こんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
皆さん、NBA観戦を楽しんでいますか?
NBAは非常に魅力の多いリーグですので楽しみ方はファンの数だけあると思いますが、その一つが”推しチームを応援すること”ですよね!
推しチームが決まっていると、そのチームの成績、所属している選手の成長、ドラフトの順位、トレードの内容などイベントのたびに楽しみが増え、NBA観戦がより楽しいものになること間違いありません!
では推しのチームはどのようにして決めればいいのでしょうか?
その方法はズバリ、チームについてよく知ることです。
チームの歴史や文化、現在所属している選手や過去に所属していた選手などの情報を知れば、きっとあなたにあったチームが見つかるはずです。
そこで今回は、チームの歴史の1つである「永久欠番」についてご紹介していこうと思います。
永久欠番とは、バスケットボールやNBAの歴史において多大な功績を残してきた人物の使用していた背番号を、その人物の功績を称えそのチームにおいてはその人物以外が使用することができないようにしたものです。
永久欠番を知れば、そのチームの最も輝いてた時代を知ることができますよ!
今回ご紹介するチームは”フェニックス・サンズ”です。
もちろん他の29チームについても同様の記事がございますので、ぜひそちらもごらんください!
それではティップオフ!!
フェニックス・サンズの永久欠番
それでは早速、フェニックス・サンズの永久欠番となっている番号とその番号をつけていた人物について見ていきましょう!
フェニックス・サンズでは11個の背番号を永久欠番としています。(フェニックス・サンズの選手10名+ビル・ラッセル)
1人ずつ詳しくご紹介していきます!
#5 ディック・バン・アースデール(Dick Van Arsdale)
ディック・バン・アースデールは1968年のフェニックス・サンズ設立時に拡張ドラフトにてサンズに入団した初期メンバーの1人であり、ゲイル・グッドリッチと共にフェニックス・サンズ史上初のオールスター選手となりました。
その後も残りのキャリア全てをサンズで過ごし、3度のオールスター選出を受けるなどチームのベテラン兼中心選手の1人として活躍しました。
ポジション:スモールフォワード
在籍期間:1968年〜1977年
式典日:-
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 3回(1969年〜1971年) |
オールディフェンシブ | セカンドチーム(1974年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1965年) |
#6 ウォルター・デイビス(Walter Davis)
ウォルター・デイビスは美しいシュートフォームから繰り出される高精度なシュートで得点を重ね続けた当時のリーグ屈指のシューティングガードであり、フェニックス・サンズにドラフトされたのち11シーズンを過ごしたスター選手です。
サンズに在籍した期間で6度のオールスター選出、2度のオールNBAチーム選出を果たしています。
ポジション:シューティングガード/スモールフォワード
在籍期間:1977年〜1988年
式典日:1979年12月15日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 6回(1978年〜1981年, 1984年, 1987年) |
オールNBA | セカンドチーム×2(1978年, 1979年) |
その他 | 新人王(1978年) オールルーキーファーストチーム(1978年) |
#7 ケビン・ジョンソン(Kevin Johnson)
ケビン・ジョンソンは驚異的な身体能力の持ち主であり、持ち前のスピードと跳躍力で得点やアシストを量産したリーグ屈指の攻撃型ポイントガードでした。
キャリアのほとんどをフェニックス・サンズで過ごし、キャリアで3度のオールスター選出、7度の0ーるNBA選出を果たしています。
また、シーズン平均20得点10アシストを3シーズン連続で記録した数少ない選手の1人としても知られています。
ポジション:ポイントガード
在籍期間:1988年〜2000年
式典日:-
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回 |
NBAオールスター | 3回(1990年, 1991年, 1994年) |
オールNBA | セカンドチーム×4(1989–1991年, 1994年) サードチーム(1992年) |
その他 | MIP(1989年) |
#9 ダン・マーリー(Dan Majerle)
ダン・マーリーは1988年にドラフト14位でフェニックス・サンズに指名されてNBA入りし、1990年代の強豪サンズの主力メンバーの1人として活躍した選手です。
