードをつけて前半を折り返します。

さらに第3Qにはさらにセルティクスが点差を広げ、第4Qが始まる頃には29点もの差が開いてしまいました。

こうなるとウォリアーズに勝ち目はなく、途中で主力を下げて試合終了前に勝負が決しました。

この日セルティクスのはさサム・ジョーンズが31得点を記録しました。

 

第3戦(91-115 サンフランシスコ・ウォリアーズ Win)

セルティクス2連勝で迎えた第3戦。

舞台はサンフランシスコ・ウォリアーズのホーム「カウ・パレス」に移ります。

ホームで流れを変えたいウォリアーズは、ホームの声援を受けて選手たちが躍動。

チーム全体で53.4%という非常に高いシュート効率を叩き出すと、第1Qに40得点のビッグクォーターでセルティクスを大きく突き放します。

これで勢いに乗ったウォリアーズはその後はセルティクスに一度もリードを与えることなく試合を進め、今度はウォリアーズが大差で勝利を掴みました。

この日チェンバレンは35得点25リバウンド、さらにトム・メシェリーが21得点と続き、スタメン全員が2桁得点を記録しました。

一方セルティクスはチーム最多がジョン・ハブリチェックの22得点に終わり、ウォリアーズとは対照的にシュート精度に苦しんでの敗戦となりました。

 

第4戦(98-95 ボストン・セルティクス Win)

ウォリアーズが1勝を返して迎えた第4戦。

第3戦を勝利したウォリアーズはこの試合も勢いよおくスタートし、またも第1Qでセルティクスからリードを奪うことに成功します。

しかし前の試合反撃の糸口をつかめなかったセルティクスも2度同じ轍は踏ま図、第3Qには猛反撃を開始。

16点を返す展開で76-64と今度はセルティクスがリードを奪います。

そして迎えた第4Q、ホームでシリーズをごかくに戻したいウォリアーズは意地の反撃を見せます。

この日27得点38リバウンドを記録するチェンバレンがインサイドを制圧し、チームは勢いに乗ってみるみる点差を詰めて試合終盤にはついに3点差まで詰め寄りました。

しかし最後は絶対王者のセルティクスが意地のディフェンスを見せ、ウォリアーズの攻撃を押し留めたところで試合は終了。

ホームで接戦という最大の勝機を逃したウォリアーズを尻目に、セルティクスが6連覇に王手をかけました。

 

第5戦(99-105 ボストン・セルティクス Win)

運命の第7戦。

舞台はセルティクスのホーム「ボストン・ガーデン」に戻ります。

優勝に王手の状態でホームコートという地の利を得たセルティクスにもはや敵なしかと思われましたが、試合は意外にも接戦の様相を呈します。

前半を41-45とセルティクス4点のリードで折り返すと、第3Qはウォリアーズが1点を詰め、点差は3点で勝負は第4Qに突入。

第4Qには一時同点になるなど最後までどちらが勝利するかわからない展開が続きましたが、やはり最後に勝利したのは王者セルティクスでした。

この日のセルティクスは誰1人20得点を超えるスコアラーはいませんでしたが、6選手が2桁得点を挙げるバランスの良い攻撃を展開。

終盤にはこの全員オフェンスが功を奏し、ウォリアーズにラストショットを打つ選手の的を絞らせずに難なく得点を上げて勝利を手繰り寄せました。

この勝利によりシリーズをセルティクスが制し、連覇記録をさらに1つ伸ばすこととなりました。

 

まとめ

今回は「NBAファイナル1964 ボストン・セルティックス VS サンフランシスコ・ウォリアーズ」の対決をご紹介しました。

いかがだったでしょうか?

やはり往年のライバル対決というのは胸が躍るものがあります。

ここで敗れたチェンバレンですが、この後チームを変えてリングを掴むまであと数年かかることとなります。

やはりNBAファイナルはドラマがあって面白いですね!

他の年のNBAファイナルも同じように紹介していますので、ぜひそちらもご覧ください!

それではまた次の記事でお会いしましょう!

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