こんにちは!
NBA好きブログライターのおしょうサンドです。
皆さん、NBA観戦を楽しんでいますか?
NBAは非常に魅力の多いリーグですので楽しみ方はファンの数だけあると思いますが、その一つが”推しチームを応援すること”ですよね!
推しチームが決まっていると、そのチームの成績、所属している選手の成長、ドラフトの順位、トレードの内容などイベントのたびに楽しみが増え、NBA観戦がより楽しいものになること間違いありません!
では推しのチームはどのようにして決めればいいのでしょうか?
その方法はズバリ、チームについてよく知ることです。
チームの歴史や文化、現在所属している選手や過去に所属していた選手などの情報を知れば、きっとあなたにあったチームが見つかるはずです。
そこで今回は、チームの歴史の1つである「永久欠番」についてご紹介していこうと思います。
永久欠番とは、バスケットボールやNBAの歴史において多大な功績を残してきた人物の使用していた背番号を、その人物の功績を称えそのチームにおいてはその人物以外が使用することができないようにしたものです。
永久欠番を知れば、そのチームの最も輝いてた時代を知ることができますよ!
今回ご紹介するチームは”ワシントン・ウィザーズ”です。
もちろん他の29チームについても同様の記事がございますので、ぜひそちらもごらんください!
それではティップオフ!!
目次
ワシントン・ウィザーズの永久欠番
それでは早速、ワシントン・ウィザーズの永久欠番となっている番号とその番号をつけていた人物について見ていきましょう!
ワシントン・ウィザーズでは6個の背番号を永久欠番としています。(ワシントン・ウィザーズの選手5名+ビル・ラッセル)
1人ずつ詳しくご紹介していきます!
#10 アール・モンロー(Earl Monroe)
アール・モンローはボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)にドラフトされNBA入りを果たすと、4シーズンをブレッツで過ごし、キャリアの後半をニューヨーク・ニックスで過ごした選手です。
ウェス・アンセルドと共に中外の強力なデュオを結成し、低迷期のボルティモア・ブレッツをプレーオフ常連チームへと押し上げました。
ポジション:シューティングガード/ポイントガード
在籍期間:1967年〜1971年
式典日:2007年12月1日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1973年) |
NBAオールスター | 4回(1969年, 1971年, 1975年, 1977年) |
オールNBA | ファーストチーム(1969年) |
その他 | 新人王(1968年) オールルーキーファーストチーム(1968年) |
#11 エルヴィン・ヘイズ(Elvin Hayes)
エルヴィン・ヘイズは攻守ともに非常に優れたインサイドプレイヤーであり、1度の得点王と2度のリバウンド王を受賞したスーパースターの1人です。
ドラフト同期のウェス・アンセルドと共に超強力なインサイドを作り上げ、1978年にはボルティモア・ブレッツのNBA優勝に大きく貢献しました。
ポジション:パワーフォワード/センター
在籍期間:1972年〜1981年
式典日:1981年11月20日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1978年) |
NBAオールスター | 12回(1969年〜1980年) |
オールNBA | ファーストチーム×3(1975年, 1977年, 1979年) セカンドチーム×3(1973年, 1974年, 1976年) |
オールディフェンシブ | セカンドチーム×2(1974年, 1975年) |
その他 | 得点王(1969年) リバウンド王×2(1970年, 1974年) オールルーキーファーストチーム(1969年) |
#25 ガス・ジョンソン(Gus Johnson)
ガス・ジョンソンは1963年にボルティモア・ブレッツにドラフトされABAでキャリアをスタートさせた選手の1人であり、強靭な肉体と身体能力で得点やリバウンドを量産する、現代パワーフォワードの原型となった選手の1人です。
キャリアで5度のオールスター、4度のオールNBAチーム選出と輝かしい成績を残しましたが、ジョンソンの派手なプレースタイルやファッションセンスはそれ以上に後世のスーパースターたちに影響を与えました。
ポジション:パワーフォワード/センター
在籍期間:1963年〜1972年
式典日:1986年12月13日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1973年) |
NBAオールスター | 5回(1965年, 1968年〜1971年) |
オールNBA | セカンドチーム×4(1965年, 1966年, 1970年, 1971年) |
オールディフェンシブ | ファーストチーム×2(1970年, 1971年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1964年) |
#41 ウェス・アンセルド(Wes Unseld)
ウェス・アンセルドは201 cmとNBAのセンターとしては非常に小柄ながらも、驚異的な身体能力と頑丈な肉体でリバウンドを奪い続けリーグを代表するセンターとなったスーパースターです。
1978年にはボルティモア・ブレッツのNBA制覇に大きく貢献し、個人としてもキャリアで1度のシーズンMVP受賞、5度のオールスター選出、1度のオールNBAチーム選出と輝かしい成績を飾りました。
ポジション:センター
在籍期間:1968年〜1981年
式典日:1981年11月3日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1978年) |
NBAファイナルMVP | 1回(1978年) |
NBAシーズンMVP | 1回(1969年) |
NBAオールスター | 5回(1969年, 1971年〜1973年, 1975年) |
オールNBA | ファーストチーム(1969年) |
その他 | リバウンド王(1975年) 新人王(1969年) オールルーキーファーストチーム(1969年) |
#45 フィル・シェニエ(Phil Chenier)
フィル・シェニエは1971年にボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)から指名されてNBA入りを果たすと、8シーズンにわたってブレッツのスタメンシューティングガードとして活躍した選手です。
平均20得点以上を記録する主要得点源として長くブレッツを支え続けたものの優勝には届かなかったが、1978年のプレーオフは背中の故障でシーズン終了を余儀なくされ、皮肉にもその年ブレッツはNBA優勝を果たしました。
ポジション:シューティングガード
在籍期間:1971年〜1979年
式典日:2018年3月23日
【受賞歴】
NBAチャンピオン | 1回(1978年) |
NBAオールスター | 3回(1974年, 1975年, 1977年) |
オールNBA | セカンドチーム(1975年) |
その他 | オールルーキーファーストチーム(1972年) |
全30チームで永久欠番となった”#6 ビル・ラッセル”
NBAで前人未到の11度の優勝を果たした”ビル・ラッセル”はバスケットボールのみならずアメリカ史上最も偉大なアスリートの1人です。
ビル・ラッセル以前のNBAおよびアメリカのスポーツ界は白人中心の文化が根強く、黒人選手は迫害されていました。
しかし、ビル・ラッセルはその圧倒的な実力と実績を持ってファンを熱狂させ、NBA史上初の黒人のNBAスター選手となることで、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させました。
また、現役中にも関わらずボストン・セルティクスにて選手権ヘッドコーチに就任し、アメリカ4大メジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチとなりました。
彼の選手として、および公民権運動家としての功績を称え、2009年にファイナルMVPの正式名称を”ビル・ラッセル・NBAファイナルMVP”に変更されています。
また、2022年8月11日には同年7月31日に死去した彼に敬意を表し、背番号#6が30チーム全てで永久欠番になることが発表されました。
まとめ
今回は「ワシントン・ウィザーズの永久欠番」についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか?
最初にもご紹介しましたが、他の29チームについても同様の記事がございますでぜひそちらの記事もご覧ください!
それではまた次の記事でお会いしましょう!