高い身体能力を持ちながらスリーポイントを得意とする選手であり、サンズに所属している期間で3度のオールスター選出、2度のオールディフェンシブチーム選出を果たしました。
ポジション:シューティングガード/スモールフォワード
在籍期間:1988年〜1995、2001年〜2002
式典日:-
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回 |
NBAオールスター | 3回(1992年, 1993年, 1995年) |
オールディフェンシブ | セカンドチーム×2(1991年, 1993年) |
その他 | 特になし |
#13 スティーブ・ナッシュ(Steve Nash)
スティーブ・ナッシュはフェニックス・サンズ史上最も偉大な選手の1人であり、身長191 cmと決して恵まれた体格ではなかったにもかかわらず広大なコートビジョンと性格無比なシュートやパスを武器にNBAを代表するポイントガードの1人となったスーパースターです。
名将”マイク・ダントー二”によって考案されたアップテンポなバスケスタイルである”ラン&ガンオフェンス”の絶対的司令塔として君臨したナッシュは、2度のシーズンMVP受賞、8度のオールスター選出、7度のオールNBAチーム選出、5度のアシスト王受賞を果たしました。
また、エリートシューターの証である"50-40-90(フィフティー・フォーティー・ナインティ)クラブ"入りを4シーズンもの間達成したNBA史上唯一の選手としても知られています。
ポジション:ポイントガード
在籍期間:1988年〜1993年
式典日:-
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAシーズンMVP | 2回(2005年, 2006年) |
NBAオールスター | 8回(2002年, 2003年, 2005年〜2008年, 2010年, 2012年) |
オールNBA | ファーストチーム×3(2005年〜2007年) セカンドチーム×2(2008年, 2010年) サードチーム×2(2002年, 2003年) |
その他 | アシスト王×5(2005年〜2007年, 2010年〜2011年) スキルチャレンジ×2(2005年, 2010年) |
#23 トム・チェンバース(Tom Chambers)
トム・チェンバースは1980年代後半から1990年代前半のフェニックス・サンズの中核として活躍した選手であり、同じ年にサンズに移籍したケビン・ジョンソンと共にサンズをウエスタンカンファレンスの強豪に変貌させました。
サンズに在籍した5シーズンの間には3度のオールスター選出、2度のオールNBAチーム選出を果たしており、1990年3月24日には1試合60得点を記録した選手としても歴史に名を刻みました。
ポジション:パワーフォワード
在籍期間:1988年〜1993年
式典日:-
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 4回(1987年, 1989年〜1991年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1987年) |
オールNBA | セカンドチーム×2(1989年, 1990年) |
その他 | 特になし |
#33 アルヴァン・アダムス(Alvan Adams)
アルヴァン・アダムスは1975年にフェニックス・サンズからドラフト4位指名を受けてNBA入りし、その後のNBAキャリア13年をサンズ一筋で過ごした選手の1人です。
アダムスは安定した得点とリバウンドでサンズを長期に渡って支え続け、得点、アシスト、リバウンド、スティール、ブロックの主要スタッツ5項目全てにおいてサンズのフランチャイズ記録史上TOP5入りを果たしました。
ポジション:センター/パワーフォワード
在籍期間:1975年〜1988年
式典日:-
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAオールスター | 1回(1976年) |
その他 | 新人王(1976年) オールルーキーファーストチーム(1976年) |
#34 チャールズ・バークレー(Charles Barkley)
チャールズ・バークレーは1984年にドラフト5位でフィラデルフィア・76ersで指名され、その後8シーズンをシクサーズで、4シーズンをフェニックス・サンズで、最後の4シーズンをヒューストン・ロケッツでプレイしたスーパースターです。
キャリアの中で1度のシーズンMVP受賞、11度のオールスター選出、11度のオールNBA選出を果たしており、通算20,000得点、通算10,000リバウンド、通算4,000アシストを達成した数少ない選手の1人です。
バークレーはフィラデルフィア・76ersとフェニックス・サンズの永久欠番となっています。
ポジション:パワーフォワード/スモールフォワード
在籍期間:1992年〜1996年
式典日:-
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 0回 |
NBAシーズンMVP | 1回(1993年) |
NBAオールスター | 11回(1987年〜1997年) |
NBAオールスターMVP | 1回(1991年) |
オールNBA | ファーストチーム×5(1988年〜1991年, 1993年) セカンドチーム×5(1986年, 1987年, 1992年, 1994年, 1995年) サードチーム(1996年) |
その他 | リバウンド王(1987年) オールルーキーファーストチーム(1985年) |
#42 コニー・ホーキンズ(Connie Hawkins)
コニー・ホーキンズはABA時代にはピッツバーグ・パイパーズのエースとして活躍し、ABAがNBAに統合されてからはフェニックス・サンズで4シーズンを過ごしたスター選手です。
ホーキンズは幼少期からニューヨーク市ブルックリン区出身の伝説的ストリートボーラーとして知られており、プロ入り後もそのストリート仕込みの圧倒的ハンドリングスキルで活躍しました。
彼の残したハイライトプレイの数々はのちのスーパースターであるジュリアス・アービングやマイケル・ジョーダンといった選手達のプレイスタイルに大きく影響しており、その功績からバスケットボール殿堂入り、さらにはフェニックス・サンズの永久欠番となるに至りました。
ポジション:パワーフォワード/センター
在籍期間:1969年〜1973年
式典日:-
【受賞歴】
NBAチャンピオン(ABAを含む) | 1回(1968年) |
NBAファイナルMVP(ABAを含む) | 1回(1968年) |
NBAシーズンMVP(ABAを含む) | 1回(1968年) |
NBAオールスター(ABAを含む) | 5回(1968年, 1970年〜1973年) |
オールNBA(ABAを含む) | ファーストチーム×3(1968年, 1969年, 1970年) |
その他 | 特になし |
#44 ポール・ウェストファル(Paul Westphal)
ポール・ウエストファルは全盛期とも言える5シーズンをフェニックス・サンズで過ごしたスター選手であり、1970年代後半のサンズのエースとして、サンズにチーム史上最初の黄金期をもたらしました。
サンズ在籍期間中に4度のオールスター選出と4度のオールNBAファーストチーム入りを果たしています。
ポジション:シューティングガード/パワーフォワード
在籍期間:1975年〜1980年、1983年〜1984年
式典日:-
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1974年) |
NBAオールスター | 5回(1977年〜1981年) |
オールNBA | ファーストチーム×3(1977年, 1979年, 1980年) セカンドチーム(1978年) |
その他 | 特になし |
全30チームで永久欠番となった”#6 ビル・ラッセル”
NBAで前人未到の11度の優勝を果たした”ビル・ラッセル”はバスケットボールのみならずアメリカ史上最も偉大なアスリートの1人です。
ビル・ラッセル以前のNBAおよびアメリカのスポーツ界は白人中心の文化が根強く、黒人選手は迫害されていました。
しかし、ビル・ラッセルはその圧倒的な実力と実績を持ってファンを熱狂させ、NBA史上初の黒人のNBAスター選手となることで、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させました。
また、現役中にも関わらずボストン・セルティクスにて選手権ヘッドコーチに就任し、アメリカ4大メジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチとなりました。
彼の選手として、および公民権運動家としての功績を称え、2009年にファイナルMVPの正式名称を”ビル・ラッセル・NBAファイナルMVP”に変更されています。
また、2022年8月11日には同年7月31日に死去した彼に敬意を表し、背番号#6が30チーム全てで永久欠番になることが発表されました。
まとめ
今回は「フェニックス・サンズの永久欠番」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
最初にもご紹介しましたが、他の29チームについても同様の記事がございますでぜひそちらの記事もご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!